芯から甘やかな者になる

20180216

金曜日だから、えいっと気合いを入れて児童館に行く。ヨウは雪かきスコップが触りたいと玄関で泣き出すが、今からベビーカーにのってこどもセンターに遊びに行くんだよと話すと、ぴたりと泣き止んでうなずく。ことばが通じる、とはなんとすごいことか。ひとが、生まれて一年半でこれほどことばを解するものとは知らなかった。

児童館のベテランらしき先生に、いま悩んでいることを話す。ヨウのことではない。答えがないとわかっていたけれど、もしかしてと思ったりしたから、話してしまった。お返ししてもらったことばのすべてに、その通りですとうなずくしかなかった。
悩みは乾燥した二月の風の中、宙ぶらりんに浮いている。それをぼうっと見つめながら帰宅。
口から出たことばは二度と帰ってこない。こどもと同じだ。出たら胎にはもうもどらない。

先週観た、土井先生が若手俳優としばらくキューバに住むという番組で、おいしそうなオムレツを朝食に焼いておられ、それが頭から離れない。それで今日のお昼は久しぶりにオムレツを焼いてみた。娘は自分のミートソースパスタとスープをたいらげたあとで、オムレツの端っこをキラキラした目で食べていた。なんだこのおいしいのは! といわんばかりの、ときどき見せる目で。たしかにオムレツの出来はよかった。
いや、今日の上出来はオムレツよりスープだ。
冷蔵庫や冷凍庫で余ったり忘れられたりしている具材をあれこれ組み合わせ、ポタージュを作ると楽しい、ということに少し前から気づいた。具材を蒸し煮にしてから、水を加えてブレンダーでつぶし、豆乳か牛乳でのばすだけ。少ない材料でシンプルに勝負するときもあるし、十種類近くあれこれほうりこんで味見がはらはらするときもある。今日は前者、ブロッコリーの芯と、玉ねぎと、小豆の三種類。ブロッコリーの芯はとてつもなく甘いということも、この自由なポタージュを始めて知った。味付けは炒め蒸しのとき使ったバターと、塩のみ(豆乳でのばした)。これが、予想した通り甘くておいしい。ヨウもおかわりをほしがった。

小さなこどもにあわせて一緒にとる夕飯は五時半とかとても早くて、寝かせてから家事をするとおなかがぐーぐー空いて、つい夜食をつまむことが最近多い。でも、夜食に手を出した夜はきまって夢が多くて朝がつらい。今朝もだ。さっさと眠ってしまったほうがいい気がする。

#日記 #育児日記 #ごはん日記 #エッセイ

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山田桃栗

バターとナイフ

日々の他愛ない甘い暮らしのことを
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