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This is a pen. はなぜおかしい?

What is this?

と聞かれたとき、われわれは、

This is a pen.

などと答えがち。

日本語では、現実の世界と言語の世界の結びつきが強いので、話し手が現実世界のものを「これ」と指しているなら、聞き手も「これは...」と応じるのは自然に感じる。

だが英語では、

It's a pen.

あるいは単に

A pen.

と答えるのが自然な感じになる。

現実の世界のものについてであれ、英語では自分の認識を話し手が表現したら、聞き手の意識もただちに言語の世界に移る。だから聞き手は、話し手の認識を認識して it と呼ぶか、たんに答えを言うのが自然な受け答えになる。

このように、日本語の「これ」と、英語の "this" は、微妙に感覚がちがう。

このちがいは、案外と重要かもしれない。

英語の世界では、日本語でやれば人格攻撃と受け取られそうな激しいディベートをしたあと、双方ともケロッとして感情的なしこりを残さない光景を目にする。

現実の世界で誰が誰に言ったかという人格的な問題と、言語の世界で何が話されたかという内容的な問題が、英語では比較的はっきりと区別される。

英語を話す時、やたらに "please" をつける日本人がいるが、あれも言語表現を直接の人格的関係ととらえがちな日本語の感覚が影響しているのではないだろうか。

英語の "please" は、相手との人格的関係というより、場面にあわせた礼儀感覚の客観的表現と考えたほうがいいように思う。


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