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われわれの古くさい英語のもとは昔の翻訳文かも

日本語的発想の、まわりくどい「英訳」をしてしまうことがある。

たとえば「散髪してもらう」は、"have one's hair cut" などと習うが、こういう日常的なことは、 "get a haircut " のようなストレートな言い方のほうが自然に聞こえることがある。(松本道弘『新・give と get』10頁)

確証はないが、こういうことはないだろうか。

「散髪してもらう」という日本語じたい、じつは"have one's hair cut" いう英語を訳すプロセスで日本人がつくった表現であり、その日本語を、われわれはふたたび"have one's hair cut" という英語に「英訳」しようとしている、と。

つまり、

まわりくどい英語 → 近代日本語 → まわりくどい英語

という堂々巡りによって、むずかしげな英語が日本人のあいだに保存されていく。

この現象の背後にあるのは、近代日本語が、当時の英語からの翻訳によって作られたという事実である。

もしそうなら、受験勉強の和文英訳を通して英語を習得しようとするのは、わざわざむずかしい英語を再現しようとするようなところがある。


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