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概念は感覚ではない そこに注意すれば無駄が減る

人間の感性的な身体体験へとさかのぼって、英語を感覚的に把握しようと主張する人がいる。

身体体験にさかのぼって英語が理解できるなら、そのほうがいいような気もしてくる。

だが、言語をつくる直接の規範は、感性ではなく概念である

「コップ」とか「長さ」のように感性的な体験からきている概念も多いが、概念じたいは感性よりも抽象的で、感性を超えた認識である。

たとえば、「議事」とか「進化」とか「アンペア」は、どういう身体体験に還元できるだろう。

「原因」とか「資本主義」といった概念はどうか。

このように概念は、それじたい色や形や感触のない、超感性的存在である。

言語は、感性を超越した概念によって成立する。だから、コップが目の前になくてもコップについて語ることができる。

「赤いコップを買いたい」

のように。

身体感覚から英語を学ぶのは、入り口としてはよいかもしれない。

ただ、身体感覚は概念を身につけるためのひとつの手がかりにすぎないことを知っておくと、外国語の習得でも回り道をしないですむ。




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