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リアルとリアルの狭間

 SNSにどっぷりと浸かっている。twitter、Facebook、Instagramなど数分置きにチェックしている。IPhoneとMacBook Airを駆使して、SNSをチェックする合間に仕事をしているような状況だ。起きてる時間の大半をSNSに費やしている。依存症と言っても良いかも知れない。

 世の中にSNS依存症の人はある一定数いるだろうが、おそらく他の人たちと私とでは使い方がやや違うのではないかとも思っている。私の場合は他人の投稿をほとんど見ない。私にとってSNSとは自己表現、情報発信のツールであって、情報収集ツールとしての要素は弱い。では何をチェックしているのかといえば、自分の投稿の推敲であったり、自分の投稿に対するリアクションなどをチェックしているのだ。

 もちろん即時性という意味において、今もっとも優れているツールはSNSであることは理解しているし、実際のところはSNSから得られる情報も少なくない。しかしそれらの情報は自ら検索したり、能動的に情報を獲りに行った時に得られる情報である。私は意図せずタイムラインの情報の渦に巻き込まれていくのが苦手なのだ。

 今やSNSをはじめとするインターネットのコミュニティは、ヴァーチャルではなくリアルである。しかもこれまでのリアルの世界では見ることの出来ない部分までも可視化されてしまう、ある意味リアルを超えたリアルだ。そのリアルを超えたリアルが私はどうにも苦手だ。

 「ちょっと仕事の愚痴を聞いてくれないかな」と友人に言われたのなら、何時間でも他人の愚痴を聞くことは出来る。しかし「あのクライアント馬鹿じゃないのか」などの文字が何の前触れもなく飛び込んでくるSNSはとてもしんどい。普段ニコニコとしている人が「あの野郎許せない」なんて言っているのを唐突に見せられてしまうSNSはとても辛い。会ったこともない有名人や、見ず知らずの市井の人に対して罵詈雑言を浴びせたり難癖をつけている人を目の当たりにするSNSはとてもキツい。難癖ではなくとも、赤の他人に自分の意見を押し付けたり、訂正やダメ出しをしている人がウロウロしているSNSはとても怖い。

 SNSの使い方は人それぞれ、確かに自由だ。しかしどんなことを書くかは使う人の自由でしょ、見たくなければ見なければいい、というのはいささか乱暴ではないかと思う。

 インターネットはヴァーチャルではなくリアルである。誰もが見られるSNSで愚痴を吐いたり他人に突っかかったりしているのは、喩えるなら渋谷のスクランブル交差点を大声を出してナイフを振り回しながら素っ裸で走り回っているようなものだ。他人にぶつからないように、他人に迷惑をかけないように歩くのがリアルのはずだ。今のSNSはナイフを振り乱し、奇声を発している輩があまりにも多過ぎる。だから僕はいまだ交差点を渡れずにいる。

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