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「令和」に想う

 新元号が「令和」に決まった。

 日本はおろか世界でも最も長く使われた元号である「昭和」に生まれ、人生の半分以上を「平成」に生きて、そしてこれから「令和」を生きる。一生のうちに二度も改元の時を経験し、三つの時代を生きられるという事は、何とも形容し難い想いがある。

 昭和天皇が崩御されて「平成」になった1988年、私は二十歳だったが、元号発表の瞬間を覚えていない。もちろん時の官房長官が「平成」と書かれた額を示した映像は脳裏に焼き付いているが、それをリアルタイムで観ていた記憶が無い。ただ、初めて平成と聞いた時に、率直なところ全くピンと来なかった事だけは覚えている。あまりにも平易な漢字の組み合わせに軽さを感じ、もっと重みのある画数の多い漢字が良いなと思った。

 元号法に基づく選定要領に拠れば、書きやすいことや読みやすいことに留意すべしとある。そうなるとどうしても平成のように画数は少なくなり、今回も分かりやすい文字になるのだろう。そして今回も違和感を覚えるのだろう。

 今回はリアルタイムで受け止めた「令和」だったが、自分が想像している以上に良く、心の中へスッと入ってきたのには驚いた。「和銅」をはじめ、これまで多くの元号に使われており、昭和で慣れ親しんできた「和」の文字があったからだろうか。アルファベットの頭文字が私のイニシャルと同じRだからだろうか。いずれにせよ、少なくとも平成の時よりは違和感なく令和を受け止めている自分がいる。

 日本で初めての元号である「大化」が決められた645年の日本は、中国の律令制度を採り入れて、新たな国創りをしていた時代である。同じく中国を手本にしていた朝鮮半島の新羅が中国と同じ元号を用いていたのに対して、中国とは違う国であるという独立性を誇示する意味合いも、日本独自の元号にはあったと聞く。

 それでいて、これまで元号の典拠は中国の古典にあった。これは漢字そのものが中国のものでもあり、中国にあった元号というシステムを借用している事からも自然な事であろう。その一方で、本家の中国ですら用いなくなった元号の典拠を、いまだ中国古典に拠る事への違和感も拭えなかった。

 しかしながら、今回の典拠は「万葉集」だと言う。「梅花の歌(初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす)」。国書を由来とする元号は、1,400年近い歴史の中でも初めての事だそうだ。

 元来、元号は政治的な意図が強いものであるし、首相をはじめとする保守層の強い思いが実ったなどという、下衆な勘繰りは棚に上げても、日本の元号が日本の国書から決められたという事は素直に良かったと思う。

 天皇が代わり、新元号になると聞いた時に、正直なところ元号はもう要らないのではないかと思っていた。昔に比べて和暦を使う機会は極端に減り、西暦と併用する事の合理的な意味を感じ得られなかったどころか、不便な事も少なくなかった。

 もう西暦だけで良いではないか。私は発表の瞬間までそう思っていた。世界で西暦の他に独自の元号を併用しているなどという、ややこしい国は日本しかないのだ。

 しかし、官房長官が「令和」の書を掲げた瞬間、あぁ改元とはこういう事なのかと得心した。間違いなく新しい時代の到来、時代の転換を感じた。ただ、元号を新しくしただけなのに。あとは何も変わっていないのに。確実に心の中に風が吹いた。

 改元が天皇の在位中は変わらない「一世一元」になったのは明治からのこと。法制化されたのは昭和に入ってからだ。それまで、改元は大災害の発生や疫病の流行など、事あるごとに成されていった。元号を変える事で、国民の気持ちを刷新させ、国のムードを変える意味があったのだ。

 平成から令和へ。たった漢字二文字が変わっただけなのに、心の奥底に新たな時代の到来を感じる。これはただ一年ずつ足していく西暦では決して感じられない事だ。

 この国の一億数千万人、一人一人の心の中にある新たな時代への想いは、大きなうねりとなり力となっていくに違いない。私も今まで以上に全力で令和を駆け抜けて、素晴らしい人生にしていきたい。

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