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vol.3 モディリアーニの呼び声 その2

最初に誰が書いたのかよくわからないようなポスターが飾られていて

「え?モディリアーニってこんなロートレックのような絵描いてたんだ。知らんかった〜」

「僕ロートレックすごい好きなので、これは呼ばれたな・・・」

美人モデルKさん
「わいもりさんこれ、モディリアーニと親しかった友達の作ったものですね・・・」

「あ、そうかそうか・・・・」

美人でヨーロッパの絵画に精通しているKさんはとても人が良く、懐っこい性格、優しい人です。彼女と一緒にここに来れたのは特に嬉しい出来事でした。

そしてやっと彼の最初の作品にたどり着いたのです。

僕はあまりの衝撃に動けなかったのですが、それはいつまでも眺めていたいような感動に変わっていき、そして、涙へと変わっていきそうな勢いでした。

Kさんにも何か伝わるものがあったのか、彼女もずっと眺めていられると言ってくれました。

写真教室を始めると、自分の撮影技術では当たり前のことと認識しているため、新しい発見も多いのです。特に僕は色温度の設定が人とは違うらしく、オールドレンズによってホワイトバランスをカスタムしています。highspeedwideの時はこれで、noktonの時はこれなど、レンズによって黄ばみや赤みが強く発色します。つまり、レンズ交換の度に設定を呼び出しています。

生徒には、先生の空の色綺麗ですね。など思わぬ指摘を受けたりします。ただ僕もその色が好きなだけで、人それぞれでしょうって思うに留まっていました。特に色温度は常に青によっていたのですが、その根源を探していませんでした。

若い頃はシャガールの青を見たいがために九州に行ったこともありますし、そしてこのモディリアーニの青いブラウスの婦人像も息をのむほどの美しさがあるんですね。そうです、なるほど、僕の色彩は、モディリアーニの色温度です。こう説明すればいいのか。長いこと解明せずに置いてあったこと、それに納得がいく説明が見つかった時とても安心します。安堵というものでしょうか。心が晴れていきました。

そして僕の個展ではとかく自分の世界観の変化を強く印象付けたかった。あたかも変化こそが美であるというような。まるで画家が自分の絵の具で、絵を描くように。そういう主張をしたいままだったのですが、僕にはその勇気がありませんでした。まるでモディリアーニの青が僕の背中を押してくれているように思えたのです。

なんと絵の前で撮影OKの場所があるんですよね!

僕が写真を始めた頃は、とにかくレフ、そしてストロボの2灯とでライティングのことばかり気にしていました。それが時が経つに連れて保険のようにカバンに入れていたストロボは、持ち運ばなくなり、次第にピントさえも合わせなくなり、今となって考えることは何か。それはもっとも美しいブレとは何かです。こういった感じで世界観は変化しているのです。2020年7月6日から朧姿写真家(ろうししゃしんか)を僕は名乗り始めているのですが、とにかくこの作風が僕は好きでいたのに、公の場所では発表する勇気がありませんでした。何も僕がかもめのジョナサンや中島敦の名人伝の類の人間であるとは言ってませんが。とにかく僕には勇気もなく恐怖心さえもあったのです。

モディリアーニ展に行って僕が知ったこと、それは彼は短命な人間でした。(Vol.1 展示へのエナジー参照)にも関わらず彼は絵画に飽き足らず、アフリカ文化に触れてから、彫刻師となって作品を作っていたことでした。付け加えてこの展示でも彼に影響を与えていたピカソの絵が飾られていましたが、彼の場合はあまりに有名ですが、作風が劇的に変わっていっています。

中之島美術館で、僕の悩みは次々と解消されていきました。世界観の変化、それはむしろ起こって当然ではないか。何も恐れることは無いのでは無いか。何もかも思うがままに表現できる、これこそが芸術の世界ではないでしょうか。画家が自分の絵の具で絵を描くこと、これは当然のことなんです。

こうして、僕は展示へのエネルギーを得て、ようやく考えがまとまり、GWに展示を控えるにいたったのです。



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