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母の死から僕を救ってくれたのは…


2週間にわたる医学部卒業試験の1日目が終わり、2日目に向けてカフェで勉強していたとき、一本の電話が入った。

「母」と表示されたケータイの画面。

でも、電話に出たのは父だった。

「母がくも膜下出血で倒れて、厳しい状況だ」とのことだった。信じたくなかった。でも事実だった。心臓がいつもより早く鼓動する音が聞こえるほど妙に冷静だったのが、逆に怖い。

大学に手続きを確認した後、僕は運ばれた病院のある姫路に向けて新幹線に乗った。新幹線の中で、現実から目を背けるように関係ないニュースを漁るように読む。ふと暗くなった窓の外を見た瞬間に現実であることを知り、塞ぎ込む。

新幹線を乗り継ぎ、タクシーに乗って、病院に着いたのは11時頃だった。遅い時間まで残ってくれていた主治医の先生から病状説明をされた。医学生ながらにもわかる「もう厳しい状況」だった。病状は理解した。でも納得できない。

母はリスクファクターなんて何一つなかった。高血圧もなかったし、喫煙もしていない、糖尿病もない。おまけに太ってもいない。倒れてすぐ搬送されたし、初期治療もほぼ適切に行われた。文句のつけようがなかった。

だからこそこの現状が受け止めきれなかった。

「医療の役割は命を救うだけじゃなくて納得感を醸成すること」

以前、そう言った僕の心には納得感のかけらもなかった。


(これが医療の限界……)

救えない命があることを数字でわかってはいたけど、いざ身内になるときに、その重みを知る。どんなに予防していても、どんなに健康に気をつけていたとしても、どんなに副作用の少ない治療をしたとしても、病気になるときはあるし、病気になった人にとってはそれがすべてである。すべてをエビデンスで語ることはできない。一人にとってはそれがすべて。N=1問題。こんな当たり前のことを今更気づく自分が情けない。

そこから母が亡くなるまでの1週間は午前中に卒業試験を受け、午後に新幹線で4時間かけて姫路の病院に行き、意識のない母に付き添い、また朝の新幹線で卒業試験を受けに行く日々だった。辛いとかいう言葉もでないほど、抱えきれない想いと目の前の卒業試験を消化することで精一杯だった。


(……)


母が亡くなったのは、倒れてから5日後だった。2週間ある卒業試験の中日だったのは、試験への影響が少ないようにと考えた母の最期の親心だったのかもしれない。

急いで母の遺影写真を選び、葬儀の準備をして、土曜日、日曜日の2日で通夜と葬儀を終えた。そして、生前の母の言葉に励まされながら、残りの1週間の卒業試験を受けた。今僕が医師国家試験を受けて、来年から医師として働けそうな事から、試験自体は良い結果だったことがわかると思う。良い結果を勝ち取るために、受けているときは本当に必死だった。


「試験終了!」

最後の科目の終わりを告げる試験管の声が教室に響く。僕は鉛筆をこつりと置く。

試験が終わった瞬間、張っていた糸がぷつんと切れた。母が倒れてからの関東関西の往復、葬儀、卒業試験とやらなければいけないことが降りかかってきて、すべてが終わった瞬間、現実が一斉に襲ってきた。


(僕にはもう母がいない……)

その現実に塞ぎ込む日々だった。医療は母を救ってくれなかった。医療は僕を救ってくれなかった。残された家族のために、グリーフケアだの、宗教的ケア、地域コミュニティの力だのといろいろと必要性が叫ばれているが、1ミリも助けになってなんてくれなかった。正しくは、「助けてはくれた。ただタイミングが悪かった」だ。医療者も葬儀社も、付き添い、葬儀、試験とやらなければならないことが多い時、つまり「心が渋滞している時期」に声をかけてくれた。もちろんその時期の助けも大きな救いになる。そのおかげで、目の前に大量に降りかかる不安と課題を解決することができた。

でも、問題はそのあとだった。すべてが終わったあとに、一人部屋に残された瞬間に襲いかかってくる現実には、一人で立ち向かうしかなかった。本当に人生で一番辛い時期だった。



「絶望」しか感じなかった。



何が僕を回復へ導いてくれるんだろう。

「時間」が風化させてくれるのか。

「生前の母の言葉」が生きる勇気を与えてくれるのか。

「母の死への意味付け」が絶望の中にかすかな希望を示してくれるのか。


どれも救いではあった。


でも、本当に僕を救ってくれたのは、「いつもいるコミュニティ」だった。気取らなくていい、ありのままの自分を受け入れてくれるコミュニティ。彼らは僕の能力や実績だけ見ているんじゃない。もしかしたら僕が期待を裏切ったとしても、人の道に外れたことをしてしまったとしても、一緒にいてくれる人たちがいるコミュニティ。それが、僕にはいくつかあった。頼れる人がそばにいた。コミュニティにいる彼らは、僕の事情に心配して手を差し伸べてくれながら、いつも通りありのままの僕を受け入れてくれた。ただただいつも通り、ありのままの自分を受け入れている人たちによって、僕は回復していったんだ。


僕は4月から医師になる。医師の仕事は命を救うだけじゃない。もちろん命は救われた方がいいし、救われるべきだ。数百億円、数千億円使って、納得できない死がなくなるのであればどんどんお金を使って欲しい。それでも救われない命はある。そんなとき残された人たちの人生を救うことも医師の役割のはずだ。僕のように、医療の限界に納得できなくても、コミュニティがあったから救われた人もたくさんいるはずだ。いつもいるコミュニティに慰められた人、同じ境遇の人と困難を共有して乗り越えられた人、家族というコミュニティに支えてもらった人。でもコミュニティがなくて、喪失経験に一人で立ち向かって傷ついている人もたくさんいる。一歩前に踏み出せなかったり、生きる目的を見失ったり、明日を生きる勇気がなかったりしたときのために、受け入れてくれるコミュニティをみんなに持っておいてもらうことも医療の役割なんじゃないかと思う。


今の日本は、モノにあふれている。増大している社会保障費のおかげもあって、衣食住に困ることはほとんどない。クラウドファンディングに代表されるように、信用がお金に変わる時代だ。不慮の事故に遭う可能性もほとんどない。人は衣食住が満たされ、安全が満たされたとき、次にコミュニティへの所属を欲するという(Maslow’s hierchy of needs. 1943)。その次は承認欲求、そして自己実現の欲求らしい。人々が求めるのは、生理的な欲求から社会的な欲求へと時代は変わっている。

本当の意味でのコミュニティを持っている人はどれだけいるだろう?自らありのままの状態でいて受け入れてくれる。そんなコミュニティは自分が絶望の淵にいても、安全や承認を提供してくれる、衣食住を提供してくれるかもしれない。マズローの欲求の中で最も大切なものはコミュニティなのかもしれないのだ。あなたのコミュニティは、あなたが取り返しのつかない間違いを犯したとしても、居場所はあるだろうか。ありのままの自分を受け入れてくれるだろうか。真にコミュニティに所属しているということはこういうことだ。

きっとそんなコミュニティを持っている人は少ない。だから、学校で居場所のない子供から家族を失った高齢者まで、ありのままの自分を受け入れてくれるコミュニティを僕は作りたい。僕が受け止めきれなかった人には、その人にとって、きっと居場所になるコミュニティをお勧めしたい。

医学用語では、それを「社会的処方」というのかもしれない。

僕は社会的処方する医師になりたい。

(photo by hiroki yoshitomi

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