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立場の逆転が医療を変える


「え!?マジっすか」

思わず、僕は声をあげた。驚いた。

地元で「老いと演劇」のワークショップが行われるというfacebookの投稿だった。このワークショップ、東京にいた時に何度も行こうとしたが、日程が合わずに断念した経緯がある。いわば因縁のワークショップと言ってもいい。それが、兵庫県の片田舎で行われるというから驚いた。

(い、いきたい……)

と心の声が漏れる。

Facebookページからイベントページにとんで、日付を確認する。

2/10(土)13:30から 看護小規模多機能型居宅介護事業所にて

(この日程……まさか)

と思うと、嫌な予感があたった。なんと、僕の医師国家試験の日程と被っていたのだ。ガクッとうなだれる音が聞こえた気がした。でも、国家試験だから仕方ない。また機会を見つけて必ずいきたいと心に誓った。

そこまでして僕が行きたかった「老いと演劇」とはなんなのか。「老いと演劇」とは、OiBokkeShiという団体が行う介護と演劇をテーマにしたワークショップである。OiBokkeShiは、俳優で介護福祉士の菅原直樹さんを中心に、2014年に岡山県和気町にて設立された。菅原直樹さんは、もともと演劇の道で活動されていた。ふとしたきっかけで、特別養護老人ホームで介護職員として働く中で、介護と演劇の相性の良さを実感し、地域における演劇と介護の新しいあり方を模索する中で、「老いと演劇」を生み出し、全国で公演を行なっている。

菅原さんは、介護と演劇について、インタビューでこう語る。

「特別養護老人ホームで働き始めてすぐに気づいたんですね。腰の曲がったおばあさんがゆっくりと僕の目の前を歩いている姿を見て「すごい」と思ったんです。歩いているだけで絵になるというか、劇的な興奮を覚えさせられたんですね。しかもお年寄りって80年とか90年という長い人生を歩んできた方々だから、みなさんが僕の予想もしないストーリーを持っています。ただゆっくり歩いているだけで、その生きてきた時間の厚みが伝わってくるんです。これはもう俳優として僕は負けるなと、思いました。」

さらにこう続ける。

「ある日、僕がある認知症のおばあさんの前を通り過ぎたら「あら、時計屋さん」って声をかけられたんです。そのおばあさんに対して当時の僕は「いや、僕は時計屋さんじゃなくて介護職員ですよ」と事実を伝えて立ち去ったんです。でも別の日に再会したら、やっぱり「あら、時計屋さん」と言われて。その時に、「あっ、僕、時計屋さんになれば良いのかもしれない」って思ったんですね。そのおばあさんにとって僕が時計屋さんなら、一時的にでも時計屋さんとして演技をする。ボケを受け入れる演技をするんですね。(中略) 認知症でも感情はありますから、「僕は時計屋さんじゃないです」と真っ向から否定されるとお年寄りは傷つくわけです。だから、認知症のひとたちがどういう世界を見ているかを把握して、受け入れる。僕らの目には見えなくても、見えたふりをしなければいけない。つまり、演じなきゃいけないわけです。そう気づいた時に、介護職員は俳優になるといいんじゃないかって思いました。」

なんとも素敵な視点だ。老いと演劇は、演劇の力を使って、認知症を正すのではなく、受け入れる、そんな認知症の人とのコミュニケーションを楽しむワークショップである。それを介護施設で行うから妙なリアリティが出る。そんな演劇だ。


ここから先はワークショップの詳細をお伝えしたい。

と意気込んでいたんですが、残念ながら、医師国家試験と被って参加できなかったので、参加したアートディレクターと僕のお話の一部始終を紹介できれば。

「老いと演劇というコンテンツは介護施設という場で認知症を演じるからこそリアリティが出るアート作品だと思うんだ。ただの観客だったはずなのに、もしかしたら自分も認知症でベッドに寝ている立場になるかもっていう妙なリアリティがあるよね。」

とアートディレクターは面白そうに語る。観客だったはずなのに、ベッドで寝ている認知症を抱えた人の立場になるかも……という立場の逆転を含んだ表現が、どこかモバイル屋台de健康カフェと似ているなと僕は、思った。

「そうなんですね。立場の逆転というか、役割のすり替えというか。それはモバイル屋台de健康カフェも似ていて、コーヒーを配っていた人が実は医者だったという役割のすり替えがあって、それが医者を権威勾配から降ろすことにつながるのが妙に面白いんです。」

「そうだね。立場を逆転させるという意味では、モバイル屋台もアートに近いと思う。」


立場の逆転。

本来、上下の関係だったものが、あっ!と気づいた瞬間に逆転している。そういう状態だ。

教える立場だったのに、いつの間にか教えられている。

世話をする立場だったのに、自分が学んでいる。

見る側だったのに、いつの間にか見られている。

立場の逆転は、衝撃的な瞬間だ。衝撃的だからこそ人はそこから何かを気づく。

固定概念と思っていたものが実はそうではないと。

(立場の逆転は、人に新しい発見を与えてくれるのかもしれないな……)

と、僕は思った。

立場の逆転は、すでにヘルスケア業界に存在する。


千葉県を中心に首都圏に転化するサービス付き高齢者住宅、銀木犀には駄菓子屋さんがある。老人ホームに駄菓子屋という時点で、面白い。さらに、話には続きがある。

駄菓子屋さんの店員が、老人ホームのおじいちゃん、おばあちゃんなのだ。彼らはもしかすると認知症かもしれないし、要支援・要介護状態かもしれない。でも駄菓子を売っているのだ。

それに駄菓子を買う子供達が気づいた時、立場の逆転が起こる。

「あっ!老人ホームにいるおじいちゃんおばあちゃんはずっと世話をされているわけではないんだ!」と。

気づいた子供達は、認知症に対するネガティブな先入観が今の大人よりももしかするとなくなっているかもしれない。

そういう気づきが少しずつ社会を変えていくんじゃないか。僕はそう信じている。

コーヒー屋さんだったのに、あっ!と気づいたら医者だったという立場の逆転が、医者という仕事をもっと身近な存在に感じてくれるかもしれない。それが、モバイル屋台de健康カフェ。老いと演劇も同じだ。認知症を世話する立場で演劇を見ていたのに、あっ!と気づいたら、自分が認知症になるのかもしれないというリアリティが、認知症に対する視点が変わるかもしれない。

きっとすぐに医者が身近になったり、認知症に対する先入観が消えたりはしない。でも、立場の逆転が少しずつ、医療をいい方向に向かわせてくれると思う。

(photo by hiroki yoshitomi

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