見出し画像

医学生が部活と勉強だけで学生生活を終えてしまう2つの理由

「こんなにのびるのか!」と驚いた。

なんとなく、ツイートした投稿がリツイート・いいねなど多くのレスポンスをいただいた。

IBTD問題
「医学生、部活とテスト勉強だけで終わってしまう問題」

これだけの共感が生まれるということはやはり医学生は部活と勉強だけで終わってしまうんだろうか。本来のやりたいことを持ちながらも悶々としている医学生が多いのかもしれないなと思った。一体なぜこんなにバズったのだろう。


医学部は忙しいから何もできないのか

一つには時間の問題があると思う。
やはり医学生は忙しい。大学の授業実習はフルコマ入ることが当たり前だし、2か月に1度ほどの定期試験は5cmのノートを丸暗記ということもよくある。部活に入っていたら、授業が終わった後に夜遅くまで部活がある。まずこの忙しい問題を解決しないと何も始まらない。時間に余裕を持たせなければ新しいプロダクトは生まれないんだ

もしドラで有名になったピータードラッカーもこう言っている。

”最も効果的に知識労働の生産性を向上させる方法は、仕事を定義しなおすことである。とくに、行う必要のない仕事をやめることである”

とりあえずやめてみるということは、実は大きな一歩。例えば、TEC○MやME○のようなオンライン授業と変わりないただ講義を聞く形式の授業であれば、医学部の授業はかなりの部分、やめてもいいと思う。聞く形式の授業は、ネットが発達していなかった時代の遺物だと思う。せっかく集まるなら、ディスカッション形式の授業をすればいいのに、、、といつも思っていた。


ただ土日に授業があるわけではないし、実習の終了時間が夜の8時9時になることもあるが毎日ではない。同じ医学生でも国際保健をやりたい!とアフリカに行く人、ヘルスケアビジネスをやりたい!と起業する人、地域医療をやりたい!と地域活動を始める人、演劇をやりたい!と医療と演劇の活動をやり始める人がいる。アクティブに動く医学生がいる限り、時間がないからできないっていうことは、必要十分条件にはならない。

時間がないことが第1の理由でないなら、なぜ医学生は部活と勉強だけで6年間を終えてしまうのだろう。


医学部には多様性がない

以前こういうツイートが流行った。

小学校は足速いとモテる、中学は部活頑張るとモテる、高校は勉強頑張るとモテる

思い出してみてください。確かに、小学校では、足の速い子がモテた。中学高校でも勉強ができて、部活ができる子がモテた。

そう、小学校から高校までは評価軸がごくわずかなんです。

部活と勉強。

この軸からズレようとすると叩かれる。

例えば、寿司職人になりたい。
学校の勉強をせずに起業したい。

たぶん、周りの大人達にやめておけと言われることは間違いないと思う。

そうすると、よほどの信念がないかぎり、大人たちの評価に合わせて、子供達は部活と勉強に精を出す普通の生活に戻ってしまう。そうして、多様性のない環境になる。

それが、大学入ると、雲行きが変わってくる。勉強やる人はもちろんすごい。でも他の形でも評価される。長期留学する人、起業する人、スポーツを続ける人、研究をする人、アートをする人、プログラミングをする人、個性を見せて、やりたいことをやっているような人が評価される。それをやりたいと言った時に、いいねそれ!と手伝ってくれる先生や学生も多い環境になる。つまり、大学では評価軸が多彩なのだ。それを応援しようという風土もある。


では、医学部ではどうだろうか。辺りを見回して、部活と勉強以外のことをやっている人がいるだろうか?

実は、医学部の評価軸は中高時代とほとんど変わらない

部活と勉強だけ。

教授からは、部活なにやってるの?と聞かれる。東医体という医学部だけの体育大会でどこまで優秀な成績をおさめたかが重要である。大学が評価する人は、模試や総合テストの成績がいい人だ。

教授自身が学校の勉強をして、国家試験に受かって、専門医をとって、留学して、論文を書くという評価軸に沿ったことしかやっていない人が多いからだろうか。

(逆に変わった経歴の先生は変わったことを応援してくれる気がする……)

この環境では、起業したい!アートやりたい!アフリカに行きたい!と言っても、よほどの信念がない限り、反対されてチャレンジすることをやめてしまう。

もちろん、部活や勉強を頑張っている人も素敵だ。僕も高校時代、テニスに一所懸命に明け暮れて、得られたものは数知れない。でもアフリカに長期留学したい人はアフリカに行ける、起業がしたい人は起業ができる。無茶なチャレンジを応援してくれたり、評価してくれたりする土壌があるのが理想的だと思うんです。それが、ほとんどと言って、ないことが問題。

部活と勉強という評価軸から外れた人は、せっかく素敵なことをしていても評価されず、大学が決める評価軸にアジャストせざるを得なくなり、さらに多様性がなくなっていく


どうすればIBTD問題を解決できるのか

①そもそも時間がない
②部活と勉強以外の評価軸がないという多様性のなさ

IBTD問題が生じている理由はこの二つである可能性が高いと僕は思った。

解決するにはどうすればいいんだろうかと頭を悩ませた。

一つは、学生団体などの外のコミュニティに居場所を求めること。ここでは国際保健をしたい!家庭医療をしたい!留学したい!といった同じ想いを共有する人が集まるので、ありのままの自分を受け入れてくれる場となりえます。「医療系学生コミュニティマッピングを作ってみて、無意味だと確信した話」に学外のコミュニティ一覧と逆に今の意識高い医学生はもうコミュニティ入っていないことの理由を書いています。

大学内に救いの場を求める場合はどうするのがいいんだろう?

例えばこういうのはどうか。

基本的に授業はオンラインに切り替える。1.5倍速で見てもいいし、夜に見てもいい。あるタイミングでテストを行って、基準に達していれば合格である。

授業はもっと自由度を高める。
循環器の勉強がしたい人は実践的な循環器の授業を選択できる。
基礎医学を固めたい人は基礎医学の授業を選択できる。
留学したい人は英語の授業を選択できる。
演劇の勉強がしたい人は演劇の授業を選択できる。
と、自由に選択できるのはどうだろうか。

同じ関心のある人同士であれば、共感し、切磋琢磨できる環境が整うのではないだろうか。

この方法では、実質的に授業に拘束される時間は減るだろうし、その時間で他のことをやってもいいという多様性が確保される。

ここまで抜本的に医学教育を変えることは、今の教育で成功してきた教授たちを中心にカリキュラムが作られている現状では厳しい気がする。でも、学生側からもっと声をあげていけば、きっと現状も変わるはず。そう思っている。

達成するには、10年、20年はかかると思う。


まずは今何をするか。

僕は、ひとまず、アクションを起こすことにしました。

素敵なことをしているのに評価軸が少なく、評価されずに、生きづらい。そんな人のために、そのまま進んでいいんだよと応援する場を作りたい。

12/19に栃木で、そんなイベントをやることにした。


**************************************************************

今回から医療者と住民の新しい関係性を模索するモバイル屋台de健康カフェのイベントでお会いしたカメラマン"とみー"さんの写真をカバー写真に使わせてもらいました。都会の日常の切り取り方が素敵で好きです。


ここまで読んでくださり、ありがとうございました。読んだ感想をいただけると、嬉しいです。引用リツイートやDM等でご連絡ください。。 サポートについては、YATAI CAFEやだいかい文庫等の地域ケア活動費に使わせていただきます。