「経験に裏打ち」と「今まで大丈夫だったから」は全然違うよ。

「経験に裏打ちされた〜〜〜」と言うのは、とても大事。
だけど「今まで大丈夫だったからそれが正解!」というのとは全然違う。

「経験に裏打ちされる」というのは、いままで(できれば理論や考察や技術によって論理的に組み立てられて)やってきたことに対して、反省や検証を繰り返し、新たに能動的な運用(今時のはやり?で言うならPDCAサイクルってやつ?)をされたものが、その後の経過として適切だったということで、いままでなんとなく繰り返しやってきて、たまたま結果的に失敗しなかった(失敗が見えなかった)というのはまったく意味あいが違う。

例えば遊びの野外活動というものについて、そんな高確率で事故に合うものはないわけで、その事故を拾わなかったから過去を振り返って「経験に裏打ちされた」というのはそりゃあまりに都合の良い解釈。もっと言えば事故やヒヤリハットに気づくことがなかった(気づけない)だけで、むしろ不適切な思考のせいで、安全と逆方向に作用するバイアスがかかってる可能性も多分にありえるわけです。

「今まで何事もなく大丈夫だから大丈夫なんだよ」という話をあちこちでよく聞きますが、そこに(論理的な)バックボーンや主体的な検証がなければ、そりゃ裏打ちされたものではなく、「今まで運が良かったですよね」っていう話。

ただ、意識していなくても、いままで積み重ねてきた時間から学ぶものは決して少なくないのもまた事実。いかにその過去の時間を有意義な経験にしていくのかは、やはり本人次第だったりするわけ。

そのために記録というものが大事になるわけです。いままでの体験を明確な記録のもと客観的な事実として、しっかり検証、反省して次回につなげることができるからです。

ちなみにぼくはこれが超苦手(笑)なので、マスクマウントカメラなんてものを導入しています。見直すのに時間がかかるのは仕方ないですが、それ以上にいままでの自分の視線をもう一度見なおして、自分のしていることを客観評価できる。これだけでもたいへん大きな収穫です。やってるつもり、できてるつもり、こうだったはずという思い込みを軽く吹き飛ばす有無を言わさぬ現実だったりします(笑)

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