秋空の下、芽生える競争心と膨らむ行動力

9月は秋なの?夏なの?
熱中症への警戒心が尾を引く9月上旬、汗ばむ空の下で子供たちとアイスを頬張りながらそんな会話をしたっけ。
時は10月目前になり、明け方は随分とひんやりした気温で寝起きの布団が心地よい朝を迎えられるようになった。
晴れた朝は爽快で、仕事がない日は今日はなにをしようかとみなぎる行動力と共に勢いよくカーテンを開ける。

ーよし、やりたいことをしよう。

やりたいことは目の前にあること。
その中から選べるということ。
いま私が暮らす世界は個ではない世界で、仕事、家族、子供たち、と“自分事”以外のことが五月雨式にやってくる生活。とっぴょうしもないやりたいことなんて浮かばなくて当然で、手を伸ばせば届くところに散らばっている“ちょっと好きなこと”がやりたいことの種だと、私は思う。

私の手の中にあるのは、祖父が生前使っていたフィルムカメラだ。
写真好きだった祖父は、写真好きだった父にカメラをゆずり、父の血を受け継いだ私は極自然な流れでそれらを引き継ぐことになった。
このカメラたちを使って、写真を撮りたい。
何十年も前に祖父や父が撮っていたように私も。
デジタルやオートの時代に感化されてしまった私がどこまで祖父に追い付けるだろう?こんな勝手な競争心を空の上の祖父がが知ったら“なんとまぁ”と笑うだろうな。
けれどいま、この小さな競争心と、趣味にとことん邁進した祖父へのジェラシーに似た感情が私の背中を押している。

勢いよく開けたカーテンの向こうはひんやりと冷たい窓。
朝露がフィルターみたいに太陽の光を柔らかくしていた。
秋がきたんだ、と改めて気づく。
窓を開け棚引く鱗雲の空にレンズを向ける。
微笑む祖父を想像し、カメラのシャッターをきった。




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