つづける、くるしい。でも。

ぼくは、なにかを「継続」するということがとても苦手だ。
ぼくという人間は「継続」という言葉の対角線の先、一番遠いところにいるんじゃないか、と思うことさえある。

でも、考えを巡らせてみると、継続できていることもあることに気付いた。

デザイナーのお仕事を5年間以上やっている。あっという間だ。
コーヒーは毎日最低1杯は淹れている。おいしい。
観葉植物には毎日葉水をあげている。かわいい。

🤔 🤔 🤔

ん?なんだ、続けてるじゃないか。

これは紛れもない「継続」だ。
これを継続と呼ばずになんと呼ぶのだろうか。

継続はできている。
じゃあ、ぼくが苦手意識を持っていて、できないと思っていることの正体は一体なんなんだろうか。

画像1

ぼくが続かない・できないと思うことは大体「あつくなれるなにか」が欠けている。それは、誰のためになぜやるのかといった目的意識かもしれないし、愛する気持ちやワクワクする感情かもしれない。

その証拠に、上で挙げたような、本当に好きで続けているものには「続ける」という意識がないのだ。あるのは「続いている」という事実・結果だけ。

継続しようと思ったことができていない時、ぼくの頭の中にあるのは大体、やると言った自分の姿を否定する心であったり、あの人はできているのに自分はできないのか、などといったネガティブな言葉たち。

継続することを目的にしてしまっている証拠だ。だからなんとも言い逃れできない状況に対して、できない自分を闇雲に否定して、人と比べて、気持ちが落ちてしまうのだ。仕舞いには「三日坊主」や「続かない人」などと自分をカテゴライズしてレッテルを貼り、正当化しようとしてしまう。暴力的な思考だ。

🌞 🌞 🌞

「継続(する)」という言葉は、結果や状態に対して使うべき言葉で、本当に「継続」しているものはその言葉を意識の外に置いた時に、生み出された点の連なりのことを指すのかもしれない。

言葉をあえて意識の外に置いても打てる点には、きっと「あつくなれるなにか」があるんだと思う。これを読んでいるあなたにも。

なので、少しずつでも良いから、これは一体自分が本当にやりたいことなのか、問いを立てる練習をしてみてほしい。

その時にうまく点が打てていれば、きっと長い人生で大事な線になることでしょう

よろしければサポートお願いします!