「環境」としての本

ぼくは本を買っても全然読むことができない。
読んだ本よりも積ん読の方が多い。

本屋さんで表紙や帯を見て買う。
Twitterでフォロワーが勧めてて買う。
そうしてぼくの部屋には読まない本が増えていく。

ぼくに「読まれない本」達に罪悪感や羞恥心を感じていた。
もしかして、ぼくは罪を買っているのだろうか。

かといって、それを解決するわけでもなくなんとなく日常を過ごし続けていたのだけれど、ひょんなことからある言葉を聞き目覚めることができた。

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私たちは、いつでもその本を手にとって読める「環境」を買っているのだ。

意図せず偶然もらった言葉だった。ハッとした。

そうか。読んで得られるものだけを買っているのではなく、読みたい時に本を手に取ってすぐに読める、という「環境」を手に入れているのか。それは読む前に感じることのできる本の価値だ。

そこに感謝し満足することで、読めないことへの罪や不安を洗い流すことができた。

なにか課題を感じた時、そこに向かって習慣や仕組みを変える行動を起こすことは、そりゃ解決につながる。その一歩がなかなか踏み出せずにいたぼくに「トンッ」と優しく肩を叩いて別の道を指し示してくれたのかこの言葉だった。「できないからやれるようにする」という行動至上主義的な考えではなく、今ある状況は本を手に入れる前とどう違うのか、という別の観点で評価することで、これまでとは違ったスタンスで本と向き合うことができるようになった気がする。

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音楽を聞いたら、必ず感想や気持ちを言わなきゃいけないわけでもない。ただそこにあることで気持ちが楽になったりいい気分になったりするでしょう。なら本だって同じ。「環境」としての本を楽しんでも良いんじゃないかな。

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