大学職員からWEBエンジニアに転身した話(2)

記憶の薄れないうちにと言っておきながら、2週間近く経過してしまいました笑

このペースだと忘却の彼方へ行きかねないので、さっさと核心の話題へ入ります。

■私が大学職員という安定を捨てた3つの理由

①営業が向いてなかった

ありがちな理由ですね笑

でも自分の中では本当に向いてなかったなと思います。

数字に対しての目標意識がそこまで高くない組織だったからこそ今日までやってこれました。

実際、私は1年目はノルマ無しで2年目以降ずっと目標数値と言う名のノルマがありました。

しかし、2年目も3年目も未達。3年目に関しては8割ぐらいしか達成できず、ボーナスも減りました。

でも良いんです。減るだけで無くなりはしませんから。

居続けるだけで毎年500万ちょっとのお金がもらえるなら、我慢して働こうかなと。そんな思いを持ちつつ早3年。

営業向きじゃないと思う理由は色々ありますが、強いて1つ挙げるのであれば迷いなく「ステークホルダーの広さ」を選びたいです。

1社の取引で目標達成できるなら、そこまで関わるお客さんの数は増えないでしょう。しかし、私の組織では有りえません。

数百万から数千万に至る大口クライアントと、数万から数十万単位で毎年あるいは単発で取引が発生する小口クライアントの積み重ねが欠かせません。

大口だけ通っていても、案件が消失した時のダメージは計りしれず、小口ばかり回っていては工数がいくらあっても足りない。そういう中で営業は色々作戦を考えて1年間動き回ります。

私は500万もらえればそれで満足ぐらいのマインドで動いていたので、正直そこまでまともに考えたことはないです笑

ただ、やはり考えて動く人とそうでない人との成果の差は歴然としていました。前者はいずれマネージャークラスに登用されるんだろうな薄々感じる節があります。

少し話が逸れましたが、ステークホルダーが広いことで何が不都合なのか?

それは、多くの企業の担当者に顔を売ることと、案件化していくための関係性構築を同時進行でやっていかなければならないということ。

「そんなの営業なら当たり前でしょ?」と思われたことと思います。

私にはその当たり前がとっても辛かったです。

あくまで持論ですが、幼少期から現在に至るまでの交友関係が物語っているような気がします。

人と仲良くなっていくペースは遅めで、大勢でワイワイというよりはクローズドな環境で内輪話をしながら盛り上がるタイプでした。

なので、大学では最初こそサークルに入ったものの、長続きしませんでした。

そんな中で唯一ゼミは心の拠り所でした。

どの授業よりも濃い時間をメンバーと過ごすことで楽しい思い出を作り、今でもたまに飲みに行く間柄です。

そんな私が月に1回か2回しか会えない人とビジネストークをしたところで、面白くもなんともないのです。

他の案件との兼ね合いもあるので、1つの案件にぎゅっと集中して取り組むこともできず、目標数値達成のためにクライアントの無理難題を飲んで提案することばかりで、ただの御用聞きみたいな状態になっていました。

業界的にも成熟しきっており、ローコストな教育サービスが色々と出てきていることを考えると、かなりうちの組織も苦境に立たされているように思えます。

待遇を優先するあまり、自分が得意としない領域をメイン業務とする職種に就いてしまったのが、バッドエンドの始まりだったのかもしれないですね。


2つ目の理由は「組織の外で評価される市場価値の高い人間になりたかったから」です。続きはまた次回にしたいと思います。

ご覧いただきありがとうございます。








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