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証明/かみさまであふれる昼下がり

 子どもたちの通う保育園は、キリスト教主義の保育園で、毎月の保育目標にも、その考え方が反映されている。
 息子が1歳の時、その月の1歳児の保育目標が「神さまの存在を感じる」とあって、それってなんかめちゃくちゃ難しいんじゃないのか、と思ったものだ。それに、目標が達成できたかどうやってはかるんだろう。

 娘にとって、絵の具で絵を描くということは、実際は絵の具をまぜ、どんな色ができるか確かめることであり、そして、その色を紙にしみこませることだ。今度は、その紙をちいさくちいさく折りたたむ。色水でびしょびしょになって折りたたまれていく紙を、私は、はらはらとあきらめの気持ち両方で見つめている。気を失う準備をしている気分……

 と、この時のことを思い出しながら書いていて、あ、と気が付く。娘は、1年前の夏に保育園でした染め紙を再現していたのだ。担任の先生から、気に入って何枚も何枚も挑戦しましたよときいていた。実際の染め紙は、折りたたんだ紙を色水に浸したんだと思うけど、おそらく絵の具をしていたら、思い出して途中から染め紙になったのだろう。
 子育てには、時間差の気づきが多い。

 娘の手の中でびしょびしょの紙は、もはや団子になっている。今度は、その団子が動物の赤ちゃんに見立てられ、にゃーにゃーわんわんと声をあげている。絵の具…からのジェネシス(創世記)。

 ところで、我が家の絵の具は、赤と青と黄色と白しかない。当初は、12色入りの絵の具を用意したのだけど、小さかった子どもたちは結局全部まぜて茶色にしてしまうから。絵の具ぐらい好きに使わせてあげれば、とすでに孫ボケという名の境地に達した私の母には言われそうだが、まあ、実際その現場を見たら、4色でいいやろ、ってなると思う。
 なので、子どもたちは、この4色の大きなチューブから、ほしい色は自分で混ぜてつくるしかない。

 私のはらはらのとなりで、絵の具経験を積みつつある息子が言う。画用紙一面に、筆先で点々と色をつけながら「これは、足跡の神様の絵」。お、タイトルもつけるのね。今度は、描き方はそのままに、黄色とピンクで縞模様をつくる。「これは、しましまのケーキの神様」。夜の空の神様と、夏の山の神様には僕の手形も押すわ、と神様が描かれていく。そして、ふいにこう言った。
 「ばあたんがひとりぼっちでさみしいから、さみしくないよって神様の絵をあげようと思う」。

 5年ごしの証明。


※補足:保育目標は、子どもたちにどのような保育をしていくか、という保育園・保育士にとっての目標のことで、子どもが達成する目標のことではありません。

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