「海猿」原作者さんのNoteを、スピリチュアル視点で受け取るとわかること。

 うまくタイトルが付けられないのだけど、佐藤秀峰さんの率直な感想を読んで、なぜ今、どうしてを私なりに解説しました。

 当時、いわゆる映像化された時は超多忙な時でまったく見ておらず。物語自体に興味がなかったからもあり。今は再放送とかで少し見ました。なので、あれだけ映像化された後に放送を許可しないって? よっぽどなにかあったんだろうな?とは思いました。

 今回も原作者さんがここまで赤裸々に書くというのは、本当に嫌だったし、深く傷ついて現在も癒されていないのでしょう。
 
 なぜと思う方も多いかもしれません。

 でも「それが起きている時」の諸事情で「嫌だ」と思いきれなかったりは誰にでもあります。その過去の「嫌だった」を「NO」という行動として始めるというのは相当の覚悟がいると思います。ご本人も書いてらっしゃるように、出版・映像にかかわっている関係者、ファンのことを考えてもあったでしょうし。

 でもいったん我慢した事でも、その嫌さがあふれ出てしまい放出せざる得ない、それでも癒されきれず残っていて、また同じような状況を見たり聞いたりすればその残っていた痛みや思いは出し切るまで残ってしまいます。
 人間は痛みが「学びの時間であること」のお知らせみたいなものなので、その原体験に近い経験でしか、学べないしくみのようです。

 最悪といつも思ってましたw セッションで説明や励ましを受けながら、私がどれだけセラピストさんにこのどうしようもない、抵抗できない、悔しい、悲しい思いをぶっつけたか! 

 これは私がセラピーで学んだことでもあります。

 自分の痛んだ感情を何度も感じ、その感情を出し切るためにくり返し「なんらかの体験」をし、やっと解放することができる。

 理不尽なしくみとしか今だに思えないです。

それを前提として、佐藤氏はその癒しの過程の中にいると思われます。

末端の身ではありますが、出版業界もTV業界も映画業界も少し知っているので、佐藤氏の発言は理解できます。

 今回、主演の伊藤英明さんの当時のことまで言及されたのは、やはり当時の「痛み」の大きな原因のひとつだったからだと思います。日本社会ではこの手の対応が「大人げない」といった評価をされがちですが、自分を健康な精神状態にするために「流さなきゃいけない大きな問題」の解決は、そこで新に受ける傷よりも必要なことなのです。

 伊藤氏の佐藤氏にコメントに対する対応を読みましたが、あれから役者さんとして海外活動へ挑戦したり、人間力が必要な経験を重ねたようですし、いろいろ進化されていると思っていたのですが、佐藤氏が不快な思いをしたことへの言及がなかったことで、当時の伊藤氏の対応がまた強化された気がしました。これは映像化に関係した人たちも含むですよね、実は。
 当時の伊藤氏の対応はやってしまったことは仕方ないこととして、やりなおせるチャンスを実はもらったのですよね。スピリチュアル視点では、実は佐藤氏は伊藤氏に手を差し伸べていたのです。
 私も加害者側としての同様な経験があるため、今回わざわざ佐藤氏が伊藤氏について言及したことに注目しました。

 こんな風に人には方向転換をすべきタイミングが人生で何度も何度も用意されています。本来の自分の進むべき道からはずれた時、新たな道を進む時など。
 そのタイミングをはずすと、次があってもさらに高いハードル(痛みが強い状況を引き寄せる)で、提示・経験されますので、お心当たりのある方は早めにご対応くださいw 経験者は語るです。

 自民党や旧ジャニーズ事務所や松本氏の件が、それです。
彼らは何度も危ういことや止め時があったはずなのです。

 

 

 

 

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