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「魂の望む道」は何があっても選んでしまう、BTSメンバー見ていると納得。

 書きたいことがたくさんあって、でも、スピリチュアルな関連が多いし、BTS関連も批判的なことが多いし、ぜんぜん明るくないし、読み物としてはどうなんだろうか? 連投って迷惑だろうな? と思いつつも、書きたいんだから書きます。相済みません。

4月9日 3時22分頃に、皆既日食を伴う「牡羊座新月」なんだそう。そりゃ、ざわざわするわ。

 しっかりスピリチュアルな話です。

 昨日はいくつかの情報により、韓国という国とBTSについては、深く深く思うところあり。もう、現状ではそっちに進むのねぇなのですが……。

 一方で、
[EPISODE] SUGA | Agust D TOUR 'D-DAY' in SEOUL - BTS (방탄소년단)
 を観れば、また熱いなにかがよみがえってきてしまう。

 先に結論を書くと、彼らにとって最終目的は個々で違うと思うけど、アーティストであることで自分たちの役割を果たして行く、ってことで必要なことだって、魂(なんかどこかわからないけれど、深いところ)、心と体(感覚)が納得している。それが「魂が望む道」であることを。そういう意味では迷いがないのだと思った、と言う話。

 私が一度「魂の望む道」を歩んでいたと思っていたのに、休止してしまいそれを一旦おいてスピリチュアル修行していたので、彼らがとてもうらやましいと思っている(市井の人でもそういう選択している人がたくさんいるけど、彼らは圧倒的に分かり易い!)。これだ! これです。という感覚が、欲しいのです。それは昔経験していたんだけど。それは「来てみない」とわからないとのこと。準備も予測もできない。

 今、SNS上でARMYのTL読んでいて、シュガが体調悪いのをおしてステージに立ちつつけるのも、Vが「ユンギヤ」と叫んだ後恥ずかしくなってしまうほど、シャイであること、他メンバーも何かしら都度内的な問題を抱えていたり苦手な意識があったりすること。外からの干渉や妨害もたくさんあって思う通りにはいかないことが成功した今ですらあること。そういうことは、いくら地位も名誉もお金も手に入れても彼らにとっても変わらずある、に気づいた。それを克服しつつ、それに抗いながらもBTSであることを選び続けるということに。
 「魂の望む道」は、それをやらないことの方がもっと苦しくなってしまうようなことだそうです。やらずにはいられないこと。

 彼らが稀有な才能を持っているから選べている、進めている、とついその痛みを傍観者はスルーしがち。才能がずばぬけてある人たちは、そんな小さな苦手意識なんかは、ささいなことと思えてしまう。しかし、それは彼らにとってもなかなか克服できない痛みであったりしたとしても。
 スピリチュアル系セラピストである、我が師匠の教えによると、その人の魂の望む道、本質が望むこと、その人の今世の役割というような要素がドはまりすることは、もうそれをやらないではいられない、ということ。

 例えば、どんなに条件がよく、人から見れば楽そうな仕事や環境でも、その人の魂が望むものでなければ、苦痛でしかない。そこに喜びはない。いや、それを社会的概念や他人からの評価で「自分は幸福である」と思うかもしれない。それで一生を終える人もいる。

 反対に、成果が得られず、自分が向いてないかも、とか、苦しいことが続くかもしれないと思っても、それをどうしても選んでしまうのがその人の「魂の道/望むこと」であること。

 それを続けられること、気は付いたら続けていたこと、がひとつの目安だそうです。

 BTSメンバーは、わかりやすい例であり、成功しているからこそ納得もできる。でも、彼らが成功者であると世界中が認めても、100%問題がない、ということではない。多分、少しづつ問題は複雑になり、ハードルが高くなっていると思う。

 昔だったら軌道修正もしやすかったことも、今やもっと複雑で多岐に影響する問題となっている。影響を与える範囲も程度も段違いになっているはず。パフォーマンスで返すだけでは、世間が満足しなくってしまった。

 それでも彼らはBTSとしてこれからも進んで行くのでしょう。

 つまり、我が師匠が私に教えてくれた「魂の望む道」を選んだ人たちの分かり易い例でした。

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