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憲法記念日に観る「虎に翼」は格別。志を高くもつということ。

Charlie YoonによるPixabayからの画像 
判決文や寅ちゃんの言葉から、浄化→蓮を連想してしまいました。


 今朝はBSから2回見ちゃいました。

 ネタバレするし、私の解説なんかで余計なイメージ持ってほしくないので(と言って多少は書いてしまう)余計なことは書かないようにはします。

 なんたって、今日は公判の判決が言い渡される日ですから、みなさんの期待度も高かったと思います。

 昭和前半のあの時代は、検察官も裁判官も壇上で横並びに着席しているので、なんか仲間内で裁判しているような錯覚起こしちゃって、桂葉裁判官(松山ケンイチ)が、検察官に対して注意をしたところは、すかっとすると共にかすかに違和感がありました。その後脚本家の吉田さんのツイートで知ったのですが

 今日は、主要キャラはよりドラマチックに、支える人たちはそれぞれの個性が際立ち、ちょっとした演出がとてもとても印象的でした。寿司屋の笹山さんの粋なはからいや、書生の笹田くんの相変わらずのユーモラス・パートなど。
 この人たちすべてのスピンオフ作品ができそうです。

 そして最後に、今後につながる重要シーン。

 今日の1話を見ていて思うのはいつのころからか、「志を高く持つ人」を意識系とか揶揄したり、経済面で成功すれば人格や品格なんて関係ないという風潮。
 志なんてすんごく高くなくていいと思うのです。
 身の丈にあったささやかなものでも。それを「こだわり」といって、いつからかそれを持つ人々を蔑むようになってきたように思います。

 「こだわり」というのなら、ネトウヨでもヘイターたちでも良いのか、というとそれは違います。「志が高いこと」であること。
 志が高い、というのはどういうことかは、それぞれで答えを見つけてください。というのは、そんなこと必要ないと思っている人が多いと思うからです。
 今の世の中、日本に限らず「志高い」と、とっても生きづらいですから、当然だと思います。

 でも、でも、それでもそれを持つことが、「人間で在ること」の証しでもある気がします。

 今の世の中、自分たちの欲望の為なら老若男女かまわず殺してしまったり、見えない傷ならなにを言ってもいい、というのがなにか「良い」ことにように思っている人がいて、そしてそれを支持する人がいます。支配欲で得たものは真のパワーにはなり得ないのです。

 私も昔は自分さえよければいい派でした。人には私には関わって欲しくない、関わりたくない。今でも実は思っています。価値観が大きく違う人たちには。そんな私、社会人不適合者でも、志は私のレベルで高くありたい、と多分生まれる前から決めてきたと思います。 
  寅ちゃんのように、その志、魂の道を迷わずまっすぐ行ける人は、ああやって偉業をなします。簡単な道ではないですが、いわゆる魂・心・体が通っている人は進むためのエネルギーを無駄使いせず、そそぐことができるだろうと思います。

 そんなことを20年近く、エネルギー・ワークのセラピストさんに学んできました。やっと、少しわかるようになってきました。

 そんな時、あるNoteのコメントで「エネルギー」について、触れた内容を揶揄されました。その方は、私の書いた文の主旨を理解はされてはいないでしょう。大きく違うのは、例えば寅ちゃんが「無駄なこと、厄介ごと」と思っても、本人がそれを関わりたいと思うなら、それは本人が選んだ道で「必要なこと」だから良いのです。
 でも、その本人とは遠いところで起きているけど本人にはエネルギー的に影響する、ということがあるのです。要するに、本人がそっとしているものを回りで掘り起こしてしまう、というようなこと。
 そんな時は、負のエネルギーが掘り起こした人たちではなく、その本人にいってしまい、より深刻な影響を与えてしまいます。それは可視化できないことなのですが、負の連鎖とでもいいますか。
 ま、そのしくみをわかっているか、否かです。

 ここ一週間、仕事とか社会のごたごたとか、他にもあったコメントの内容とか、私にとっては言い返せないストレスフルな一週間でした。

 そんなこともあり、「寅に翼」は私にとっては大事な朝のルーティン・ワークとなり、ゆれがちな私を自分を軸に戻してくれます。

 志を高くもつこと、それ自体がなんだかお守りのように感じています。
 
 でも、わが師は、
 それも「人それぞれですから」とおっしゃると思います😊

 


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