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「異端」な僕にとっての「一般」との壁

「やってしまった...意図せずして相手を傷つけてしまった。」

実はこういう事が普段からよくあります。というのも実は僕はいわゆる異端児=とても変わった人と言われるから。どうしてこのような事が起きるのかというと自分がコミュニケーションが不器用だからです。...というのもあるのですがだいたいの場合これが起こるのは、一般の人と話すときだったりもします。これは僕が個人的に感じている一般の人との価値観の弊害の話です。

「君さ、普段一般大学の子と話が合わなかったりしない?」

そう言われたのはとある企業の社長と話していた時、一般大学の友人がいるという話をした時に聞かれた質問です。僕は少し考えて首を縦に振りました。そのあと社長さんに「実は俺も感じたんだよ。そういうのって社会にでたらいっぱいあるよ。」と言われて価値観がおかしいのではないと感じて安堵しました。僕がこの違和感を感じ始めたのは大学3年生になりたての頃だった。2つのチームの代表を任されたこの頃から本格的に活動が忙しくなって来て、同時に高校からの友人と話がたまに全然あわなくなった。

僕は仕事ファースト、世間はワークライフバランス

そのひとつは仕事の案件が充実して楽しいと感じるようになったが、友人にとってはただ忙しいだけにしか見えないのである。僕はしたいことで忙しい=めっちゃ楽しいと感じるのですが、価値観が違うから全然共感されない。共感を求めて口に出してる訳ではないが、「え、なんでそれたのしいの?しんどくない?」と言われると正直ショックである。それはもう楽しかったのが吹っ飛ぶくらいに...。この結果、ブラック思考と思われることもしばしばあります。僕はクリエイター活動はすごく楽しいものだと思っています。「自分が作ったもので見た人が感動してくれるの最高じゃない!?」と思ってもそれをしたことない人にとっては当たり前だけど魅力が全然伝わりません。それがすごく悲しく感じます。このような事は社会でもたまにあります。というのもデザインの分野だと「こんなのが何百万?こんなの俺でもできるわ。」と思われがちなのです。最近はクリエイターと一般の人の価値観が少しずつ埋まってるのかな、と思うような部分もあるように感じますがまだまだ理解されるのは時間がかかりそうな気がします。

僕は基本的に仕事ファーストな人間です。チームの代表を2つ任されているだけでなく、授業の課題のチームもありますし立場上色々と任されることが多いです。そのため何かの事を考える時間がとても多いです。最近は働き方を考えるような社会の動きがあるように思います。そこでよく耳にする考え方として、「Work-Life balance」という言葉があります。それに合わせてみると僕の生活はバランスが取れているとは正直言えません。世間的には僕のようなライフスタイルを「Work as Life」というのかもしれません。これは落合陽一さんが考えている理想の働き方です。僕は仕事=チームの1部として活躍し、その結果人を喜ばせることが出来る事、を楽しいと考えています。しかしそれが社会の総意じゃないことも理解しています。僕が「異端」と言われる所以はまだあります。

僕の仕事は時間が不規則

「Work as Life」と繋がる話なのですが、もう1つ共感されないことがあります。仕事が楽しい=働くことが苦ではないことから、僕は常にチームのことを考えて生活をしています。たまに考える事は最近だとご飯とダンスの事くらいです。急に物事を頼まれることもあればその場で作業したり、その現場に行ったりなんて事もあります。急な用事や出費があると友人の予定にいけないなんて事もあります。普段だと無理してでも行こうとするのですが、どうしてもいけない場合もあるのでそれはしょうがないと思って断るのですが...。大学の友人なら予定が合わせやすかったり理解があったりするのですが、高校までの友人だとそれが辛かったりします。それはしょうがないと言えど無理に遊ぼうとする自分が悪いのでその都度反省をします。僕はいろんな場所で関係を持っているのでそこでの人間関係は全部守ろうとしてしまいます。正直大変と思いつつも、関係を壊したくないので頑張るのですが結局どこかで保てなくなります。しばらくは無理せずに自分の手の届く範囲の人を大事にしようとしてきたのですが、今日久しぶりにやってしまいました。ある程度理解のある人だと「次は気をつけなよ」と言ってくれるのですが、理解も共感もなかなか難しいです。

僕は基本的にイエスマンで欲張りの異端児なので、相手のことを考えすぎたり自分を出せずに遠慮したりして、自分で損して後悔する事が多いです。誰かを傷つないようにと考えすぎて、無理ばっかりして結局手放してしまう哀れな自分を叱って欲しいです。いつも自分で傷ついて後悔してばかりですが、過去は変えれなくても未来は変えれると信じて、僕はまた歩き始めます。これからも僕は自分の手が届く人たちを大切に生きようと思います。

本当の僕を信じてくれる人は必ずいる。

僕がこの話を通して伝えたいことが2つあります。それは「クリエイターと一般の人の壁を出来るだけ減らしたい」と「自分を普通じゃないと責める必要はない。普通じゃなくても大切にしてくれる人は必ずいる。」という2つです。クリエイターの活動は実は私たちの生活の中にあります。しかしモノづくりやコトづくりは一般の人にとってあまり理解されにくいです。僕は一般の人にしろクリエイターの人にしろ価値観で見る前にまず相手を理解してあげる事が大事だと考えています。そうすればお互いに理解のある接し方が出来るような気がします。そして自分が異端だと思っている人に向けて言いたい事が誰かと合わなかったからといって、自分を責める必要はないということです。どんな人でもちゃんとした気持ちがあれば大切にしてくれる人は必ず現れます。僕は人生の中で自分を責めて異端である事に苦しんでいた時期がたびたびありますが、その時でも手を差し伸べてくれる人がいました。僕はそういう人達のおかげでいまこのステージに立っています。もし今あなたのしている活動が誰かに否定されて悩んでいても、共感や理解をしてくれる人が来ることを信じて自分らしく頑張ってみてください。(むしろ僕が肯定します)

最後になりましたが、こんな変な僕に共感や理解してくれる人達、いつも困っている時に手を差し伸べてくれる人達、ちゃんと叱ってくれる人達へ、いつもありがとうございます。あなた達のおかげで僕は今も僕らしく生きることができています。これからもよろしくお願いします。

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