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頑固親父の焼鳥……惜別の春

4月ですね。

街には着なれないスーツ姿も初々しい新社会人がたくさん。
なんだかキラキラして見えますよ、諸君。

いい出会いもたくさんあるでしょうし
辛いこともそこそこあるでしょうが
どうかめげずに頑張ってください。

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ぼくはといえば
こういう季節になると決まって思い出す店があります。

スーツこそ着てなかったけど
新入社員として希望や野望に胸ふくらませ
とある出版社に勤務し始めた頃。

優しく指導してくれるものの、
仕事そのものには妥協を許さない厳しい先輩がたくさん。

徹夜なんかは当たり前、の時代でしたし
慣れない仕事の連続にだいぶ疲れてきた頃……。

普段は接することのない営業部の部長が
飲みに誘ってくれました。

きっとよっぽどしんどそうに見えたんでしょうね(笑)。

連れて行かれたのはオッサンしかいない焼き鳥屋。

ゴマ塩頭の怖そうなオヤジがカウンターに一人。
ガラスケースに整然と並べられた串は
若造の品定めを拒むかのよう。

扉を開けるやいなや
ドンドンッ!
と鳴らされる太鼓。

着席し皿を出され黙って盛られる生キャベツ。
今でこそこのスタイルは珍しくなくなりましたが
いわゆる博多式焼き鳥はこの頃
東京ではほとんど知られていなかった。

もうなんか心臓はドクドクいいはじめるし
落ちつかないし部長とはほとんどしゃべったことないし。


やがて供される串。
もんのすごく細い豚バラにレバー。
いずれも小さく切った玉ねぎが挟まれている。

とにかくいろいろ怖いので黙って食う。

おっ!

これは旨い。
このサイズこそベスト、と思わされる細さ。
玉ねぎの辛さと食感が後を引く。

弱めの炭火で丁寧に焼かれたそれらは
チェーン居酒屋の焼き鳥しか知らなかった若造には
感動以外の何物でもない。

独特のあっさりダレがかかったキャベツは
シャキシャキした歯ごたえとともに
口中の脂を一瞬で洗い流してくれる。

こういうことだったのか。
すごいな、キャベツ。

部長はゴマ塩親父と楽しそうに談笑しているが
委縮しまくりのぼくは
この日ほとんど言葉を発することもなく
店を後にした。

が、
どこか琴線に触れるところがあったというか
単純に串の数々が旨かったってのもあって
ほどなく同世代の友人と再訪。

もちろん鳴らされる太鼓。
ドンドンッ!
威圧感あるなぁ、もう。

なんとなく
「お前の顔は見覚えがあるぞ」
というゴマ塩親父の一瞥の後、恒例のキャベツ。

ビールを頼み
今日こそはいろいろ旨いもん食ってやろうと
意気込んで注文すると一喝!

「黙って待っとけ」

痺れました。
やっぱ来るんじゃなかった、と本気で思いました。

それでも親父が出してくる串はどれも旨い。

そうこうするうちに二軒目と思しき酔客が2名。
扉を開けた彼らを見たゴマ塩は
「ごめんよ。満席だ」
にべもない。

少し酔ってきてもいたので勇気を振り絞って尋ねる。
「おじさん、めっちゃ席空いてるじゃないですか」

ゴマ塩
「あんなに酔ってて味がわかるわけがなかろう」

ぼく
「あはは。そりゃそうだ」

ゴマ塩
「もう少し飲めそうだからお酒にするか?」

ぼく
「いいんですか!」

出てきたのがコレ。

口の細いコーヒーケトルのような大ぶりのヤカンから注がれたお酒は
大人になったような晴れがましい気分とともに
胸と胃袋に染み渡った。

その後ゴマ塩は
「食べたいものがあるか?」
と初めて訊いてくれ、
とんでもなくぶ厚いシイタケを塩して炙っただけの串や
信じられないくらい熟成の進んだ
濃密な味の牛タンを食わせてくれたのだった。


かくしてぼくは以後20数年、その店の
カウンターの一番奥を指定席とすることに。

最初の5年は食い方と飲み方でまぁ怒られた怒られた。
「もう腹いっぱいだろ。次にしな」

次の5年は
「お、【また】いい女連れてご来店!」
とリア充活動を邪魔され(笑)。

最後の10数年は
懐かしい年の離れた友人のように迎えられた。


途中で大病をし休んだゴマ塩が
復活したと聞き顔を拝みに行ったときのこと。

「おぅ大将。久しぶりだな」

といつもの辛めの軽口は出るものの
どこか柔和で、というよりも弱弱しさを感じ、

この店でいつまで飲めるかな……

と思ったものだった。

それからも折に触れ訪れてはいたが
決して頻繁に、というほどではなかった。

でもきっと今でも
若造に酒の飲み方と旨いメシの食い方を
仕込んでやっているに違いない、
そう思っていた。

ゴマ塩の前で飲むのはぼくにとっては
なかなかに幸せな時間だった。

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つい先日、
桜並木に花びらが舞うなか
「久しぶりにゴマ塩の顔でも見てやるか」
と足を向けたのだが
あのやかましい太鼓はそこにはなく
小奇麗にリフォームされ
シャレオツな餃子専門店に生まれ変わっていた。

もちろんゴマ塩の姿はない。


検索してみると2014年6月閉店とあるではないか。
しまったなぁ、そんなに来てなかったか。


そうか、そうだったか。
親父ついに力尽きたか。


ゆとりボーイたちには向かない店だったし(笑)
いい潮時だったかもね。

お酒も三杯以上は飲ませない
みたいないさぎよさだったしな。
とくに閉店の知らせはどこにもしなかったってのも
ゴマ塩らしいや。

常連さんによるとゴマ塩は
どうやら元気に生きてはいるらしくひとまず安心。
もう怒鳴ったりせずに孫と楽しくやってください。

黒田巌さん
長いことお疲れ様。


今となってはとくに役に立たない思い出話なので
日記には入んないか。


大好きだった 戦国焼鳥 家康本陣@神保町
惜別の念を込めて。


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