見出し画像

ダニエル7章の幻は「終末期限定」であるという証拠

この記事ではダニエル7章の時系列を再検証します。

《海から四頭の大きな獣が上がって来た。それぞれ異なる姿をしていた。》ダニ 7:3

そして続く節で、獅子と熊と豹が紹介されます。そして7節で実在するどの獣にも似ていない非現実的な獣が登場します。

《この後、私は夜の幻を見ていた。すると、第四の獣が現れた。それは恐ろしく、不気味で、異常に強く、大きな鉄の歯があり、食らい、かみ砕き、残り を両足で踏みにじった。これには、前に現れたどの獣とも異なり、十本の角があった。》ダニ 7:7

この第四獣は前例がない、特異な特徴として10本の角があると描写されます。
注目すべきは、「私は夜の幻を見ていた。すると、第四の獣が現れた」とあるように、神はダニエルにその出現時から、十本の角を持つ獣の幻を見せておられるということです。そしてそれは、後から起こった10人の王だと説明されます。

《十本の角 それはこの王国から立つ十人の王であり・・》ダニ 7:24

ここで「立つ」と訳されている原語は「クーム」で、例えば他にダニエル2:39でも使われているように、「起こる、生じる」という意味の語で、後に生じる変化です。

一匹の体なのに10本の角がある=1つの国体に10人の王がいる=合衆国?という変化を遂げるということです。他の獣については、角の数は言及されていません。

よく言われているように、そこから派生して分裂した国が、それぞれの統治権を持つようになった(ヨーロッパ諸国?)のであれば、その描写は、複数の「角」ではなく「ひょう」の場合のように10の「頭」あったと表現されているはずです。

《その獣には四つの頭があった。そしてそれに主権が与えられた。》7:6

獣自体に統治権があるのは言うまでのないことで、「それ」とは4つの頭のことです。 敢えて付け加えている理由は各頭にそれぞれ別の主権が与えられた。ということです。
(1)カッサンドロス将軍 ― マケドニアおよびギリシャ。
(2)リュシマコス将軍 ― 小アジアおよびヨーロッパのトラキア。
(3)セレウコス・ニカトール将軍 ― バビロニア,メディア,シリア,ペルシャ等
(4)プトレマイオス・ラゴス将軍 ― エジプト,リビアおよびパレスチナ。

ここでも「ひょう」つまりギリシャは登場時にすでに4つの頭があると記されていますので、歴史上最初の登場を描いているのではないことが分かります。

10本の角については、その意味が追加情報として詳述されていますが、すでに存在している角の成り立ちを説明しているもので、7章の第4獣は、ダニエルの幻に登場してから、10本が生えでた訳ではありません。

その後に生じた変化は、「小さな角」に関する描写です。

明らかに7章の幻のスクリーンに描き出されたシーンは、かつてそれぞれの国が順に台頭して来ることを示した8章とは、視点が全く異なるということです。

つまり、そのスタート時点は、第4獣にすでに10本の角がある段階からの幻だということです。

そして「豹」も登場時からすでに4つの頭があります。
では、そのスタート時点は、時系列的にいつ、どの時代なのでしょうか。

続く節を読み進めれば明らかなように、ダニエル書の4頭の獣は、歴史の登場時を扱っているのではなく、もっぱら神の審判の日、つまり終末期に限定されてることが分かります。

これらの獣で表される国は確かに歴史の上に台頭してきましたが、このダニエルの預言の舞台は、終末期だということです。

つまり、この預言は現段階で未だ成就しておらず、何も生じていないということです。

この時系列を読み取れないために、様々な教団教派が、この10本や3本角を歴史上にそれを探し求め、ヨロッパ諸国の国名をあげるなどして、頓珍漢な解説に陥ってしまっているのです。

これから、その「終末期限定」であるという証拠を、黙示録の記述と比較しながら検証してみましょう。

《海から四頭の大きな獣が現れた》7:3
《これには十本の角があった。》7:7

「海から」現れます。この描写も終末期に限定されます。

《一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。》黙示13:1

(四頭と一匹の違いについては、後で詳述します)

《第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国と異なり、全土(「全地」新共同訳、「全世界」口語訳)を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。》7:23

ローマはその誕生以来、終末期以外の時期、全土を食い尽くしたことは歴史上ありません。

《その角を私はよく見ていた。すると、それらの間から、別の小さな角が立ち現れ、先の角のうちの三本が、そのせいで抜け落ちた。この角には人間の目 のような目があり、口は尊大なことを語った。》7:8

《その頭には十本の角があったが、さらに一本の角が現れ、そのために三本が倒れた。この角には目があり、尊大なことを語る口があって、その姿はほ かの角よりも大きかった。》7:20

《十本の角、それはこの王国から立つ十人の王であり、その後にもう一人の王が立つ。 彼は先の者たちと異なり、三人の王を倒す。》7:24

まだ成就していないので10の構成国も分かりませんし、倒される3カ国も当然不明です。

《裁き主は席に着き、巻物が繰り広げられた。》7:10

「人の子」のような者が天の雲に乗り「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み》7:13

《この角は尊大なことを語り続けていたが、ついにその獣は殺され、死体は破壊されて燃え盛る火に投げ込まれた》7:11

最終的には燃え盛る火に投げ込まれて滅ぼされます。

《獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者どもは、惑わされていたのであった。獣と偽預言者の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。》の黙示録19:20

《しかし、裁きが行われ、彼の支配権は奪われ、破壊され、滅ぼされて終わる。》7:26

《これら四頭の大きな獣は、地に興る四人の王である。しかし、いと高き方の聖者たちが王国を受け継ぎ、永遠に、代々限りなくその王国を保持する。》7:17,18

《彼はいと高き方に逆らう言葉を語り/いと高き方の聖者たちを疲弊させる。 彼は時と法を変えようとたくらみ 聖者たちは、一年、二年と、半年の 間/彼の手に渡される。》7:25

この記録も終末期及び、キリストの再臨の際に生じる出来事です。

聖書預言を調べるにあたって、もっとも重要なのは「時系列」を整えることです。
基本的にヨハネは西暦1世紀の人であり、そこで見聞きした事柄を記しています。
しかし、アポカリプシス(啓示)を与えるために、様々なビジョンを見聞きさせるため、「主の日」つまり終末期に(霊的に)連れてゆかれます。

しかし、黙示録は、西暦1世紀と終末期、そして千年王国に関する期間中の3箇所にスタンディングポイントを置き、それ以外の歴史上の出来事には言及していません。

端的に言えは、西暦1世紀以降、終末期+千年王国までの中間の歴史は直接的な聖書記述とは無関係であると断言できると思います。

それは、70周年の預言に如実に現れています。

69週と最後の1週は、西暦1世紀から、終末期まで一気に飛び、聖書預言時計は停止したままで、その間の出来事は預言とは無関係であり、国も年数も王も同じです。

異論のある方がおられるなら、実際にこの観点に立った上で、それまでの先入観を捨ててすべてを精査し直してみるなら、合点がゆくことでしょう。

さて、後述すると述べておいた、4頭の獣と1匹の獣の違いについてですが、これについてはダニエル2章の記録から見る方がわかりやすいでしょう。

《一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と陶土の足を打ち砕きました。 鉄も陶土も、青銅も銀も金も共に砕け、夏の打穀場のもみ殻のようになり、風に吹き払われ、跡形もなくなりました。その像を打った石は大きな山となり、全地に広がったのです》2:34,35

「人手によらずに切り出された石」とはキリストの王国です。

このキリストによる裁きの執行の時点で、像の各金属はすべて存在しているということです。つまり終末期には、それまでの統治の残存勢力としてすべて揃っており、この時初めて一斉に滅ぼされことになっているということです。

そしてこの2章の巨像の預言もまた、終末期限定の預言です。

関連記事:





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?