見出し画像

ハルマゲドン考察 1ー その戦いは行われない という聖書的な根拠

今回は「ハルマゲドン」について聖書に基づいた考察を行います。

最初にハルマゲドンに言及している黙示録16:12-16を引用しておきましょう。

「第六の天使が、その鉢の中身を大きな川、ユーフラテスに注ぐと、・・・ 竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た。
これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。それは、全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた。」(新共同訳)

ハルマゲドンに関しては、様々な解説などがあり、またいわゆる「キリスト教」や聖書について全く知らない方でも、聞いたことのない人はほとんどいないのではと言えるくらい、良く知られているようですが、聖書が実際に述べている意味で理解している人は、逆にほとんどいないのではないかと思います。

良く言われているのが、「戦争を終わらせる戦争」「世界最終戦争」「人類絶滅戦争」「第三次世界大戦」などですが、これらは皆、曲解です。
では、ハルマゲドンとは何でしょうか?

ここで専門家による一般的な説明を引用しておきましょう。
以下は著名な日本のプロテスタント系の聖書解説家 久保有政氏による解説の抜粋です。

『ハルマゲドンは「メギドの丘」という意味で、イスラエル北部の地にあります。ガリラヤ湖の南西四〇キロくらいの所です。
古くから、雌雄を決する戦闘が行なわれてきた戦場としても有名で、世界最終戦争もここで行なわれることになります。・・・
これは地名ですから、厳密には「ハルマゲドンが起きる」とか「ハルマゲドンが来る」という言い方は、正しくありません。「ハルマゲドンで戦争が起きる」「ハルマゲドンの戦いが起きる」等と言うのが正しいのです。 [ 略 ]ハルマゲドンの戦いは、聖書に予言された終末の「患難時代」と呼ばれる期間の、最後の出来事として起きます。』

ーレムナント 1995 年 7 月号よりの抜粋

「ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所」という記述についてですが、誰のどの解説でもほぼ 100%「メギドの山」を指すと説明されています。これを断定的に述べている人もいますが、多くは「・・・と考えられている」などとして、確かな根拠に乏しいことを認めています。

聖書中に「メギド」は単に地名として、あるいは「メギドの谷(ヘ語:ビカ)」(歴代第二 35:22、ゼカリヤ 12:11)と、谷を伴って使われています。
このヘブライ語の「ビカ」は「谷もしくは平原」という意味の語です。
そして、ヘブライ語の「ハル」は例えば、シオンの山(ハル シオン)ホレブ山(ハル ホレブ)のように確かに「ハル」は山を意味する語です。
ちなみに申命記 12:2 には「山(ハル)や丘(ギバ)」という表現があるように「丘」という語もちゃんとありますから、メギドの「丘」という表現も間違いです。

それで、エルサレムには確かにメギドの谷もしくは平原はありますが、メギドの山というものは存在しません。実際のメギドが山ではないために、その辺を曖昧にぼかすために「メギドの丘」とか「丘陵」という表現も見られますが、そうであるなら、それはヘブライ語で「ギバメギド」と表記されるはずです。

ここで、今日実在する「メギド」の様子を掲載しておきましょう
広さは 100 ヘクタール弱です。

以上のことから、一般解説によれば「ハルマゲドン」はヘブライ語のハルとメギドに由来するヨハネの造語もしくは音訳に基づくギリシャ語表記された固有名詞と言う事になります。
(しかし、そもそも、この「ハルマゲドン」がメギドの山を指すという解説が本当に正しいのかという聖書的な疑問、論点については、「ハルマゲドン考察 3 ーメギドではなくシオン」を掲載する予定です。)

いずれにしても「ハルマゲドン」という場所は存在しませんから、ハルマゲドンは比喩的な地名、あるいは象徴的な場所の名前と捉えておくのが懸命なことでしょう。

また先に引用した久保氏の解説の「古くから、雌雄を決する戦闘が行なわれてきた戦場としても有名で、世界最終戦争もここで行なわれることになります。・・・」という下りですが、このメギドが神と王たちとの戦争であるという黙示の記述との関連性を示すために、古代から、幾たびか決着を見た戦場であるという史実にその説明の信憑性を持たせていますが、この解説ももまた、普遍的となっているものです。

例えば、wikipedeia では、「ハルマゲドン」の項目にこのような説明がなされています。

「メギドは北イスラエルの地名で戦略上の要衝であったため、古来より幾度も決戦の地となった(著名なものに、トトメス3世のメギドの戦いなど)。このことから「メギドの丘」という言葉がこの意味で用いられたと考えられている。」

ここに代表的な例として紹介されている「トトメス3世のメギドの戦い」について少し見て見ましょう。

このメギドの戦いの碑文はエジプトの、カルナック神殿の壁画の中に見いだされます。

その碑文の解析によれば、 この戦いは、第18王朝のファラオ、トトメス3世の軍隊とシリア・パレスチナ地方の都市国家カデシュの領主が率いる軍隊との間で行われた戦いで、メギドの町は7か月の攻囲の末に陥落し、エジプト軍の勝利に終わった。というような内容になっているそうです。
内容の真偽はともかく、こうした聖書以外の考古学的証拠は、聖書理解、解釈の「参考」として採用する分には少しもやぶさかではありませんが、聖書の解釈の「根拠」とするのはどうかと思います。
やはり、聖書の記述は、聖書中の記述をもって理解できる限界に留め、それを持ってして、ここまでは言いうる。それ以外は「あるいは、かも知れない」というジャンルに格納すべきものでしょう。

それで、メギドに関する聖書そのものの中の記述を見る限り、目立って注目するほどの出来事が記述されている部分があるとは言えないだろうと思えます。
メギドが全世界の王(支配者)と神との戦争という未曾有の出来事が行われる舞台として選ばれる理由と思える記述は聖書中に見いだされません。

さて、次にこの記事のタイトルに関する、ハルマゲドンの戦いは、いつ戦われるのか、そもそも戦いは行われるのかという点に注目したいと思います。

「ハルマゲドン」という語は冒頭に引用した黙示 16:16 の一箇所にしか登場しません。
要約しますと、第六の鉢をそそぐと、竜、獣、偽預言者の口から、汚れた三つの霊が出て、それらは全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるため出て行った。そして獣、王たち、軍勢とが、馬に乗っている方とその軍勢に対して戦うために、集まっているのを見た。

記述はここで終わっています。
つまり、戦うために集まっているの見た。だけで、戦いが行われた事も、その様子や勝敗などについて何も記されてはおりません。
この後の記述は最後の鉢が注がれ、最終的に大バビロンが滅ぼされる記述と思われる最後の裁きが為されます。

では、「ハルマゲドンの戦い」は一体どうなったのでしょうか?
その結末が黙示 19 章に記されています。

「わたしはまた、あの獣と、地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗っている方とその軍勢に対して戦うために、集まっているのを見た。
しかし、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者どもは、惑わされていたのであった。
獣と偽預言者の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。
残りの者どもは、馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥は、彼らの肉を飽きるほど食べた。」

黙示 19:19-21 新共同訳

19節の内容から、これが16:14の「戦う目的で集まった」という記述と同じだということが分かります。 他の翻訳も同様に訳出しています。

戦いを挑むために、結集している(岩波翻訳委員会訳)
戦うために集められた(前田訳)
戦争をするために集まって来るのを見た(新改訳)

ギリシャ語原文を見ますと、「戦う」という動詞は無く、「戦争(名詞)」を「起こす」となっています。

しかし次の 20 節を見ると、実際には戦いそのものは行われることなく、直ちに逮捕され、キリストの「口から出る剣」つまり有罪宣告と同時に死刑執行が行われている事が分かります。

結論ですが、聖書が明確にしているところから言えば、「ハルマゲドン」の「戦い」は行なわれず終わる。と断言することができます。

それ故に、それが、一般に言われているような「最終戦争」とか「戦争を終わらせる最後の戦争」であると断言できる根拠も見いだせません。
なぜ、ハルマゲドンについてそのような理解がなされているのでしょうか。
その根拠となっているのはどのようなものなのでしょうか?
これに付いては、次の記事「ハルマゲドン考察 2 ーいつどのタイミングで起こるのか?」をご覧ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?