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湘南から、小さな山村へ移住してみて。


神奈川生まれ、神奈川育ち。潮の香りがあるところが、僕の居場所だった。

はじめまして。こんにちわ。お久しぶりです。
平澤洋輔です。

高校時代の遊び場は江ノ島。
結婚式は江ノ島の展望台。
散歩は江ノ島がみえる海岸まで。

そんな生粋の湘南ボーイだった僕は、2017年に大好きな湘南を離れて、移住した。
移住した先で待っていたのは田舎暮らしは、何一つ想像とは違うことばかりだった。今日は、そんな湘南から小さな山村に移住した僕のストーリーを公開してみます。



1.なぜ移住したのか。

大学卒業後に、「有名人と仕事できるかもしれないし、なんかカッコよさそうだから」という理由で飛び込んだ広告業界。大御所タレント、女優、俳優、アイドル、お笑い芸人、などなど、数多くの著名な方々とお仕事させていただいたり、著名なクライアントさんとお仕事させていただいたきました。一緒に写真撮ったり、サインをいただいたり。当時の事務所が麻布にあったので、夜の東京でたまに遊んだりして。漠然と抱いていたイメージを達成しながら、とても充実した20代を送っていました。
小さな会社だったので、個人で売上目標を立てて、それを達成して、また個人で目標を立てて。ということを繰り返していく日々。
でも、いつしか今の仕事にある程度の満足感を感じるように。

そうなると、自分はここにいてもこれ以上の成長が見込めないのではないか、と考えるようになっていった。
もっとこうした方がいいのでは?こんな風にしてみたら面白いのでは?そんな感情を抱くたびに、今の立場ではできないことが多くなってきて。

もっと上流から考えたい。より本質的な広告コミュニケーションを学びたい。世の中を動かす仕事がしたい!
次第に僕の中で勝手に熱が高まり、「広告業界にいるなら、ここで仕事しなきゃ!」と思い立ち、クライアントでもあった超大手広告代理店に転職した。

そこで出会ったのが、一次産業。
転職したのは30歳だったが、今まで生きてきた中で一次産業に出会うことはなかった。
なんとなく知っていた農業や、聞いたこともなかった林業など、一次産業系のクライアントの担当になった。
自分にできるか、という不安よりも、純粋に知らなかった業界だったので、面白そう。そう感じることができた。

農業って面白い。いや、むしろ、自分の食べるものを自分で作るってかっこいい。林業って50年100年スパンで仕事するのか、めちゃくちゃスケールがでかいな。漁師ってこんなにたくさんの魚獲るのか、すげえな。
そんな感じで、日々カルチャーショックを受けまくって、次第に、一次産業に興味を持っていった。そうすると自然な流れで地域にも興味を抱いていた。
広告を制作するために取材や撮影といっては、色々な地域を訪れ、色々な方に出会ってお話を聞いていくうちに、自分が地域にいたらどうなんだろうと思うようになっていった。
(その間、上司からお前はいつも遊びに行って、、、といじられてました)

(特にこちらの組織には色々な意味でとてもお世話になりました!)

広告コミュニケーションの本質とは、何か。
という問いに対する答えは見つかっていないけど、対象となるヒト・モノ・コトが生まれる瞬間に近いほうが、より本質的なコミュニケーションができるのではないか。そう考えるようになりました。

それから、地域に飛び込むことを前提に、取材した場所と自分のできること、やってみたいことを掛け合わせてみて、岡山県の西粟倉村に移住することを決めた。
選んだ理由は、西粟倉村が一番面白そうだったから。
そんな単純な理由で、移住してみました。
(当時のマインド的には移住というより、お引越しに近かった)
(そもそも、3人目の子供が生まれたタイミングとか、結構大きな決断だったんですよ)

当時から、地域というキーワードは盛り上がっていて、この決断は、職場の先輩たちからも最先端の選択!とか言われて、勝手に気分良くなっていた。
そして、2017年の春に、この小さな山村に移ってきた。

2.待っていたのは、過酷な生活。

移住を決める際、春に新築の村営住宅ができると聞いていた。(移住を決断したのは、2016年の秋)
産まれたばかりの赤ちゃんを伴っての移住だったため、この情報にはかなり前のめりになっていた。
ただ、春が近づいてもなかなか情報が入ってこなかった。話を聞いた当時は春に入居できるということだったが、あれよあれよと延期になり、最終的には7月に入居者募集となった。
とはいえ、移住を決めてしまったし(1ヶ月間、毎日送迎会を開いてくれた諸先輩方にも伝えてしまってし)、マンションの売却のこともあり、4月に西粟倉村へ行くことは覆せなかった。
なので、まずは古民家(といえば聞こえはいいがいわゆる古い住宅です)に一時的に住むことになった。
移住した先の住まいは5Kの平屋。

この村では、春に大量のカメムシが発生する。
新居の玄関には屋根裏への移動を可能にするため天井がなかった。それに屋根裏の窓が壊れていた。
そのせいなのか、玄関に大量のカメムシが来訪。
慌てふためく嫁と子供。
そのカメムシをペットボトルに回収する僕。奴らは後方に逃げる癖があるので、後ろからそっとペットボトルの口を近づけると、吸い込まれるように入ってくれる。いつしか僕はカメムシマスターになっていった。
(写真がカメムシ。西粟倉ではガイダと呼ばれている)

古民家は隙間や穴が多く、色々な虫が僕らに会いにやってきた。
カメムシをはじめ、ムカデとか、ハチとか。
新生児には恐怖でしかない。
夏には引っ越すこともあり、リノベーションなんてする気もなく、我慢の日々を続けた。「これが地域の洗礼か!」とさえ思った。

カメムシのシーズンが終わる頃、次のお客さんがやってきた。
ネズミだ。
地域の活動で、道路愛護デーという、道路の草刈りをする日がある。
近くに住むおじいちゃんに連れられて、嫁の友人(すぐに友達ができるうちの嫁は本当にすごい)の旦那さんから借りた草切り機を担いで、道路の草を刈る。とにかく刈る。終わると、参加者には、ビールと菓子パンが配られる。
その日は慣れない草刈りでかなり疲れていたので、菓子パンを台所に出しっ放しのまま寝てしまった。
翌朝、パンが棚の上に置いてあり、一口かじられている。
家族に聞いても、誰も食べていないという。
「まじか」
そう、それが我が家とネズミの戦いの始まりだ。

翌日から、食べ物は全て扉付きの棚にしまった。これで安心と思っていた。
そしたらしばらくして、村で油を作るアブラボさんの油のキャップがかじられて、油がこぼれていた。
「まじか」
美味しい油は、ネズミさえも引き寄せてしまう。まさかネズミから油のクオリティの高さを再確認させられるとは。

さらに、嫁の実家はお米を作っているので、我が家は定期的にお米を送ってもらっている(いつも感謝です)。それが届いた日、流石にこれは大丈夫だろうと思って、米袋をそのまま置いていたら、翌朝、米袋がかじられ、米が散乱していた。
「まじか」

すぐさま、ガムテープで塞いで、念のため引越し時に余っていたダンボールにしまった。これで大丈夫だろうと思っていた。
けど、翌朝、ダンボールがかじられ、ガムテープもかじられ、米が散乱していた。
「まじか」
そんな感じでネズミとの格闘がしばらく続いていた。

隣家のおじいちゃんやおばあちゃんは素敵な方が多く、地域に溶け込む、みたいな部分での辛さは全くなかったが、生き物や、虫にこんなに翻弄されるなんて、思ってもいなかった。
7月が、待ち遠しかった。

3.快適な生活と、田舎らしい過ごし方。

2017年の夏に、ようやく新築の村営住宅に引越した。
木材が多く使われたこの住宅は、家の中はまるでログハウスのようで、部屋中に木の香りが漂っている。
窓もちゃんと閉まるし、断熱材があるので暖かい。
マンションに住んでた時と同じくらい、快適だ。

ただ、日当たりがいいせいなのか、いくつかある村営住宅でも、うちの棟だけはカメムシが大量に発生する。
「こんなに好かれるのか?」と戸惑うほど、西粟倉での生活はカメムシが常にセットだ。


湘南に住んでいた時は、自治会に入るとか入らないなんて知らなかったし(実はマンションとして加入してた)、ハロウィンと餅つきくらいしかイベントがなかったし、集まりに参加することもなかった。
でも、こっちでは、地域の集まりとか、出事はかなり大事。(こっちというかほとんどの地域では大事ですよね)

引っ越し後の年明けに、家からすぐのところでどんと焼きをやっていたので、娘(次女)を連れてふらっと立ち寄ってみた。
村に来て日が浅く、さらに夏に再度引越しをしているので、知り合いはほとんどおらずの状態だったけど、おばあちゃんたちは快く迎えてくれた。
すると役場に勤めている面識のある方が話しかけてくれた。
その後ろには、ちょっと怖そうなお兄さんたち。
なにやら、僕に話があると。
「消防に入らんか?」

消防団という組織があることは、こっちに来てから知っていた。
特に僕の住む村営住宅のあるこの地区は、「あそこは大変だぞ」と言われる程の評判で、実際に声をかけてくれた方々も怖そうだった。
けど、持ち前のフロンティアスピリッツが先行し、二つ返事で、「やります!」と答えた。
「次の15日に点検があるから、来いや」と言われ、生まれて初めて消防団の集まりに参加した。

消防の集まりに参加すると、比較的若い人たちが多く(20〜40代)、フランクに話せる雰囲気だった。新しいモン好きなのか、さまざな角度からイジリがきたが、ことごとくかわしていくと、今までにないキャラだと受け入れてもらえた(気がした)。
ここの人達はとにかくいじる。ボケを拾う。突っ込む。
それはある意味暖かさなんだと思う。

この村には、夜空いているお店がほとんどなく、飲む場所がない。
だから、消防の集まりは、僕にとってとてもいい時間になった。
毎月点検後にみんなでお酒を飲む。(ちゃんと点検してからです!)
そして、村の情報を教えてもらう。
真面目な話もするし、終始くだらない話の日もある。
わいわいするのが好きな僕には、この地区はあっていたのかもしれない。
感じ方は人それぞれだし、捉え方も人それぞれだけど、僕にはとても居心地がよかった。

(写真は、西粟倉村で開催された裸祭りの警備をする消防団の僕、と裸祭りに出場する@hada_tomohiro

この地区の消防団に入ると、必然的にセットになるのが、「粟倉神社獅子舞保存会」への入会だ。
これも生まれて初めて。獅子舞は今までみたことはあったけど、やったことはない。
面白そうなことは一度やってみないと気が済まないタイプの僕は、これも二つ返事で、「やります!」と答えていた。
本番前の1ヶ月から、週に3回の練習を重ね、舞の練習。初参加の僕は笛と、獅子の尻尾を持つケツモチを担当。
練習の甲斐もあって無事に終了。なんとも言えない達成感。

(クラシカさん、お借りします)(こちらでは笛を担当しています)

消防や獅子舞の集まりは、僕と西粟倉を繋いでくれる大切な存在になっていった。自分の居場所だと感じるようになっていた。
私生活は、新たな住居と、周りの方々によって、充実していきました。気づいたら、田舎らしい生活に馴染んでいました。

(獅子舞終了後に、村長と)

4.突然の退職と起業。

私生活は、住まい環境の改善と地区とのつながりがうまれ、西粟倉村における自分の居場所ができてきた。
ただ、移住の決め手となっていた仕事の方はどうだったのか。

前職の上司も認めるほど、僕は本領を発揮するのに時間がかかるスロースターター。(移住の際にも、上司から、「焦るなよ。ゆっくりでいいんだから。」と声をかけてもらいました。最高の上司。)
表面的なアジャストはすぐにできるが、本質的なアジャストにはどうしても時間がかかってしまう。
ましてや、超一流企業から来た!なんて肩書きもついて回るため、仕事を楽しむことよりも、成果を出すことに必死になっていた。

僕が入社した会社は、一次産業である林業から派生した企業。
そして同時期に多くの人材が採用されていた。
メンバーは本当にバックグランドがバラバラ。
大手自動車メーカーの環境担当、蝶々栽培キットのビジネスオーナー、経営コンサル、新卒、ギター部品の特許を持っている地域おこし協力隊、某アウトドアブランドのEC担当部長、会計ソフトの営業兼広報など(他にもいたらごめんなさい)、色々な人材が集まったタイミングでした。

そんなメンバーと入社した僕は、マーケティングチームとして、事業のアウトプットを担当することに。ということで、全ての事業にコミットが求められるという中、<建築><うなぎ(養鰻)><メディア><ローカルベンチャー>と、もはや初見の方からすると、つながりがみえないようなそれぞれの事業の横串を刺す作業に、フルスロットルの日々が続く。

多様なメンバーは、村にいるスタッフや、都会からの遠隔など、働き方も多様。これまで、会って、話して、プロジェクトを進めきた僕からするとこのやり方はまさに未体験ゾーン

東京のスタッフとの距離感や、外部スタッフとの距離感、さらには他部署のスッタフとの距離感など、これまで味わったことない問題が次々とやってくる。
「誰かの当たり前は、誰かの課題になる。」
今までの常識が誰かの非常識だったり、同じ言葉でも使い方が違ったり、やり方も進め方も違ったり。多様性という言葉を大事にすることで、その多様性にしばられていく。そんな毎日だった。

やがて、各事業の担当部署が出口も担当するという経営判断がくだされた。
マーケティングチームは解散となり、僕は広報という形で、いわゆる経営企画をおこなうチームへ異動となる。

2017年の冬に、西粟倉村が、日本で初となる自治体ICOの研究に着手、というニュースが流れたが、そのチームの一員になった。

西粟倉のICOについては、こちらをご確認いただければ。

(要するに、地方自治体がこれから生き残るために、国からの支援じゃなくて自治体自身が資金を集められるようにするために、仮想通貨をつかってみよう!という、かなり攻めのプロジェクトでした。)

チームに加入したのは、まさにこれから!というタイミングだったので、ICOの勉強もしつつ、どんな未来がいいか、をチームで考える日々。
元弁護士、元コンサル、元広告代理店という、3者の視点は見事に異なるのだが、その異なりを楽しめる雰囲気があった。

広告業界出身として、マーケティング担当という位置付けで、フルコミットさせていただき、いい感じでムーブメントを創れてたと思ってました。

それこそ、ICOと村という、こんな掛け算が成立するのか!?という面白さは、地域2.0とでも呼びましょうか。多くの方々とお会いして、多くの共感をいただいていました。

ところが、、、

まさかの展開。

突然の退職。

突然の起業。

経緯は上述の山田くんの記事を見てもらえたらと思うのですが、
個人的な見解は、
「ふざけんなっ!!(怒)」
ですね。

広告業界にいた時から、大義がない筋が通らない、みたいなことは大嫌いで。経営判断と言われてしまえばそれまでですが、そこに大義はあるのかと。それがなかった(あえていうと僕には見えなかったし、感じられなかった)ことが、退職のキッカケ。

仕事って、お客さんでも、社内スタッフでも、どれだけ背中を任せられるかってところがすごく重要だと思ってて。つまりチームとして動けるかということ。ありそうな言葉だと、信頼関係ですよね。
それがない会社だったんだなと。

まさか仕事で西粟倉にきたのに、1年半でやめるなんて、思ってもみませんでした。


5.それでも、村に留まった。

まさかの展開が起こったのは、2018年の8月。
一緒に起業した@nek0426は岡山県津山市、t_umezawaは兵庫県姫路市、これからは西粟倉とは関係ない地域で仕事をしていく流れの中で、あえて村に留まったのは、こどもの学校関係、妻の交友関係、そして僕の地区との関係でした。

前述した粟倉神社の獅子舞は、この激動の中で練習を繰り返したし、すぐに村を離れるという選択肢はなかったですね。
なんか、逃げるようで、それこそ家族や地区の仲間に対して筋が通らない。

でも、西粟倉の会社から離れることで、逆に地域との繋がりが強くなった気がしたし、何か吹っ切れた感じがした。
(コワーキングスペースを貸してくれたnottuo百森、ありがとう!)

起業後にはしっかりと自分を見つめ直すことができ、色々と挑戦してみようと思い、田舎の中山間地でもお洒落を!という考えから、#村人スナップという企画をやってみました。

SNSは苦手分野でしたが、InstagramやTwitterなどをちゃんとやるようになったのも面白い発見でした。

仕事は苦しかったけど、こんな感じで自分の人生に遊び心を取り入れることができてきました。昔友人に言われた、「永遠のピータパンみたいだよね」って言葉を思い出し、僕のキャッチフレーズになりました。

そして、思いの外、「村人です!」というワードが結構使えて笑

岡山市に打ち合わせで行くときも、「2時間かけて上京してきました!」ってだけで、「おおっ!」ってなった。

いつしか、「面白い村人」「おしゃれな村人」というポジションを確立していきました。


6.そして、西粟倉村を卒業

振り返ると、色々な出来事があった西粟倉村での生活ですが、
この度、GWをもちまして、卒業させていただきます!

卒業の理由は色々あるのですが、家族で話し合って、これから先の家族の幸せを考えての決断です。
西粟倉村のみなさん、お世話になりました。

そして、この5月から、同じ県北の真庭市にお引越しします!
真庭のみなさん、宜しくお願いします。

これからも永遠のピータパンとして、楽しく過ごして行きたいとおもいます!!

どうぞ宜しくお願いします。


7.まとめ

これは、僕が移住を経験した立場から、これから移住をする方、検討している方へのまとめになります。
あくまで個人的な見解なので、正解も不正解もありません。ただ、これから移住を考えている人は、ぜひ見てもらえたらと。
このあたりはもっと深掘りしてみたいと思ってます。
(すでに移住している人は読み飛ばしてやってください!)

●住まいは本当に大事。
 家が心休まる場所であるって、生きる上でとても大切です。
 当たり前を大事に思える、いい機会になります。

●敵を作るな、仲間を作れ。
 感情やイメージで発言すると、すぐ敵ができます。
 でも、正面からぶつかると、仲間になります。
 都会でもそうかもしれませんが、地域ではより強く感じます。

●編集するな。
 よく、地域の情報を編集して…なんて言葉を聞きますが、
 そんなことしなくていいです。
 編集することで、大事なモノを失います。
 (※ソトコトの指出さんも編集とおっしゃってますが、指出さんの
  いう編集は、掛算=企画です。ここでいうやめたほうがいい編集とは、
  悪い部分を切り取ってしまうことです)

●自分と向き合う。
 これは移住しなくてもできることですが、特に移住してからは通勤時間が
 短くなるので、自分の時間、家族との時間を考える時間ができます。
 その時間をつかって自分が何を大切にしたいのかをちゃんと考えるのが
 おすすめ。
 自分の正義をみつけてほしい。

●新しい挑戦に出会える。
 時間に余裕ができたり、自分を見つめ直すことで、新しい挑戦が
 見えてきます。そこで見えたことにチャレンジすることで、
 自分の幅が広がります。その挑戦を楽しんでください。

●人生に、遊び心を。
 これは、僕のモットーなんですけど、地域との関わりにはこれがすごい
 大切だなーと。勝手に斜に構えて、壁を作って、みたいなことってどこに
 住んでてもあると思うんですけど、せっかく移住したなら、そのハードル
 を下げてみる価値はあります。

●ネガティブはコンテンツになる。
 会社を辞めたり、人口1500人の村に住んだり、一般的にはネガティブな
 情報かもしれないけど、視点を変えればそれがコンテンツになります。
 あなただけのコンテンツが手に入るチャンスです。

大体が当たり前のことなんですが、
その当たり前をちゃんと受け入れることが今の時代、できていないのでは。
少なくとも、僕はできていなかった。

色々ありましたけど、西粟倉村に移住してみてよかったです。
いままでにない経験をさせてもらいましたし、
素敵な方達とつながることができました。
ありがとうございました。

あと、これは移住関係の施策を考えられているお国の方へ。

・お金あげるから移住しろってすごく乱暴。
(だからちゃんと移住後のケアも施策に取り入れてみては)

・成功例と失敗例をまとめて、移住2.0をやりましょう。
(よければ、お手伝いしますので、ぜひお声がけください!)

・ちょっと前に移住した人にも、お金ください
(タイミングが違うだけで、もらえないって。。。悲しいですよ)


8.さいごに

思いがけず、振り返るたびに文章が追加され、気づいたらとんでもない長さに。。。読みやすさとか、読み手の気持ちを考える、みたいなことまで意識できず。。。
そんな長文・駄文にも関わらず、最後まで読んでいただきありがとうございます!!
そんなあなた、これからも是非仲良くしてください!!

twitter:@yochang0467
Instagram:yosuke_hirasawa
facebook:平澤 洋輔

よろしければ、ぜひ、繋がりましょう!

最後に。
僕の好きなミュージシャンの曲に、こんなフレーズがあります。

「変わり続けるのさ。変わらないために。空に漂う雲ように。」
                             by caravan

この言葉、僕にピッタリだなーって。
これからも、変わり続けます。変わらないために。
永遠のピーターパンとして、遊び心をもって生きていきます!!

では!

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