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不必要なしがらみ

先日マンモスさんに描き下ろしていただいたイラストを

ぽてさらちゃんのCDジャケットとともに「備考欄」に貼って(・∀・)ニヤニヤ
これで元気になれちゃう淀です(´・ω・`)タンジュン

だいたい、普通の家にこんなホワイトボードが置いてある方がどうかしてる。
左側には5月分の中央・地方重賞、動画納付期限やら、競馬以外のお仕事予定なんかが付箋で貼られている。直接マーカーで予定を書くことは禁止。理由は

「ふき取ったマーカーの粉が飛んで汚れるから」

・・・砂短さん。あなたの家ではありません。
潔癖野郎め。虫触れないくせに。

さ、ぽてさらちゃんも6月下北沢でワンマンだし、私も遠征費稼がねば!w

■ちょっとした出来事

先日から実施させていただいている江戸ちゃん企画「LINE@」
グループラインでプレゼント企画をしようと思い、サブアカウントを作ろうと、facebookを立ち上げてコトコト手続きしておりましたら


「よろしいですか?」と聞かれ

「あ、これで作れるんだな」と気軽に「はい」って押しました。

・・・

よし、でーきた(^^)

んで、今まで使ってたアカウントは携帯で・・・

・・・

????

き、・・・

消えた!!

既存のアカウントを削除してもうたーーー

まぢかーーー(´;ω;`)ブワッ

となりかけたけど、
LINEでリア充なやりとりをしてるわけで無し(遠い目)

必要な電話番号なんかは別で管理しているのであまり心配していなかった。

真っ先に娘から「垢消えてるどうした?」とメッセがきたので

「ごめーーんサブ垢作ろうと思ったら本垢になっちゃったわ」
「えええこれから淀ちゃんに送ればいいの?笑」
なんてやり取りを経て

「めんどくさいけどしゃーない」と、連絡先を取り出しチェックしていたら

・・・だれ?

記憶のはるか彼方に消えた苗字がずらりと並んでいた。

PTA役員仲間、子供が通っていた学校、息子の高校の担任の先生、旦那のかかりつけの先生や住んでない市役所・・・亡くなってしまった部下。

記憶をたどりながら自らの生死を伝えなければならない人を優先に登録していくと、10分かからずに終わってしまった。

若い頃は付き合ってた彼とのメールのやり取りは消すことが出来ずに、「SDカード」を何枚も溜めこむ派だったのだけど

不必要なしがらみ」がなくなって、スッキリした。

あと思ったのは
先ほどの娘のように

「垢消えちゃったけど大丈夫ですか?」と声をかけてくれる友達が数名いて、それが意外にも何年も連絡をとっていない友人知人が多かったこと。

帯のように連なる連絡先の向こうにいる人たちの中で、自身を気にかけてくれる中身の詰まった本当の「友人」は果たして何人いるのだろう。その逆も然り。

とりあえずギフトを送れる準備が整ったことと、経緯を砂短に伝えると
「淀ちゃんならやりそう」と笑われて一言。

自身が調子のいいときに声をかけてくれる人より、自身が本当に困ったときに手を差し伸べてくれる人を大切にした方がいい人に巡り合えるんだ。

あの潔癖さん。
たまにいいこと言う。思い出したのが、この言葉

そしてたどりついた頂点が、満足という名の贅沢だった。その贅沢に必要なものは、しかし多くはなかった。すなわち、小さな庭、そこに植わっている数本のイチジクの木。少しばかりのチーズ、三人か四人の友達。これだけで、彼は充分に贅沢に暮らすことができた。
(ニーチェ著:「漂泊者とその影」より)

で、最近のネットワークをみて思うこと。

できるだけ多くの友人を欲しがり、知り合っただけで友人と認め、いつも誰か仲間と一緒にいないと落ち着かないのは、自分が危険な状態になっているという証拠だ。
本当の自分を探すために、誰かを求める。
自分をもっと相手にして欲しいから、友人を求める。
漠然とした安心を求めて誰かに頼る。
なぜ、そうなるのか。
孤独だからだ。
なぜ、孤独なのか。
自分自身を愛することがうまくいってないからだ。
しかし、そういうインスタントな友人を
いくら多く広く持ったとしても、
孤独の傷は癒されず、
自分を愛するようにはなれない。
ごまかしに過ぎないからだ。
自分を本当に愛するためには、
まず、自分の力だけを使って
何かに取り組まなければならない。
自分の足で高みを目指して
歩かなければならない。
そこには苦痛がある。
しかしそれは、心の筋肉を鍛える苦痛なのだ。
(ニーチェ著:「ツァラトゥストラはかく語りき」より)

いろいろ見直してみるかな。


では、本当に困っている人を見過ごせない皆様に幸運を♡




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