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涙の源流とその行く末

歳をとった。

25年ぶりに復帰した実家のスナックのチーママ稼業からの帰り道、最終電車に揺られながら窓際に映る自分の顔が恥ずかしかった。

こんなことならもっとお手入れしておけば良かった。
なんだよこのほうれい線・・・


それだけじゃない。
少し泣いてしまったから、目が腫れ気味なのもある。

休職中の会社から、公的医療保証(傷病手当)満了の通知と、退職届が送られてきた。

なぜか会社が雇ったであろう代理弁護士を通じてだった。

何か言われたら困ることでもあるのだろうか。どちらにせよ、復帰できる状態ではないことは自身がよく分かっている。

約20年お世話になった。
今は亡き創業者である会長には、本当に良くして頂いた。

この会社にパートとして雇われなかったら、子供や家族を生かす事も、学校へ通わせる事も、亡くなった夫の治療費の捻出も出来なかったことへの感謝と共に、退職金は規定によりゼロという言葉に現実を突きつけられた。

仕事が中心だった20年は、退職届という紙切れ一枚で、あっけなく幕を閉じた。

無情という言葉がよく似合う。

大事なのはその先だという意識の高い言葉を平気で人に向けるくせに、その時は20年の間に起こったいいことや悪いことを思い出しながら、どうにもやるせなくて、泣いた。

涙にも色々種類がある。
笑い過ぎた時、嬉しい時、悔しい時、辛い時、その他。

私は感情の高まりを涙で終結させることが多い。
歳のせいではなくて、小さい頃から。
泣き虫なのだ。

今回は無情感だった。


そして10分後
Twitterのアラームが鳴る。

公式を示す青いチェックマーク。

「読みたいことを書けばいい」著者である青年失業家、田中泰延氏からのフォローだった。

きっかけは、私がこの著者の本を御年80歳になる母に勧め、その感想に対する言葉だった。

さっきまで私が流していた涙の源流は、無常から歓喜に変わった。

同時に「あ、同業者になれた。」とくだらない考えに至った自分を笑った。


こんなに失業者が楽しんでいいのかと思えるくらい、田中氏も私も楽しんでいる。(はずだ)TLを見れば一目瞭然。

人生は、自分のために歩くもの。
取り換えもやり直しも利かない、地続きの道。

朝起きたら、全くの別人になっていたらいいのにと思う頃もあったが、今は自分として産まれて来たことを楽しんでいる。

今その本は、母を通じて姉2人に回っている。

その後は、スナックに居場所を作り、来たお客様にも見て頂こうと思っている。きっとボロボロになるから、もう一冊買っておこう。

随分と長い助走だったなー。

そろそろ本気出そうかね!

私はティッシュペーパーを3枚勢いよく引っ張り出して、鼻をかんだ。

(涙の源流とその行く末-Fin-)

読んでいただきありがとうございました。これをご縁に、あなたのところへも逢いに行きたいです。導かれるように。