よどがわ(『競輪文化~「働く者のスポーツ」の社会史』青弓社、発売中)

『競輪文化~「働く者のスポーツ」の社会史』(青弓社・第30回橋本峰雄賞受賞)を出しまし…

よどがわ(『競輪文化~「働く者のスポーツ」の社会史』青弓社、発売中)

『競輪文化~「働く者のスポーツ」の社会史』(青弓社・第30回橋本峰雄賞受賞)を出しました。ツイッター(@yodogawa111)で書ききれないことを。仕事を求めています。現在は大学の非常勤講師などで何とか暮らしています。大阪在住です。競輪以外の関心:K-pop、韓国文化探究。

最近の記事

若人よ覚えておきなさい、忘れるということを、の巻

すでに書いたように、先日、久しぶりにフィールドワーク的な遠征に行ってきた。テーマは(広い意味の)五輪(自転車競技)遺産を見て回るというもので、具体的な内容についてはいずれ。 初日は、さいたま市の大宮競輪場の見学で、拙著を読んだと連絡をくれたただ一人の競輪選手である白岩大助さん(選手会埼玉支部長)に案内していただいた。ひとりで訪ねるつもりだったのだが大学生S君が同行することになった。彼は、いろいろお世話になっているY先生のところのゼミ生で、競輪をテーマに卒論を書いたという。Y

    • 5年ぶりの新幹線

      先週、新幹線に乗った。前に乗ったのは、2019年の9月だから5年ぶり。この時は、伊豆の競輪選手養成所の見学に行ったのだった。初めての本を出してすぐで、その勢いで競輪界のフィールドワークを続けよう、という意欲が出て自腹を切った。収入と支出、ほぼとんとんで暮らしているから、余計な支出はイコール赤字となる。生活費を切り崩しての旅費捻出だった。養成所はアクセスが悪く、18きっぷで行くには無理があるため仕方がなかった。この時の見聞はまだ形に出来ていない。コロナがなければ、もっと活発に競

      • いちども引退していない人 門脇真由美・近況レポート@関西CSC

        先日、門脇真由美さんの話を聞きに行ってきた。 門脇さんは、2012年デビューのガールズケイリン1期生、昨年7月、11年にわたる現役生活を終えた。実は、デビュー半年後くらいの時期に、一度、練習を見学させてもらいに行ったことがあり、ずっと気になるレーサーのひとりだった。引退のニュースを聞き、もう一度、話を聞きに行かなければと思った。アマ競技経験の豊富な門脇さんにとってガールズケイリンの世界はどんなだったか、仕事としてどうだったか、いろいろ聞きたいことがあった。最後のレースから半

        • OSの記憶

          トミーズ健が坂田利夫の追悼記事で、ストリップに二人でよく行ったという話をしていた。若手の方たちにどうぞともらった招待券を自分たちで使って通い詰めたとか、師匠は照れ屋でおさわりの時に下を向いてた、とか、最低のエピソードだった。トミーズは嫌いだが、健の方はちょっと好き。どうしようもないダメな兄ちゃんというこの感じは、大学のお笑いサークルで技術を磨いて厳しい生存競争に乗り込んでくる昨今の芸人とは真逆の、芸人しかなれなかった人感があって、しょうがない人だなぁ、と見ている方が優越感をい

          地獄行きはやっぱり嫌だが

          今もひどいが若い時の自分はもっとひどかった。最後の審判か、閻魔様の前か、そういう時に、若い時の自分のしょうもない姿をそのまま動画で見せられたら、情けなさで憤死してしまうだろう。死んでる以上、もう死ねないんだから、それこそが地獄だ。 正月早々、大きな地震があって関連ニュースを見ていると、同じく1月だった阪神大震災の頃のことが思い浮かぶ。と言っても、この時も自分には何の被害もなかった。親しくしていた人を亡くしたということもなかった。大阪市内では最西の兵庫県との府県境の実家に住ん

          5円分のご利益

          以前は普通に初詣をしていた。住吉大社とか大きな神社にわざわざ行くこともあった。だいたい親と一緒だったが、大学生の頃は、友だちとどこか(住吉大社とか八坂神社とか春日大社とか)に行ったような記憶もある。30代後半くらいからか、意識的に行くのをやめた。神社本庁的な、日本会議的なものへの反発心も生まれたし、信仰心みたいなものが芽生えかけたのもひとつのきっかけかもしれない。ぱっとしない人生であることが見え始め、どうも自分自身をうまくコントロールするのに失敗していることが分かってくると、

          書けないことは疲れる

          読者はほとんどいないとはいえ、一応、オープンな場だから書けないことも多い。講義で使った言葉について、受講生から、そんな言葉を使ってはいけない、だから修正しろ、という連絡が来て、ぷんぷん、ということも詳しい内容は書くべきではない。丸一日近く、うーん、と頭の中をぐるぐるして疲れた。丁度、一週間前に、愛聴している有吉のラジオにフワちゃんが出てて、彼女が「変なフェミが…」と、ネット上のアンチフェミと同じような言葉遣いをしていたのに腹が立ち、それをツィッターで書いたらビックリするくらい

          考え抜いて出した答えが間違っていた話(長い愚痴です)

          140字では書きにくい愚痴の種が出来たから書いておく。 今学期は10コマ以上の授業を担当できている。今までで最高の数。うちひとコマは全く新しい科目なので、準備に一番エネルギーを使っている。ええ加減な内容だが、それでも、全く何もない状態から90分持たせるなにかを準備するのは大変だ。受講生はすごく少ないのだが。そういうのもあり、バイトに追われる一週間みたいになっている。それだけやっても、20代後半の高卒労働者の平均収入程度。大学院の学費とか考えたら、本当にバカな人生になったと後

          考え抜いて出した答えが間違っていた話(長い愚痴です)

          女子プロレス狂時代(続き)

          前回書いたように、1991年前後の時期、全日本女子プロレスに夢中だった。私は89年(平成元年)が大学入学なので2回生の終わりから3回生の頃。スポーツはずっと苦手でやるのも見るのも好きではなかったのに、なぜかプロレスと相撲だけは中学生の頃から大好きだった。大学に入って、最初は別の文化系クラブに入ったのだが、2回生になってからそこをやめてプロレス研究会に入った。バブルの頃で、学生イベントみたいなものも多く、いわゆる営業みたいな形でギャラをもらってプロレスを見せに出かける活動なども

          女子プロレス狂時代

          スキャン作業のついでに、若い頃の日記や手帳も全部やってしまうか、ということでやってしまった。おっさんになるまで写真を撮られるのが嫌いだったから、これらがいわばアルバム代わり。普段見返すことはないが、かといって捨ててしまうと自分の生きた証が全くなくなってしまうような気がして寂しいからとってあった。高校、大学頃の日記にはイベントに行った時のチケットが貼り付けてあった。スキャンには邪魔なだけ。でも、大量のプロレスのチケット、特に全日本女子プロレスのものを見て、あの頃はこんなに夢中だ

          スキャンに夢中のサマー

          宿替えは整理のチャンス。ここ5年で3回も引越しすることになってしまい、その度に荷物を減らしたいと思ってきた。服やら機材やらはもともと少ないので、減らしたいのは紙だ。本なんかは40代になった頃から、これから先、死ぬまで貧乏なままであることがほぼ確定し、処分するしかないのだ、と自分に言い聞かせてそれなりにやってはきた。 それまでは、古本屋を歩くのが好きで「いつか読むかも」と拾い買いをすることが多かった。これからの残り時間や、自分自身のこれまでを振り返ったら、「いつか」なんか来ず

          待ち続けた光

          2年前に引越した時、ソフトバンク光も引越手続きをしたのだが、なぜかうまくつながらず、サポートに何度も何度も電話し、イライラし、何度か作業員の訪問にも応対し、ということがあった。その詳細は、このブログにも書いた。 その続きを書かなければ、と思いながら、また引越をすることになってしまった。その後どうなったか、というと結局つながらないままだった。「大変申し訳ございません」ということで、ポケットワイファイを代替として送ってもらっていた。NTTのモデムの次にソフトバンクのモデムをつな

          脱阪入尼

          猛暑のお盆に引越した。3年ぶり2度目の脱阪入尼。神崎川を挟んで行ったり来たりしている。引越は、体力もお金も使いいろいろつらいが、いろいろ仕方なく。物件がそこ専任だったため安さが売りの大手不動産屋を初めて利用した。難は沢山あったが、初期費用はこれまでにない安さではあった。東京じゃワンルームも借りれないだろう。大阪でもきれいなところなら無理か。 引越し予定日の前日が台風直撃だったので一日違いで本当に助かった。引越屋の兄さんに「直撃だったらどうなるの」と聞いたら、私らはお客さんが

          海辺の叙景

          子どもの頃、夏休みには母親の故郷、福井県の鯖江に家族全員で行くことが多かった。高校生の頃が最後で、それ以降は行かなくなった。主な目的だった祖母がなくなり、自分も大人になり家族での行動は嫌になっていた。 たぶんその最後くらいの頃だったと思う。母の実家にいるとき、父親が突然「海に行こう」と言い出し連れていかれたことがあった。自分は行きたくなかったが、母親が「つきあってあげてや」というので仕方なくついていった。鯖江から越前海岸まで車で小一時間ほどだったか。もっと小さいころは他の親

          君の名は

          近所で最もよく利用しているスーパーが来月閉店するという。レジで並んでいた時、私の前の高齢の女性客に「来月までなんですよ」と店員さんが話していた。おなじみさんだったのだろう。思いもよらないニュースにびっくりした。 自分の支払いの時「いつ決まったんですか?」と訊いてみた。60代くらいかなと見受けられる女性店員さん。この店を利用するようになって以来、ずっと働いている人だと思う。 「私たちも土曜に知らされたとこなんですよ。びっくりですよ。それでどうするかいきなり決めろって… 書類

          福井競輪場に行ってきた

          18きっぷで福井競輪場に行ってきた。2週間くらい前の話。 競輪界の地域区分では、福井県は「近畿」扱いになっている。大阪在住の私には「準地元」ということになるのだが、競輪歴30年(くらいか…一応)で初めて訪れた。自動車も持たない貧乏人には、ふらっと行ける距離ではない。ただ、母の里が福井県の鯖江なので縁のある県ではある。子どもの頃は夏休みには必ず訪れた。10年ちょっと前、武生の小さな大学で集中講義のバイトをしたこともある。あの時は、楽しかった。誰かのつなぎの仕事で1シーズンだけ