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足が疲れたなら、肩で歩けばいい


比叡山延暦寺には山中や京都市内を、7年かけて計1,000日間 約40,000キロ(1日30~84km)歩く「千日回峰行」という荒行があります。

修行の700日が終われば「堂入り」と言われる9日間の「断食、断水、不眠、不臥の行(食べ物も水も断ち、眠らず、横にもならず経を唱え続ける)」に入り、この行を修めないと次の行に進むことは許されません。

通常、人間が断食・断水状態で生きられる生理的限界は3日間とされていることを考えれば、明治時代に死者が出たことも驚くことではないでしょう。

7年目は、前半の100日間が1日84Km、300カ所の巡拝となります。1日にこれだけの距離を歩くとなると睡眠時間はわずか2時間。夜中の12時に起きて歩き始めるそうです。また、この行は途中でやめると自害するという決まりがあり、始めたら必ずやり遂げる、という覚悟を持って始められるため自害用の短刀をいつも持って回峰が行われるとの事です。

千年を超える比叡山の歴史の中で2度の千日回峰行をやり遂げた人は3人しかいません。

その中の一人が酒井雄哉大阿闍梨です。 正に伝説です。

この師、どれだけ凄い人物なのかと「一日一生」という著書を読んでみたのですが、麻布中学の受験に失敗し、夜学の商学高校に進学。学業に身が入らず予科練に入り、運良く特攻隊で命を落とさずに帰還。若いころはさまざまな職業を転々とし、株のブローカーをやっていた頃に大損をして借金取りに追われたり、妻を自殺で亡くしたり、実は落ちこぼれかけの人生を送った人でした。縁あって39歳に比叡山に登った時に千日回峰行の行者に出会ったのが人生の転機だったようです。

こういう師ですから、難しいウンチクや自慢話、説教くさい話は一切なく、やさしく素朴な言葉や日常的な事例で人生をうまく生きる上での知恵を同書にしたためてくれています。

その中の一説をご紹介します。

千日回峰行の師である、故・箱崎文応師が、酒井師が千日回峰行を始めるときにこんな話をしてくれたそうです。

『昔、福島の小名浜に大泥棒がいた。家族に気づかれないように皆が寝静まった後に寝床を抜け出し、夜な夜な小名浜から宮城の仙台まで歩いて泥棒に行き、明け方帰ってきて寝床に入る。家族が起きてくる頃には同じように起きてくるから誰も気づかなかった。
その大泥棒がとうとう捕まったんだが、警察が興味本位でどうやって歩いているのかと尋ねたところ、その大泥棒は「休み休みやっているから疲れない」と説明したという。
どんな風に休み休み歩くかっていうと、右足、左足って体のいろんな部分を交代で意識しながら歩く。右が疲れてきたら、左足。左が疲れてきたら右足。いよいよ両足がくたびれたら腰。その次は「今度は肩、頼むよ」と肩に意識を集中さる。その間に別のところがみんな休んでいるという訳だ。そういう風にやってたからスピードが落ちることなくずっと早足で歩けたんだって。これを参考にすればいい。』

酒井師は同書でこの事例を元にこう締めくくります。

『人生を歩くってことにも、その原理を応用すればいい。人生って、こっちが疲れたら全部しんどいってことになってしまいがちじゃない。考えを辛いことの一点に集中しすぎちゃうから、こんな苦労はもうしたくないと身を投げちゃうから。じたばたしたってどうにもならないことをどうにかしようとするから疲れちゃうんだよ。しんどいところは休ませておいて、違うところに精神を集中させてみる。そうして人生を歩けば、案外楽に、結構楽しく生きていけるんじゃないの』

「人生を歩く」を「はたらく」と置き換えてみましょう。

ストレスの多い雇用環境をうまく生き抜くためのヒントになるのかもしれませんね。

〔三浦 裕樹〕

Ⓒ Yodogawa Labor Management Society


社会保険労務士法人 淀川労務協会




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