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カネカ 育休転勤 炎上問題の考察

「夫が育休から復帰後2日で、関西への転勤辞令が出た。引っ越したばかりで子どもは来月入園。何もかもありえない。不当すぎる」

ご主人が株式会社カネカに勤めている共働き夫婦(40代)の妻がこのようにTweetした件が社会問題化しています。

この夫婦は今年1月に生まれた長女の育児のため、それぞれ育児休暇を取得したとのこと。
住宅を購入し4月中旬に新居に引っ越したばかりのタイミングで4月22日に育休復帰。
翌日の4月23日の午前中、上司に呼ばれ、5月16日付で関西への転勤を命ぜられ、これを不服として5月7日の5月31日を退職日とする退職願いが本人より提出され同日をもって退職されたようです。

この問題、違法性は無いとのことで一致しているようですが、その根拠と一連の問題に対する見解について述べてみたいと思います。


使用者が転勤命令権を取得したとしてもこの行使が権利濫用になる場合、転勤命令は無効とされ、無効となった場合には労働者はこれに従う義務は生じません。
配転命令の権利濫用の判断については以下の最高裁判例が参考になります。

「当該転勤命令権につき業務上の必要性が存在しない場合、又は業務上の必要性が存在する場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもってなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情が存する場合でない限りは、当該転勤命令権は権利の濫用になるものではない」(東亜ペイント事件 最高裁二小 昭61.7.14)

まず、「業務の必要性」については、「余人をもって替えがたいほどの高度の必要性は不要である」とされ、マンネリ防止や新しい職場にチャレンジするという組織活性化を目的としたものでも差支えないと考えられています。

次に「労働者の不利益の程度」についてですが、共働きで、夫と3歳の子の送迎を分担していた妻に対し、目黒区から八王子事務所への異動命令が出たが、従わなかったので、最終的に当該労働者を懲戒解雇した事案が参考になります。(ケンウッド事件 最3小判平成12年1月28日)

当該労働者の拒絶理由として、今まで妻の勤務先までの通勤時間は約50分、夫の通勤時間は約40分であったところ、妻の異動先への通勤時間は約1時間45分となり、子の保育園への送迎に支障が生じるというものでしたが、この判決では、この「通勤時間」の労働者の負う不利益は必ずしも小さくはないとしたものの「通常甘受すべき程度を著しく超える」とまではいえないと判断されました。

同一労働同一賃金による雇用流動化の動きがあるものの、今もなお雇用と賃金が保障される日本の長期雇用システムの下では、配転・転勤・出向といった人事権については使用者に広く認められていることがご理解頂けると思います。

他方、育児介護休業法26条では、「事業主は、その雇用する労働者の配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをしようとする場合において、その就業の場所の変更により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となることとなる労働者がいるときは、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮しなければならない。」とし養育または介護の状況への使用者への配慮を求めています。

また、男女雇用機会均等法9条では、事業主は、その雇用する女性労働者が妊娠したこと、出産したこと、育児休業をしたことその他の妊娠又は出産に関する事由であって厚生労働省令で定めるものを理由として、当該女性労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならないとしています。

いずれも私法上の義務ではありませんが争われた場合の有効性の判断には影響を与えます。

カネカは本日6月6日に本件について声明を出しましたが、このような法律背景に対応する以下のような内容となっています。

① 転勤制度は会社全体の人員とそれぞれの社員のなすべき仕事の観点から運用している。
② 育児や介護などの家庭の事情を抱えながら異動を受け入れている社員は多く在籍しており、当該社員の事情は特別なものではない。(育休をとったという理由だけで特別扱いは出来ない)
③ 社員の個別の事情に配慮しない訳ではないか、あくまで事業上の要請による判断が最優先される。
④ 転勤休暇や帰省費負担等の一般的配慮は行っている。
⑤ 異動発令日から着任日までは本件は通常のケースよりも長いものとなっている。
⑥ 退職を勧奨したり強要したことが疑われる事実は存在せず、退職意思については当該従業員から自発的にこれが為されたものだ。

以上を踏まえて当該社員が本件において配転無効を勝ち取るのでならば、「転勤命令が他の不当な動機・目的をもって為されたものである」、つまりは、見せしめとして男性の育児休業取得を阻止することを目的とした配転であるという主張を軸に、育介法26条の配慮義務や、均等法9条の不利益取り扱いをもって戦うことになると思われますが、動機の立証は、一般的には「上司の言動」や「類似事案における過去の反復継続性」等をもってこれを行うことになるので現実的には厳しい(存在しない)ということなのでしょう。

本問題を知った際にまず違和感を覚えたのは、カネカという業績・利益とも堅調な歴史ある上場企業に在籍する40代の働き盛りの家を買ったばかりの正社員が、いくら育児の問題があるとはいえ大阪本社(両本社制)を構える関西圏に転勤辞令が出ただけでそんなにあっさり退職判断ができるのかという点です。

カネカは両本社制ですから、東京・大阪間の転勤は同社ではおそらく常態的に為されていたでしょうし、正社員として入社した時点でその心構えはあったはずです。
育休明け直後の辞令は確かに刺激的なのかもしれませんが、カネカでは育児休暇を取得しないまでも妻の育児に協力し妻も夫の協力に頼っていたという従業員に発令された異動もこれまで多数あったでしょう。

当該社員による着任日を伸ばして欲しいという希望についても、カネカの声明による「元社員の勤務状況に照らし希望を受け入れるとけじめなく着任が遅れると判断して希望は受け入れませんでした」という説明はとても意味深で、当該社員にあっては安易に希望に応じると会社にとってリスクとなる何らかの労務管理上の前例があったのかなと推察され、カネカの主張通り着任日を多少調整すれば済む問題ではないのであるならば「育休復帰明け」というタイミングについては特に考慮すべき事情ではないのかも知れません。

この違和感は、後に発覚することとなった当該従業員の妻の2019年1月24日付の以下のTweetで腑に落ちることとなります。


「2019年にやること 4.夫起業の具体的な準備」


メディアから得られる情報が示すのは、そもそも当該社員にあっては育休復帰明けから近い将来にカネカを退職し起業することが予定されており、カネカに在職しながら起業準備をするためには現在の生活圏から離脱することは出来なかった。

「起業準備が出来ないこと」と「起業迄の間のカネカからの収入を失うこと」を比較衡量した結果、カネカを退職し退職金と失業保険を受給しながら現在の生活圏で起業準備をすること、もしくは起業を予定より前倒しすることを選択した。

おそらくこのような実情にあった事案かと想像されます。

近時、従業員がSNSをもって安易に会社や上司に対する感情を発信出来る時代となりましたが、その表現や事案にあっては信用毀損罪や業務妨害罪が成立することもあります。
懲戒事由に該当した場合には退職金の減額や返還請求ということも起こりえます。

労務の現場では使用者や上司の対応によって感情的になることもありますが、どうしてもそれを公にしたい場合には、自身の発信が客観的、法的な裏付けが担保されたものなのか、懲戒事由に該当するものでは無いのか等、慎重に判断されることをお勧め致します。

〔三浦 裕樹〕

Ⓒ Yodogawa Labor Management Society


社会保険労務士法人 淀川労務協会



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