失敗を経験しないと人はどうなるのか
妻の職場には若い人が多い。
高校を卒業したばかりの子や大学生、20〜30代の子など。
話を聞いていると、最近の子は本当に「危機回避」の世の中で育ってきているんだなぁと感じる。
情報が豊富なのでやる前からどんなことが起こるのかわかってしまう。わかったつもりになってしまう。自分で経験していなくてもネットで調べて「知った」ことがあたかも自分の血肉になったように思えてしまうのだろうか。
今の時代は「経験すること」よりも「知っていること」でマウントを取る人が多い。実際に行動を起こしてみて痛い目を見たりした人のことを揶揄したりする風潮がある。
実際は行動を以て経験したことの方が遥かに尊いことなのに、だ。
なので、うまくいかないことに対する耐性が弱いのかなぁという印象がある。
昭和のスパルタ教師や怖い先輩のような理不尽で不条理な存在が少なくなった今、あらゆるものが最適化されてしまいはみ出すものが排除される世の中だ。
なんでもなんでもコスパ、タイパ。
人生の旨みって、コスパでは測れない無駄な部分が大半だと思うんですよね。無駄を省いた人生に何が残るのだろう。効率よくこなした人生の先に果たして生きる喜びはあるのだろうか。
人生は何も思った通りになんていかない。
その前提条件が身に染みてわかっていれば、ちょっとやそっとうまくいかなくたっていいじゃないかと思える。
SNSでは誰もが「うまくいった側面」だけを発表しあっている。その裏にある闇の部分は見えにくい。光が当たっている部分の後ろ側には必ず影がある。
その反対に、影を歩いていてもすぐ横には光のあたる部分がある。
今の私には偉そうなことは何もいえないが、ちょっとスマホから目を離して自分の語感で感じたものを信じてみるのはどうだろう。
少なくとも私が育った小中学生の頃はそうだった。
高校になってポケベルやPHSの頃はまだかわいいものだったし、メールのやりとりが不便だったガラケーが主流の頃も、今よりは人との関わりが濃密だった。
私もスマホ大好き依存症だし、あらゆるものが繋がった今の世の中の先にあるものにはいつもワクワクしている。
だからこそ、そのツールを扱う人間はもうちょっとだけ温かみのあった頃の人間関係の体温を思い出す必要があるんじゃないかなって思う。
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