偏愛的浪曲レコード入門 必聴篇

 さて、今回は、多くある音源の中で「これはぜひ聞いてほしい」「これは面白い」というものを、どんどんピックアップしていきます。

 マニアックな演者も出てきますが、然しネタや節まわしは実に面白い(と筆者が感じた)ものです。

 URLを貼っておくので、そちらから簡単に飛べます。全部日文研のサイトなので、安心してください。

三代目鼈甲斎虎丸

 まずはこれを聞いて下さい。これだけは譲れません。

 この虎丸という人は、マイナーとは言い切れない、なかなかのビッグネームであります。

 戦前、木村重友、天中軒雲月と共に「関東三羽烏」とも、東家楽燕を加えて、「四天王」とも称された――とそのすごさが判りましょうか。嘗ての「落語四天王」の如き、人気と火花の散らし合いを大正時代から演じて居た――と例えておきましょうか。

 その音遣いのうまさと節まわし・啖呵の巧みさは、後進に大きな影響を与えたと見えて、廣澤虎造以下、その節廻しや演題を真似る人間は多数。今日では虎造に引っ掛けって論じられることが多いです。

 その虎丸は、四天王随一のネタを誇り、侠客物はもちろん、お家騒動物、軍記物、文芸物、滑稽物まで読みこなす実力者。

 元々役者だったこともあってか、その演じ分けの巧みさは「臭い」「鬼気迫りすぎ」と批判されるレベルで――四天王の中でもずば抜けた演技力を持っています。

 とにかく幅の広い芸域を持っていただけに、170枚近いレコードを吹き込んでいますが、この人の至芸はやはり「安中草三」でしょう。

 その中でも「表題付」——これは音頭とかにもある「こういう作品ですよ」というあらすじで、いわば冒頭のタイトルコールみたいなものですが、この『表題付』の出来が抜群によく、これ一作で足れり、というレベルです。

 当人も得意としたこともあってか、各レコード社から、この「表題付」を発表をしていますが、一番うまく感じるのは晩年、「NIPPONOPHONE コロムビア製ワシ印レコード」から吹き込んだ一枚です。以下のリンクから飛べます。

 これが「浪曲か?!」と驚くくらい、ハイテンポでパキパキと音を廻しながら読み上げていきます。そのリズム、音律は、今日のロックやパンクの匂いさえ感じさせる――というのは、言いすぎでしょうか。

 言っちゃ悪いですが、言っている意味は殆ど不明です。文字起こしするとちょっとはわかりますが、故事成語や漢籍や古典をネタにして読み上げているために、今ではよく判らない点があります。

「安中草三という男がいた。義侠心に強い男であったが、親の為に悪事を働き、更に主人の為に悪事を働いて、義賊となり果てた。」という感じのストーリーのみわかってもらえば、まあいいと思います。

 ぶっちゃけて言えば、この音源は、浪花節の文句よりも虎丸の音遣いのうまさ、活舌の超絶、そのハイスピードな浪曲を楽しむべきもので――余計な理屈はいらないかと思います。

「とにかく聞いてみて、御託はそれから」というべき代物でしょう。

 これ以上見事に練り上げられた音楽性の強い浪曲もそうあるものではありません。

 浪曲史では、「虎丸は鼈甲斎ひさごという三味線弾(曲師といいます)が相手をやっていた時が一番うまかった」という批評が与えられるのですが、この「安中草三」に限っては、上手いと感じません。芸の不思議というべきでしょうか。

 また、他の「表題付」もそれ相応に面白いですが、兎に角遅いテンポであったり、全然節に乗っていなかったりして、これに勝るものはないと思います。

 この虎丸に関しては論じる事が多々あり、経歴含め、また取り上げたいと思います。

初代 木村重松

 こちらもお勧めします。立川談志一門好きな人なら絶対ハマる筈です。

 なお、重松は戦前を代表する名人です。その売れっ子ぶりは「アンパンと浪曲は木村に限る」といわれるほどであったといいます。

 元々は、桃中軒雲右衛門が吉川繁吉と名乗っていた時分の弟子で「繁之助」という浪曲師でしたが、雲右衛門が駆け落ち事件を起こしたために師弟関係が有耶無耶。

 仕方なく、運送業者(いわゆる立ちん坊というやつ)みたいな事をやっていましたが、東京浪曲界の重鎮・木村重勝に拾われ、「木村重松」と改名します。

 後年、一世の寵児となった雲右衛門と再会、「あの時は悪かった。昔の事を許してくれ」と謝罪を受けて、和解。雲右衛門の庇護や紹介で、パトロンとのつながりを得、さらに関東節と啖呵を完成させ、たちまち東京を代表する浪曲師として君臨します。

 大劇場に特化した旧師の雲右衛門の流れはくまず、寄席や小劇場といった中規模~小規模の客に本領を発揮できる芸人で、浅草や関東近辺の人気はすさまじいもの――特に浪曲師泣かせと謳われた「浦安」の観客さえも熱狂させたのですから、その実力の凄さがうかがえます。

 雲右衛門系の『義士傳』『越後騒動』などのお家騒動も読みましたが、本領は何といっても『慶安太平記』。

 軍学者・由比正雪が丸橋忠彌、善達といった怪しい浪人たちを集めて、幕府転覆を計るも――幕府側の知略には勝てず、破滅していく過程を描いた作品。今も伯山や談志一門がこれを得意としてやっているのは、寄席ファンご存じでしょう。

 一応、言っておくと談志の流れで演じられている「慶安太平記」の源流は、この木村重松から出ています。

 重松の芸をよく学び取った愛弟子の木村松太郎から、談志が習い、落語に仕立て上げ、その芸を後進が演じて居ます。落語の中に「道中付」が出てきたり、浪曲の真似が出てくるのは、この談志の洒落っ気と言えるでしょう。

 話が逸れました。『慶安太平記』も長編で、多くの場面があります。その一つ一つが面白いのですが、初心者にお勧めなのは「道中付け」でしょう。

 落語にも「黄金餅」などに、次から次へと町や風景を言い立てていくのがありますが、ここに三味線と飄逸な節が加わると、和製ラップというべき、素晴らしい音楽が出来上がりです。

『慶安太平記 ・善達箱根越』という作品を聞くと、道中付けが出てくるのですが(この善達の旅立ちの経緯だけでも面白い)、

 手っ取り早く楽しむには、以下の「慶安太平記 (怪僧善達道中付)」をお勧めします。裏表約6分で、なかなかコンスタントにまとめてあります。表面にも裏面にも、道中付があるのがうれしい。

 一番有名な道中付は、B面「1分20秒」頃に出てくるもので「〽船から上がると……」から、次々と東海道の箱根まで言い立てていく下りは、何度聞いても心が躍ります。

 この重松という人は、明快でわかりやすい節を廻し、その素朴な節の中に奥深いメロディや話術があるので、初心者にもお薦めです。

 また、聞けばわかりますが、その飄逸で歯切れのいい話術は、仰々しいお涙頂戴よりも、男臭い作品の方が向いていたようで――鼠小僧や天一坊の出てくる白浪物と称される泥棒作品、国定忠治や安中草三の出てくる侠客物といった、悪婦悪党が蔓延る巨悪や欺瞞をあざ笑う――判りやすい作品が多いのが特徴的です。

 以下は、この上の二人に次いでおすすめなものを「あいうえお順」で並べたものです。必然なのか、お笑い浪曲が多くなりました。

東家小楽燕

 しょっぱなからマイナーな芸人ですが、やはり名人の一人。虎造がこの人の芸を私淑した逸話があり、アマチュア時代の芸名「東川春燕」はこの人の前座名「華燕」を拝借したという伝説があります。

 上の重松の関東節に哀愁のあるリズムを加えた味わいが特徴で、重松に物足りないと思ったら、案外この人の芸が合うかもしれません。

 節の尻をさながら「ホーミー」の如く、高低音を操りながら引っ張って哀愁を漂わせる技巧は好事家を喜ばせ、通称「ウイウイ節」と呼ばれていました。

 重松同様に寄席が本領だっただけあって、ネタは豊富で「忠臣蔵」「宇都宮釣り天井」といったお家騒動物、「次郎長伝」「国定忠治」といった侠客物、「柳生二階笠」「稲川の売り出し」といった武芸物、「塩原多助」などの人情ものなどをそつなく読みこなしています。

 慶安太平記と安中草三も読んでいますが、上二人とはまた違う哀愁のある芸で、これはこれで結構です。


 そして、判りやすい演題として、「村正の改心」というものも紹介しておきます。

 村正は、ゲームやアニメでお馴染みの妖刀「村正」の作者その人です。この村正の伝説として知られるものを浪曲にしたもの――原話は民話集や伝説集にあるので知っている人も多いかもしれません。

 刀鍛冶・村正は天才的な腕を持ちながら、妖刀悪刀ばかり作るので、正宗に破門され、鎌倉を離れる事となる。流れ流れて上総の国(千葉県)に落ち着き、刀づくりを始める。名刀誉れ高く、尊敬された村正は天狗になってしまう。そこへ老いたる旅の僧がやって来て、村正に支援をする男に「刀の出来が良くない……」と意見するのであった――

 オチは判り切っている感じがありますが、それでも民話調で最後まで聞かされます。

木村友忠

 この人も、浪曲史の一線ではない、マイナーな存在ですが、間違いなく「名人」と言える人です。

 浪曲四天王の木村重友の弟子ですが、師匠のような大劇場向きの芸ではなく、上の重松同様、寄席打ちの芸を得意としました。

 軽く経歴を記しておきます。

 一八九四年、八丁堀の生れ。父親は鶴賀佐和寿太夫という新内の太夫で、幼い頃から音曲には聡かったそうです。近所には住吉亭という講談席があり、ここの席亭が三代目の松林伯円。この人に可愛がられて、寄席の出入りを許されるという英才教育(?)を受けました。

 しかし、父親は盲人の上に芸人という不安定な稼業故に家は貧乏で、京華小学校を中退して、読売新聞に入社。給仕係として家計を助けるなど苦労を重ねました。後年、給仕から文選工に昇格しています。そのせいか、売り出しの頃は読売新聞が後ろについて、褒めて居たりもします。

 労働の傍らで、素人浪曲に凝り、多くの仲間を作ります。その仲間の勧めもあって、浪曲師になる事を決意。親父の佐和寿太夫は大反対、大反対で激怒。勘当案件まで繰り出してきたそうですが、恩人・松林伯円が間に入って仲裁をし、木村重友の門下へと送り出しました。

 元来声がいい事もあって、見る見るうちに頭角を現し、一年で真打になったというのだから大したものです。

 ただ、師匠の重友のように大劇場に走る事はなく、その生涯と人気のほとんどを寄席や小屋で得た――真の「寄席読み」でした。

 私淑する重松・重友の浪曲をベースに、明快で歯切れのいい啖呵、そして哀切と裏声を見事に使い分ける節を練り上げ、東京を代表する浪曲師となりました。

 鯔背な関東節の中に、父親譲りの新内や清元の、邦楽のエッセンスを練り込んだ事で、高低の音域の使い分けに舌の上を転がすような節さばきを生み出す事に成功。

 哀愁と優美の混じった切々とした節まわしに観客はやんややんやの大喝采を送ったそうです。

 江戸好みの芸だけあって、読物の多くは侠客物と白浪物が中心でした――中でも『ボロ忠』の一席は、真に名品で、「ボロ忠の友忠」と綽名されるほど。

 当人もこれを十八番にしていたのを自覚していたのか、客席から「ボロ忠!」と声がかかると、待ってました、と言わんばかりにはにかんだという逸話もあります。

 幸いな事に、この至芸をレコードに吹き込んでおります。レコード表記では、「鹽釜大祭の血煙」と演題こそ変わってますが、内容は同じです。

 今日では、神田伯山が得意としてやっていましたが(最近一度封印するとかしないとか)、本気でやると30分以上かかる長い作品です。

 それを12分でまとめてしまう――コンスタントといえばコンスタント、あらすじだけといえばあらすじだけなんでしょうが、不足を感じさせないのが流石です。

 この友忠の芸は、基本的に明るく、明快で、節は重松以上に音楽的な一面を有しているので、落語の「べらんめえ」や講談が好きな人なら、意外にとっつきやすいのではないでしょうか。以下の作品もまたよく聞かせます。


 この人は、基本塩枯れ声なのですが、グッと声をためて、裏声に近い音域をスッと出す下り――この音域の見事さは関東節の本領を感じさせます。

二代目 日吉川秋水

 この日吉川秋水は、関西節の名手で、廣澤駒蔵と人気を競い合いました。

 駒蔵が強面と似つかぬ滑稽な節や所作から出てくる「意外性のユーモア」を売りにしたとするならば、秋水は如何にも愛嬌満点、明るい高座を売りにした――と評しましょうか。

 顔写真が何枚も残っていますが、丸眼鏡に丸顔と、さながらドラえもんの「のび太君」みたいな顔をしていて、その愛嬌の良さがうかがえます。

 義太夫を思わせる三味線の調子、低音の魅力、それでいながら飄々と語るのですから、面白い。大阪第一の売れっ子だけあって、めちゃくちゃレコードを吹き込んでいます。

 侠客物からお家騒動、軍事浪曲、出世美談——と色々吹き込んでいて、その芸域の広さを伺わせますが、何といってもこの日吉川家のお家芸は、「ケレン」。即ちお笑い浪曲です。

 駒蔵同様、「水戸黄門」は十八番の一つで、駒蔵とはまた違う演出で観客を酔わせました。音源はいくつかありますが、以下の音源が長編物で面白い。

 このおとぼけぶりと話術は浪曲ファンのみならず、芸人にもファンが多く、かの昭和の爆笑王、桂枝雀もこの「水戸黄門」を愛聴していました。

 そして、この耽溺ぶりを拗らせて(?)、演芸番組で演じてしまったほどです。「節真似」とは言ってませんが、ベースは日吉川の節です。

 そして、水戸黄門と同じく「藪井玄以」というネタも得意としました。こちらは日吉川のお家芸というべき芸で、初代以来、大切に扱われてきた外題です。やはりお家芸とあって様々吹き込んでますが、その中でも有名な一作を下に挙げておきます。

 一言で言えば、水戸黄門なんかと似た系統の噺です。

 天才的な腕を持つ藪井玄以という医者は、腕はいいがどこか変っている。義侠心があり、老中・大久保彦左衛門や各国の大名に可愛がられる性分――その藪井が各地を漫遊して、悪をくじき、善を助けるという筋が多いです。

 安直といえばそれまででしょうが、しかし、安心して聴いていられるという点では最良です。

 秋水の飄逸さもあって、藪井が「按摩療治はいらんかね」と歌いながら、辺りを気にせずひょこひょこと歩く下りの節は、実に快いものです。

 他にも鼠小僧、大久保彦左衛門漫遊記など、歴史的に有名な作品も得意としました。

廣澤菊春

 落語、三木助、談志家元の作品や本が好きな人なら、知っているんではないでしょうか。

 戦後「落語浪曲」なる芸をぶら下げて、寄席に進出し、落語家以上の人気と評価を得た人です。保守的になりつつある浪曲の革新と本質を説きながら、夭折を果たした姿は能楽の観世寿夫や歌舞伎の中村勘三郎の匂いを感じます。

 三木助との仲の良さは有名で、義兄弟。そして、今も落語家が良く演じる「左甚五郎のねずみ」の源流はこの人です。

 有名な話なので存じている人も多いでしょうが、ある時、二人は「ネタを交換してみよう」と意気投合し、三木助は「加賀の千代」、菊春は「ねずみ」を教え合い、共に持ちネタとしました。

 三木助が話術やくすぐりを練り上げ、更に、安藤鶴夫などのパトロンの支持があった事により、「ねずみ」は一躍名作として君臨することになりました。名人と称されるようになった三木助の下に多くの弟子が集い、彼の芸を伝承していったのは言わずもがな、でしょう。

 話が横道にそれましたが、レコード時代は結構堅い演目を読んでいて、驚かされます。その中で、判りやすいものといえば、やはり落語でお馴染み「竹の水仙」。

 たった6分足らずで、結構面白い所を抜き出しています(前半部がないのが気にかかりますが)。こうした編集能力もまた菊春の天才的なセンスと言えましょう。

 ただ、菊春は戦後も活躍し、放送で凄まじい人気を得た事もあって、きちんとした長編やライブ録音の音源も多数残しています。

 ぶっちゃけ言うと、こちらの方が観客の反応や菊春が楽しく演じて居る様子がうかがえて、よろしうございます。まあ、一つの演者を知る機会となってくれれば――それはそれでいいんでしょうが。

 

初代 廣澤駒蔵

 この人は関西にありながら、関東節の調子や三味線をエッセンスに取り入れて、独自の節を練り上げた名人の一人です。なので、構成は関西節、三味線の音域は関東節というちょっと珍しい物を持っています。

 廣澤と名前がついていますが、有名な虎造とは別の系統です(さかのぼれば先祖は同じですが。落語でいう三遊亭円楽一門と三遊亭小遊三一門の如く)。

 明治~大正期の浪曲界の常識であった「ケレン(お笑い浪曲)では天下が取れない、大看板になれない」という因習をぶち破り、見事にケレンの価値を上昇させた功労者でもあります。

 強面で低調子という、到底愛想のいい人間に見えないにもかかわらず、節や科白に工夫を入れ、心躍るような軽妙さと、腹の底をくすぐるようなユーモアの開拓に成功したというのですから偉大なものです。

 関東節のエッセンスを入れた事もあってか、「幡随院長兵衛」「国定忠治」「清水次郎長」といった侠客物や喧嘩物を得意としましたが、何といってもケレン物が十八番。

 中でも「水戸黄門」「玉川お芳」の二つは、生涯のドル箱でした。

 水戸黄門は説明不要でしょう。徳川光圀こと水戸黄門様が、助さん格さんを連れて諸国漫遊――各地の悪を退治する作品です。

 お馴染の時代劇とはちょっと違いますが、大阪なまりの黄門様のとぼけた味が何とも言えません。他の作品と違い、ある程度の認知度があり、黄門様の姿が想像できるので、入門には最適ではないでしょうか。

 多くの吹込みがありますが、上の作品は音質もなかなかよく、節も軽妙洒脱なのでピックアップしました。

 最初に語られる外題付の見事さは、今日の和風ラップや言い立てのような面白さがあります。

 余談ですが、この軽妙な節まわしは漫才にも取り入れられ、戦後上方漫才で一世を風靡した松鶴家光晴・浮世亭夢若の十八番「春に浮かれて」は、この水戸黄門の出だし「つがい蝶々がパタパタ、空で雲雀がちゅうちゅうと……」というのを取り入れたそうです。

 下に二人の「春に浮かれて」を置いておきます。比べてみたらどうでしょう。

 そして、玉川お芳。この話も長編で、幡随院長兵衛や町奴と旗本奴の喧嘩が絡んでくる侠客伝ですが――多くは血生臭い男と男の駆け引きが描かれる中で、美貌と度胸を売りにした玉川のお芳が次々と男をなぎ倒していく――なかなかの痛快噺です。

 この話も、本気でやれば何日もかかる話で――上州高崎の農家の娘に生れながら、余りにも粗暴で男勝りなのに手を焼いた養父や村人が、お芳を言いくるめて関西へ送り出す「お芳の生い立ち」、お芳が女侠客として売り出す「お芳の売り出し」、そして幡随院長兵衛との出会いを描いた「お芳と長兵衛」などがあったそうですが、ここでは名古屋で悪代官をぶち〇す痛快な物を置いておきます。

 なかなか血なまぐさい題材にも関わらず、軽妙に語って見せる所に駒蔵が名人たる由縁の理由と価値があるのではないでしょうか。

 これ以外にも、まだまだ星の数、浪曲師と演題は存在しますが、これ以上書いてもやたらに長くなるだけなので、ここらでいったん区切る事にします。

 〽ちょうど時間となりました~~

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