漫才批評の難しさ 〜M-1グランプリ問題についての一考察〜 前篇

※予想以上に長くなってしまったので二部制にしました。許し亭ゆるして。

 先日放映されたM-1グランプリでは、霜降り明星という若手コンビがジャルジャル、ミキ、和牛などといった強豪を抑えて最年少受賞を果たした。それだけならば慶賀という所であるが、問題はその直後に起こった。

 打上の宴席で、とろサーモンの久保田かずのぶとスーパーマラドーナの武智正剛の両氏が酒に酔った上で、M-1グランプリの審査員をボロカスに貶し始め、特に上沼恵美子に対する批判の凄まじさたるや、「右側のおばさん」、「更年期障害」など、言うべき発言まで露呈してしまった。

 この件に関してはノーコメントとしておく。なぜなら上沼恵美子もこういう相手の尊厳を茶化す話芸で人気を集めたという側面があるので、何とも言いようがない。ただ狭いコミュニティで愚痴を零すだけならば、話はここまで大きくならなかっただろう。

 芸人と付き合っている身としては、こういう酒の上での暴言は良く目の当たりにするのでなんとも思わないし、人間だもの少しくらい愚痴を零さなやってられないのが人情、という所であるが、それをSNSにあげたのが不味かった。これを意気揚々と晒す所に現代の芸人の矜持があるとするならば、由々しき問題である。

 ましてや、そこそこ売れている二人の事、なぜそこに気が付かなかったのか、という疑問もあるが、やってしまった事はもうどうしようもない。曰く、フクスイさんはお盆に帰れなかったである。

 さて、この批判動画は瞬く間に他のSNSに拡散され、発言主の二人は謝罪をする羽目となった。まだ数日しか経っていない故、これから先どうなるか神のみぞ知る、という所であるが、この一連の騒動を受けて、多くのユーザーや関係者が賛否両論を口にしている。

 特に上方の大御所、上沼恵美子に突っかかったのは大きかったと見えて、「生意気」というような批判的意見、「たしかにあのおばさんはうるさいからよく言った」という援護意見と別れているのが厄介だ。そこへ、今回のM-1グランプリで色々と物議を醸し出した立川志らくとオール巨人への賛否両論が入ってくるので、なかなか入り乱れた領域へと達している。

 さて、今回の話は漫才批評の難しさである。東京漫才の研究の端くれとして、所感を述べたいと思う。が、私個人は最近の漫才にはあまり強くないし、これという資格もあまりない。ましてや上沼恵美子がどうこう、とろサーモンがどうこう、と批判する筋合いもない。ましてや、霜降り明星云々、ジャルジャルがどうであった、ミキがこうだったなどともいう気はない。というよりも、いうだけの感想がないからである。

 ここでは、ただ、漫才が如何に評価するのが難しいか、という事のみを、当たり障りないよう触れるだけである――と逃げ口上を記した上で、ちょっと考えてみよう。

 漫才の面白いとはなんぞや。

 この問に対して完璧な答えを出せるは、まずおるまい。長年あれこれ調べている私だって、絶対に答えることはできない。強いて答えるならば「個人個人の観念や笑いのツボに尽きる」といえようが、これもまたヒジョーに消極的な言葉である。

 後述するが、漫才や歌舞伎などは一つの型があって、観客は名人の芸を最高峰とし、後進達はこれを模倣し、自分たちの中に取り入れようと必死になる。曰く、観客はかつての名人への羨望と想い出に酔い、芸人たちはこの名人たちを越えようと夢見がちの観客に立ち向かう、というべきや。

 名人の出来が良ければよいほど、後世への宿題も多くなるが、この宿題の分が後進の発展の種となるのだから名人は、いたほうが良い。

 その名人と現代の関係について、端的に示したちょっといい話が、『藝十夜』という対談本に出ているので、小生の駄文代わりに置いておく。

 三津五郎 ……長さん(※松本長・能楽師)でいえばこういうことがあるんですよ。親父(※七代目三津五郎)が芸の道というのを話しまして、「九代目団十郎には足元にも追っつかないし、踊りでは芝翫に足元にも寄れない」っていうから「しまゃ、どうやったら追っつくんですか?」「どうやったって、生涯やったって追っつかない」「お父さんがそれなら、僕なんかどうするんですか?」「おめェなんか……」「じゃ、やることないじゃないですか」っていったら、「バカいえ、それをやるのが芸の修業だ」っていうんですがこっちも十五、六でしたから、一生涯かかっても追っつかないものをやったってしょうがねェやと思ってる時に、たまたま長さんから「おめェの親父は偉いんだぞ」っていわれたんで、「先生、うちの親父がこういうこといってるんですが、どう考えたらいいですか」「それは親父のいうとおりだ。俺だって生涯かかっても先代九郎先生(※宝生九郎)の足元にも追っつかない。もう死んだ人で、あれならそばに行けるかなというのは、いないよ」っていうから、「じゃ、先生、一生涯勉強してもつまらないじゃないですか」そうしたら「そういわれればそうだけどね、俊ちゃん(※八代目三津五郎の本名は守田俊夫)、考えようだよ。どんな偉い名人だって、どっか忘れものしてるよ」というんですね(笑)
「どういうことですか?」「たとえば能だって、安宅一つにしたって、あッ、九郎先生も、ここを忘れてたってところがあるよ、どっか一ヶ所
――。それを探すんだよ。それでそこだけをうんと勉強して、ここだけは師匠よりも一歩先へ出たッと――。そう思わなきゃ、生きていかれないじゃないか。おめェのお父っつぁんだって、死んだ人にはかないっこないんだ。けどお父っつぁんだって、どっかで落し物を探してるに違いないよ。それでなきゃあれだけにゃなれねえ。俺だってそのつもりでいるんだから、おめェも大人ンなったら、先輩やお父っつぁんの落し物を一生懸命探して、お父っつぁん、落し物がここにありましたよっていう、それが親孝行だよ」ってね。これは長先生の大変にいい後輩への励ましでしたね。


 修業とM-1グランプリは、そう簡単に結びつかないが、一つの余談として読んでいただければ幸いである。

 この型や名人の中にある忘れ物、という概念が後進の課題になるわけだが、漫才に関してはその忘れ物が問題となってくる。言い切ってしまえば、漫才には、忘れ物がほとんど存在しないのだ。

一、忘れ物がない漫才

 漫才には落語や歌舞伎のような明確な型がないので、忘れ物の焦点がなかなか定まらない。落語ならば、例え「子ほめ」のような短い前座噺で開口一番の前座がやるのと、人気の大御所がやるのとでは、同じ噺か、と見違えるほど、出来が違ってくる。その背景には、間や滑舌、くすぐりの入れ方など、前座ではわからない、年輪や芸の勘が存在するのは言うまでもない。

 だいぶ前に二つ目になりたての落語家が演じた『くっしゃみ講釈』と三遊亭笑遊が演じたものを、ほぼ近い時期で聞く機会があった。前者はネタおろしの事もあってか、筋を追うのに精一杯で重々しい感じがあったが(それでも敢闘賞は出る)、笑遊の方は完全に脱線、講談だってフラフラと演じるにも関わらず、爆笑爆笑で腹をよじった。兄貴が間の抜けた与太郎に胡椒の買い付けを言いつけ、与太郎がふざけてオウム返しする所で、「その言葉を聞くや兄貴の青筋がピピピピピ!」と連発したのが、おかしくておかしくて、たまらなかった。

 これはまあ、経験談であり頼りないものではあるけれども、落語のように起承転結が完成して、これが脈々と伝承されていくという、一つのテキストがあることは、誰がやってもそこそこに受ける保証があると同時に、残酷なまでにその実力の差を赤裸々にされてしまう、表裏一体の意味を持っている。

 オチケンがこれだけ栄えるのも、誰がどんな語り口でネタをやっても、そこそこ受ける、というテンプレートの気楽さ、というものがあるのだろう。

 一方、漫才にはそういうテンプレート性というものがほとんど無い。かつての「徳若に萬歳拝楽とはお家も豊かに治まりてんな」などと、鼓を持ってやる萬歳ならばまだ伝承のしようがあるけれども、しゃべくり漫才に至っては、しゃべる速度も声域もひとりひとり違うのでどうしようもできない。サンドウィッチマンのネタなどはやればそこそこ受ける、そういうテンプレート性を秘めていないこともないけれども、しかし落語と違って、オリジナルにはどうやっても勝てない、という性質もある。ここも厄介だ。

 ましてや、個人個人の価値観が蓼喰う虫状態で、どうしろというのだろうか。結局、個人個人が妥協する、価値観の定まらないものとなってしまう。

 かつては漫談もそう言われてきた。夢声の本を読むと、漫談は落語と違って伝承性がない、現代性のある話とかなんとか書いてあるし(大意)、イエス玉川などは、

ある日、お客様にこう言われました。あなたの漫談はうまい。ただ、まとまりがありません。そこが残念です……それだけ、言われてお客様は帰られました。そう言われたのが、悔しくて悔しくてその夜、辞書を引いて、漫談の意味を調べてみました。漫談……取り留めのない話。じゃあ、いいじゃないねえ?

 と、漫談が全く取り留めのないものだということをネタにして爆笑を掻っ攫っていた。

 かの立川談志などは「漫談は芸に非ず」的な発言をして、牧野周一や柳家三亀松等と喧嘩をしている。

 しかし、その談志自身が漫談の名手であり、これに続けとばかりに多くの落語家が漫談をやるようになった今日、落語ほどではないにせよ、ある程度の価値観が出てくるようになったのは、皮肉というべきか。漫談の救いの親というべきか。

 曰く、あの人の漫談はエスプリが聞いている、だの、この人の漫談は談志の真似事だ云々。

 柳家小三治が『まくら』なるエッセイを出していたが、あの中でウダウダと語られる卵かけご飯の話なぞは、漫談そのものである。漫談という言葉そのものは昔より勢力を失ったが、その観念的なものは、落語をはじめとする話芸の中に広く浸透し、今なお脈々と受け継がれている。

 それに対し、漫才は時代時代によって大きく変貌し、多くの芸能へ影響を与える側に回ってしまったが故に、いつまで経っても忘れ物の少ない、一定の価値観を得られない、というパラドックスに陥ってしまっている。

 これを、いつまでも古典的にならない漫才のメリット、と言う前向きの考察ができる反面、漫才がどこに行くのか、何が受けるのか、という予測が誰にも立てられない、という問題――今回のM-1グランプリにも通じる、それに直結してしまうように思えるのである。

続く

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