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ふらふらとバースト

同じ研究室にいる研究者同士でも、しばしばイメージを共有できない。
同じ現象について話していても、頭に思い浮かべているイメージが違って、話がうまく回らないことがある。

例えば、DNAからRNAが転写されてくる様子。
専門的な話になってしまうが、現象としては生物学の中で最も基本的なもののひとつだ。
細胞の核の中にはゲノムDNAがあって、「生命の設計図」と呼ばれたりする。
DNAは4種類の核酸が数珠つなぎになっていて、核酸の並び方、つまり配列が、モールス信号のように情報を保存している。
しかし、実際に細胞がDNA情報を使うときには、一度RNAに「写さ」れなければならない。

RNAは、DNAとは構造が少し違うだけで、同じ核酸だ。
細かい話は置いておくと、マスターテープであるDNAをもう少し安いテープにダビングすると考えて差し支えない。
ダビングする際に使われる「機械」は、RNA転写複合体と呼ばれていて、多くのタンパク質が集まってできている。
転写複合体がDNAに結合し、配列を読み取ってRNAに転写していく。
実はそれに先立って、「転写因子」と呼ばれる別のタンパク質がDNAに結合し、転写複合体は、転写因子を目印にDNAに結合する。
DNAがあって、そこに転写因子が結合し、それから転写複合体がやってくる。
転写因子は露払いのようなものだ。
あるいは、DNAをテープとしたら、転写因子はテープに接触するヘッドのようなものだと考えてもいい。

話はここからで、テープとヘッドの結合しているイメージが研究者によってけっこう違う。
本物のテープとヘッドであれば、ダビングしている間ずっとテープとヘッドはくっついたままだ。
わたしもそういうイメージを思い浮かべながらこの文章を書いている。
しかし、転写因子の大きさはせいぜい数ナノメートルで、1ミリメートルの十万分の一にも満たない。
先週にも書いたが、そのくらいの大きさになると、液体中の分子は拡散の影響を大きく受ける。
だから転写因子は、細胞の中に満たされた水の中をふらふらしている。
ふらふらしていた転写因子がたまたまDNAの近くにくると結合する。
物理や化学の知識があるひとには自明だが、DNAと転写因子は結合したり、乖離したりを繰り返している。
一定時間結合したら、拡散の影響でDNAと転写因子は離れてしまう。
離れてしまう前に転写複合体が近づけば転写が開始され、DNAの情報はRNAにダビングされる。
転写因子は道案内を果たせるわけだ。
もちろん、転写複合体が来る前に、転写因子がDNAから乖離してしまうこともある。
母艦がやって来るまで持ちこたえられるかどうかは、確率だ。
例えば、転写因子が1分間に10回、DNAに結合できるとする。
そして、結合したあと、転写複合体がやってくるまで持ちこたえられる確率を10%とする。
すると、1分間に転写が起こる回数は1回である。
このくらい低い頻度になるとけっこうばらつきがでるので、もしかしたら、ある1分間には1回も転写が起こらないかもしれないし、次の1分では3回、起こるかもしれない。
しかし1時間観測すれば、60回ちょうど、あるいはそれに近い回数の転写が見られるはずだ。
サイコロをひたすら振っていれば、どんどん確率通りの出目になるのと同じで。

だから、転写が起こるイメージというのは、ある頻度で転写因子がDNAに結合し、そこにさらに、ある確率で転写複合体がやってきて、それで初めて転写が開始され、DNAからRNAができる。
作ったり、作らなかったりをランダムに繰り返している。
ある時間、まったくRNAが作られなかったのに、突然、ぶわーっとできてくる。
事実、こういう現象は「転写バースト」と呼ばれている。

今までの一般的な生物学の手法では、こうした短い時間の様子を観察することが難しかった。
1時間とかそれくらいの時間スケールでものを見ていた。
だから転写が起こるとき(転写因子があるとき)は、ずっと起こっていて、そうじゃないときはずっと起こらないような、単純で、二元論的で、静的なイメージを持っていた。
ここ10年ほどの間に、物理や化学、工学の技術が生物学に応用され、転写の細かい様子が観察されるようになって初めて、転写がバーストしていることが証明された。
けれどそれ以前から、物理や化学の知識を用いれば、そうなることは十分想像できていたと思う。
そういった素養と世界観を持った人であれば、転写がランダムに起きるイメージを頭の中に想起していたはずだ。

ダイナミックなイメージを持っている人と、静的なイメージを持っている人が同じ研究室にいて一緒に実験をしている。
だとすると、イメージがかみ合わなくなることは、むしろ必然だ。
これは何も研究に限ったことではなく、ビジネスや経済のモデルでも、社会構造でも、創作物でも、持っている基本的なイメージが一致しないことはよくあると思う。
ついでに付け加えるならば、ランダムに起こる転写も長い目で見れば平均に近づくというイメージは、紛れもなく統計学の考え方である。
統計学のイメージを持つ人と持たない人の間に横たわる世界のイメージにはかなりの乖離があって、埋められないほど広いのではないかと、時々、感じる。

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