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物質と精神が対義語ではなくなる夢を見る

一言でいうならば被害妄想の話だ。

感情や心といった話題になると、どうも理屈の出番がなくなるような気がする。
相反する概念だと多くの人が感じていると、私が思っているからだ。
半ば勝手な思い込みで、被害妄想的で、コンプレックスを抱えているだけなのかもしれない。

もうひとつ話をねじって複雑にすると、「心を宿しているのは神経細胞の集合体である」といった生命機械論的な発想は、きっと多くの人にとって、心なく冷たい思想であると思われているのではないかということだ。
しかし逆に、「機械が心を持つ」類いのフィクションは現在までに数多、生み出されてきた。
純粋に物質的な存在が心を持ち人間と気持ちを通わせる話には、ある種のロマンチシズムが存在する。
『月は無慈悲な夜の女王』や『ナイトライダー』、「HMX-12“マルチ”」だってそうだ。
高度なシステムを有する物質的集合体に「心」が宿ることがロマンチックなことであるのならば、反対に、ヒトの精神が純粋に物理的な存在から機械的なメカニズムによって誕生すると考えることも心あることではないかと思う。
わたしにとってそれは、とてもロマンチックなことだ。
分子の集合体から、わたしが今感じている「私自身」という存在や、わたしの思考・感情が生まれてくると考えることは、神秘的で胸躍る想像だからだ。

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