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分解して組み立てるまでがワンセット

アニメ・ゲーム関連の作詞家である畑亜貴さんと漫才師のサンキュータツオさんが『ただらじ』というラジオ番組を自主制作されていて、その中に『感情言語化研究所』というコーナーがある。

発注を受けて制作するアニソンと、自主制作の楽曲では、作詞の意味合いが異なる。
アニソンは作品の一部となることを前提に作られるわけだから、テーマや雰囲気は作品を反映していなければならない。
つまり作品のため、引いては視聴者を楽しませるために書いている。
それに対して自主制作では自分の書きたいものを書ける。
畑亜貴さんにとって、自発的な作詞は「研究」に近いらしい。
『感情言語化研究所』というコーナでは、作詞によって言語化される感情について話をされている。
畑亜貴さんは、実際に作詞をする過程を通して、自分の抱く感情を理解しようとしていらっしゃるのではないかと番組を聴いて思った。
思ったので、その旨を感想メールに書いて送った。
面倒なことに生命科学と対比しながら書いたのだけれど、寛容にも読んでいただいて本当に申し訳ない。

メールの内容を一文に要約すると、

畑亜貴さんが商業的に作詞をする場合は、「生物工学」で、
自発的に作詞をする場合は、「合成生物学」に相当する。

ということなのだけれど説明が下手でおふたりには伝わりきらなかったようだ。
だから反省を込めてここに少し書いてみる。


生命科学の研究領域の区分はいくつか方法があるのだけれど、目的別に分けることも可能だ。
生物学の知見を元に技術を生み出そうとする領域は生物工学と呼ばれる。
技術を生み出している過程でメカニズムが解明されることはあるので、他の生物研究との線引きが難しいのだけれど、主目的というか、研究者のスタンスの違いと言ってもいいかもしれない。
体外で皮膚を増やす技術とか、網膜を作るとか、患者さんから血球細胞を取り出して遺伝子操作をしてまた体内に戻して治療するとか、いろいろある。
(上記の例はどれも医学関係だけど、新しい生物研究技術に関する生物工学的アプローチも膨大な量、存在する)

それに対して、一見、生物工学に似ている分野として合成生物学がある。
こちらも生物を解析して得られた知見を元に何かを「作る」のだけれど、目的が違う。
作ることを通して生物の機能を理解しようしている。

合成生物学について、生物時計を例にして考えてみる。
細胞内には今が何時頃かを知るためのシステムがある。
時計専用のタンパク質がいくつかあって、それぞれ作られる時間帯が違うので、タンパク質の量をもとに、細胞は時間を「感じ」ている。
細かいことは置いておくとして、朝とか昼とか夜くらいのスパンで、異なるタンパク質が作られる。
どこからか指令が出て作られるわけではなくて、お互いが作用し合って自律的にこのシステムは動いている。
タンパク質同士で、もっと作らせたりあるいは逆に分解したりしている。
制御工学の知識がある方ならばお分かりかと思うが、こういった系でうまくパラメーターを調節すれば、タンパク質の量は振動する。
細胞内では実際におおよそ一日周期で振動している。

本当はもっとたくさんあるのだけれど、簡単かつ直感的に説明するために、タンパク質が2種類ある場合を考えてみる。
条件は以下の三つ。

1、最初にタンパク質Aだけが存在する。
2、タンパク質Aは、タンパク質Bが作られる速度を上げて、量を増やす方向に働く。
3、反対にタンパク質Bは、タンパク質Aが分解される速度を上げて、量を減らす方向に働く。

最初はタンパク質Aがあるので、やがてタンパク質Bの量も増えてくる。
しかしそうするとタンパク質Bによってタンパク質Aは分解されて減ってしまう。
タンパク質Aが減るとタンパク質Bもあまり作られなくなり、減ってしまう。
するとまたタンパク質Aの量が増えてくる。
ここまでで一周である。
このサイクルが繰り返される状態を「振動」という。
行ったり来たり、ぐるぐる回っているからだ。

さて、実際に生物学の研究では、あるタンパク質がなくなると生物時計はどうなるのかを調べたり、生物時計に関係するタンパク質がお互いに分解し合うのか、あるいは作らせる方向に働くのか、調べることができる。
そうやってひとつひとつタンパク質の性質を明らかにしていって、それらの成果をまとめ、生物時計の正体を明らかにしていく。
しかし、それだけじゃだめだと考える人たちが合成生物学を始めた。

生物時計に関係するタンパク質を体外で人工的に作り、それらを試験管の中で混ぜ合わせた時に、時計が動く、つまり振動することを確かめないと、本当に理解したとは言えないと考えている。

これは何も特殊なことではなく、むしろ生物学以外であればごく自然な発想だと思う。
現象を観察し、実験し、理論を組み立てる。
次に、組み立てられた理論から予測されることを、実際その通りになるか実験によって証明する。
このふたつがそろって始めて正しい理論として認められる。
なぜそんな面倒なことをするのかというと、例えば生物時計に関係するタンパク質がいくつか見つかったとする。
しかしそれだけでは、それらのタンパク質がないと時計が動かないというだけであって、もしかしたら他にも必要なものがあるかもしれない。
つまり必要条件ではあるけれど、十分条件かどうかは分からないからだ。

長い間、多くの生物研究では、後半の、理論の予測を確かめるステップが抜けていた。
技術的に不可能だったからだ。
恐ろしく複雑なシステムである生物の機能を、部分的にとはいえ再構成することは困難だった。
ここ数十年の実験技術の進歩によってようやく、人間の手で生物の機能の一部を人工的に作れるようになってきた。
実際に、一部の生物種の生物時計は再構成に成功している。
念のため言っておくと、生物そのものを作るレベルには全く達していない。
細胞の中のごく一部の機能を、条件付きで、不完全に再現できるに過ぎない。

しかしようやく、理論の実証という展開を部分的にでも望めるようになって、合成生物学という分野が誕生した。

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