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言葉と解像度と許可局

今週の東京ポッド許可局で、「チルアウト」的なものについて話していた。

東京ポッド許可局というラジオ番組が好きで聴き続けているので、ここでも何回か名前が出たかもしれない。
「チルアウト」というのは、ダンスフロアにおいて、ちょっと休憩というときにかかる音楽のことらしい。
語感としては、「落ち着く」といった類のことだと思う。
他のジャンルで「チルアウト」的なものを考えてみよう、という話をしていた。
話の中には、「ゆるい」という言葉も出てきていて、こちらは頻出する形容詞だ。

これまでに番組内で「一億総ツッコミ時代」「半信半疑」「ドラリオン現象」「真っ赤なスポーツカー」などの許可局タームが作られ、そのうちのいくつかは新書になっている。
最近だと「イゾラド」というタームも生まれた。

例えば、ドラリオン現象。
シルク・ド・ソレイユ現象と言ったりもしているが、あまりにも技術が高すぎるエンターテイメントで、逆に観客の感情が動かなくなることを指している。
ファンや音楽の知識のある人間にとってのジャズは、情報の詰め込まれた、集中して聴くべきものである。
しかし、ファミレスでかかっているジャズの曲は、大部分の人にとって完全なる環境音楽だ。
ただ表面をなぞることしかできない人間にとっては、技術が完璧すぎるが故に引っ掛かりがなく、感情が動かされない。

イゾラドというのは、NHKスペシャルで紹介された、文明化していない種族のことだ。
文明化という言葉をこの文脈で使うのは差別的にとられるかもしれないが、あえてわかりやすい言葉にしているだけなので他意はない。
ともかく、産業革命以降の西欧文明を基礎とするグローバリズムから全く隔絶された人たちのことで、こちら側から見てもあちら側から見ても、共通する価値観が少なく、話し合ったり交流するのが難しい。
ぐっとレベルを日常生活に引き寄せて見てみれば、我々の周囲にも、理解の難しい習慣を持つ人たちがいる。
街中で見かけるおじさんの行動とかスポーツ新聞の見出しであるとか。
現代の風潮からはちょっと取り残されているけれど、彼らは彼らの文脈の中で生きている。
そういうものをイゾラドと呼んでみる。
もちろん、許可局の三人のパーソナリティーも我々自身も、何かしらのイゾラドだ。

され、ここまでが前置きで、ここからが「チルアウト」の話である。
「チルアウト」は情報が適切に減らされていることで、「ゆるい」は雑然として秩序がない状態らしい。
音楽で言えば、テンポが速すぎず、音の数が多すぎず、ハイもローも過剰ではないものを「チルアウト」的としてみる。
笑いで言えば、ひたすらボケを被せてきたり、大声で笑わせにきたりしないもの。
落語、とくに寄席はチルアウト的なものがたくさんある。
私の好きなアニメにもある。
日常系と呼ばれる作品は、物語も動かず、派手な演出もない。
人も死なないし、あからさまな恋愛も描かない。
日常生活における、ミニマルな感情の動きや人間関係の変化を描く。
ギャグも面白くなりすぎないように調整されている。

一方、「ゆるい」は、情報の多寡によらない。
伏線がまったく回収されないドラマとか、キャラクターが途中でブレる漫画とか、作画の安定しないアニメとかのことを指す。
初期のゆるキャラに見られた、ご当地の名産をこれでもかとてんこ盛りにした結果、収集のついていないキャラクター造形には、一貫したコンセプトや情報の取捨選択、統一感が見られず、まさに「ゆるい」という言葉が当てはまる。

聞いていて思ったのは、普通に「ゆるい」を使うときは、情報の少ないものと雑然としていることを区別せず、ともに「ゆるい」と表現している。
広義の「ゆるい」の中に、「チルアウト」と、狭義の「ゆるい」のふたつがあるのだと思う。
これまで一緒にされていた概念をふたつに分けることで、物事に対する解像度を上げる。
東京ポッド許可局は、度々こういう仕事をする。
彼らは三人とも芸人なので、笑いをとりながら話ができる。
けれどそこは本質ではない。
新しい概念を作ろうと、多少荒々しくても雛形を作ってしまうその現場を放送している。
だからずっと楽しく聴いている。

(放送回の半分以上ではくだらないことを話していて、それも面白いです)

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