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損ばかりではないが、小供の時からぼーっとしている

子供のころ頻繁にぼーっとしていた。

何かを想像したり考えていたりして、気がつくと時間が飛んでいる。
自分は変なのではないかと思っていた。

今でもふとしたとき同じ状態になる。
もっともなりやすいのはタクシーに乗って外を眺めているときだ。
タクシーを利用する頻度が高くないので、回数としては多くないが確率はいちばん高い。
一定のロードノイズと、流れていく景色の変化に誘導作用があるのかもしれない。

ここ数年、脳科学の分野でデフォルドモードネットワークという概念が浮上しているようだ。
なにか具体的に、体を動かしたり作業したり思考している時ではなく、かと言って眠っているわけでもない。
起きているけれど何もしていない状態のときにも、脳はかなりのエネルギーを消費して活動しているらしい。

なにもしていないのに脳が活発に働いているということは、研究者にとって受け入れにくい事実だったらしく、ながらく固有の脳活動としては認識されてこなかった。
車で言えば、アイドリング状態のときにどんどんガソリンが使われているようなものだから、たしかに解釈に困る。
なぜそんな無駄なことをするのか。

最近では、記憶や思考の整理に使われている、つまり神経ネットワークをメンテナンスしたり整理整頓したりしているイメージだろうか。
わたしは神経科学の専門家ではないので、聞きかじりの知識で書いた間違った解釈かもしれない。

そして、おそらく今から言うことも、デフォルトモードネットワークとは違う脳の状態なのだと思う。

無意識に考えごとをして、考えているという意識も、集中している自覚もない。
そんな状態のときにいちばん思考が働く。
作家の森博嗣氏も著書の中で、集中した思考の中からは新しいアイデアは生まれないと述べている。

何かあるたびにぼーっとしていた子供のころの自分に、そういうのも別にいいんじゃないか、と何十年かかけてようやく言えるようになった。

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