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『リズと青い鳥』の長い感想①

わたしは劇場版アニメ作品の『リズと青い鳥』が大好きだ。12月5日にようやくブルーレイが発売される(予約済み)。今年の五月頃、これもまたわたしが大好きなサンキュータツオさんたちのPodcast番組『熱量と文字数』で特集するというので、長い長い感想を書いて送った。せっかくだからブルーレイ発売を控えたこの機会に、何回かにわけて感想を載せておく。

読む人が作品を観ていることを前提に感想を書いているので少しだけ作品の説明を。

『響け!ユーフォニアム』という小説を原作とする同名のTVアニメシリーズがあって、『リズと青い鳥』はそのスピンオフ作品である。
原作小説は、京都の宇治にある高校の吹奏楽部を舞台とした青春群像劇だが、『リズと青い鳥』はそこからふたりの登場人物に焦点を絞ってひとつの作品にしている。
フルート担当の傘木希美(かさき のぞみ)とオーボエ奏者の鎧塚みぞれ(よろいずか みぞれ)は共に高校三年生で吹奏楽部員である。明るく人の輪の中心にいる希美と、引っ込み思案で自分の殻に閉じこもってばかりいるみぞれ。みぞれは、中学時代に吹奏楽部に誘ってくれた希美のことを、世界の全てだと信じている。しかし、音楽的才能と努力する才能に恵まれたみぞれは、やがて楽器奏者として希美をはるかに追い越してしまう。

という設定で、実力と友情と思春期が混沌と煮込まれた、単純なハッピーエンドには向かわない繊細さに満ちあふれている。

(以下、感想。ネタバレ満載です)

【はじめに】

少女たちは優しい嘘をつく。

劇場で六回鑑賞しましたがそれでも、高校生活などはるか昔に過ぎ去り、そもそも性別も違う私の思考と、『響け!ユーフォニアム』の原作小説で描かれる、人を慰めるために、人に好意を示すために優しい嘘をつく彼女たちの気持ちの間には、飛び越えることを拒む高い壁が存在します。

もちろん彼女たちも易々と嘘をついているわけではないようで、原作では「優しい嘘」をつけずに自己嫌悪に陥る久美子の描写がありますが、そこは彼女の魅力としても描かれています。

『リズと青い鳥』においては、原作の中にある様々な要素、吹奏楽に打ち込む少年少女の姿や、人間関係に揺れる気持ち、将来への期待と不安などの中から、希美(のぞみ)とみぞれの関係性とそれによって引き起こされる感情だけを余すところなくすくい上げ、作り手が自分の価値観でそれを加工してしまわないように細心の注意を払いながら映像化しています。その結果、彼女たちの言動は、そのまま彼女たちの本当の気持ちを表していません。

裏に隠した自分の気持ち、自分も気づいていない無意識下の本心。

もちろん、既存作品群においても、セリフの行間や言動の不一致といった要素は、特に文芸性を含む作品の得意とするところであり、作品の本質をなすことさえありますが、多分に漏れず本作品も言外のニュアンスにあふれており、また目的を果たすために組み上げられる、映像や役者の演技といった一つ一つの要素の持つ精度は、驚嘆に値するレベルにあります。

つまりは、素晴らしく、繊細で誠実な作品、というのが私の印象です。

【演技について】

希美役の東山奈央(とうやま なお)さん、みぞれ役の種崎敦美(たねざき あつみ)さんの演技はとても素晴らしいものに私には写りましたが、演技に関して「すごい!」以外の言葉を持ち合わせておりませんので、パンフレットの内容を引用するに留めます。

90分の尺を持つ本作の脚本は、同じ長さの通常の劇場版作品の半分くらいしかないそうです。人間が、話された内容を理解し、口を開くまでにかかる時間をリアルに表現しようとした結果だと山田尚子(やまだ なおこ)監督と脚本の吉田玲子(よしだ れいこ)さんがおっしゃっていました。

私の記憶が間違っていなければ、神山健治監督が著書の中で、アニメと同じ内容を実写でやると倍以上かかると書かれていました。つまり、本作品は実写と同じ間合いで進行していることになります。

種崎敦美さんが、映像に合わせて演技をしなくても、自分の間合いでセリフを発したら映像に合っていた瞬間があったと発言されています。アフレコにおいてこの現象は、絵コンテ段階で生身の人間の持つ会話のリズムを精密に再現していた監督の技術力と、キャラクターにシンクロしていた役者の、奇跡的で必然的な一致だと言っても過言ではありませんし、本作品が実写と同じリズムを持っていることを示唆しています。

【映像表現】

さて、続いて映像表現の方ですが、本作に限らずアニメーションと、背景・小物に分けて記述するのが妥当なところかと思います。

では、まずはアニメーションについて三点。

1、小数点以下の感情

喜怒哀楽には分類されない、複数の矛盾した微妙な感情を同時に表情に乗せるという実写的なアプローチに挑戦しています。このアプローチはちなみに、前作の『聲の形』でも同様に、繊細な感受性を持つ主人公が硝子を初めて見たときに感じたであろう、不安といらだちと怒りの混じった感情を画にしてみせていました。

『リズと青い鳥」においてこのアプローチが爆発していた場面を一つ挙げるとすると、クライマックスの演奏シーンの後の、希美とみぞれが生物室で話し合う、対決の場面でしょうか。

「大好きのハグ」をしながら、希美の好きな点を挙げるみぞれ。

希美が褒めてほしいのはフルートの演奏ですが、みぞれの口からはそれ以外の言葉が次々と発せられます。二人のこれまでの関係性が完全に破壊されてしまった後で、みぞれに対する気持ちを、これまでごまかしていた自分の気持ちを完全に自覚してしまった希美には、みぞれの語る愛の言葉は空虚に響きます。念のため補足しておきますが、仮にみぞれが希美のフルートを好きだと言ったとしても、それは希美のコンプレックスを増加させるだけであることは希美本人も気づいていたと思います。

本筋に戻すと、ハグをしてお互いの顔が見えない状況において、希美の表情は比較的自分の生理に素直であると考えられますが、この間ずっと希美は無表情で「なんともいえない」顔をしています。アニメーションで「なんともいえない」表情を描いてそれが不自然さを伴わずにこちらに伝わってくることに心底驚きました。

揺れる瞳とまばたき、不随意運動に近い瞼の動きだけが、不都合な真実を受け止めざるを得ない彼女の冷めた心を表現しています。二人の会話としては最も盛り上げたい終盤の場面のこの表現に、作り手の執念じみた覚悟を感じました。

希美が泣いて怒った方がどれだけ分かりやすいかわかりません。

顔を引きつらせて涙をこぼし、心に溜まっていた気持ちを言葉にして溢れ出させた方がどれだけエモーショナルでカタルシスがあるかわかりません。

本来的に絵であるところのアニメーションに命を吹き込むのはこうしたダイナミズムであるはずなのです。

その王道と伝統から外れる勇気と、形にしてしまった山田尚子監督を初めとする京都アニメーションのスタッフは賞賛されてしかるべきです。

(続く)


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