何が問われているのか

学部の選び方を教えてくれたのは、予備校の先生でした。

高校卒業から大学入学まで、ぼくは浪人生として1年間、神戸の予備校に通っていました。そこで受けた「小論文対策」の授業が、いまの自分にとって、とても役に立っていると思っています。

その授業ではじめに教わったのは、「大学や学部ごとの出題傾向」でも「小論文の書き方」でもなく、「学問ごとの特徴」についてでした。

世の中の学問は大きく「人文科学」「社会科学」「自然科学」に分けられる。

人文科学は、人間や文化に関する科学。「人ひとりの中について」です。

社会科学は、人と人が集まってできる社会に関する科学。「人と人との関わりについて」です。

自然科学は、自然の法則に関する科学。「人と自然の関わりについて」です。

言葉にすると当たり前ですが、大切なのは、この3分類はあくまでも視点が違うということ。つまり、この分類を混同してはいけないし、優劣もありません。

もちろんこの分け方は大雑把すぎますし、2つ3つを横断する学問もたくさんあります。

ただ予備校の場合、多くは10代の生徒が受ける授業をするわけですから、先生も、厳密さより単純さを重視したんだと思います、だからこそ、当時のぼくはすんなりと理解できました。

「どんな学問も等しく世の中にとって必要であるけど、ただちょっと種類が違うんだよ。だから小論文を書くときは視点を大切にね。」

先に挙げた「大学や学部ごとの出題傾向」、「小論文の書き方」、「学問ごとの特徴」の中では、「学問ごとの特徴」を何より重視している先生でした。

そしてそれは後から振り返ればとても本質的だったと思っています。

先生から直接言われたわけではありませんが、小手先のテクニックに頼らず、どういった物事の見方をするかを鍛えなさいと、そう諭されているようでした。

18歳のぼくは、そうやって、入学試験に限らず生きている中で降りかかるさまざまな問いかけについて、「実際は、何を問われているのか」と、考えられるようになりました。

試験を初めて「人が作った問題」だと認識し、その意図について考えようとした瞬間でした。

あれから6年、当時解いていた試験問題も、その後出会ったさまざまな問いかけも、「実際何を問われているのか」わからないものばかりです。

「何を問われているのか」わからない問いは、受け手にとてもストレスを与えます。「そのストレス下でのパフォーマンスを見る」手段としては確かに有効なのでしょう。

でも、できれば、ぼくが発するのは、いつも意図の明確な問いでありたいと思っています。何を聞かれているのかわかりやすい、リラックスした状態でのコミュニケーションに努めたい。

こんなこと言っているから、いつまでも駆け引きに弱いと言われるのでしょう。でもまあ、仕方ないですね。

山脇、毎日。