「良いこと言うなぁ〜」の正体

SNSで日々他人の意見を目にしていると、ふと「良いこと言うなぁ〜」という投稿を目にします。

「良いこと言うなぁ〜」の”良いこと”って、なんなんだろうとずっと考えていて、単に正しいことっていうわけでもないし、リアルなことっていうわけでもないし、もちろん理屈がめちゃくちゃ通っているっていうわけでもない。

つまるところ、”良いこと”っていうのは、その発信者が「心の底から出した正論」というか、力強さを感じるような、そんなものなんじゃないかと考えました。

正論は”きれいごと”や”絵空事”と混同されやすいですが、本来は言葉自身にネガティブなニュアンスはないはずで、使う場面でどれだけ想いが乗っかるかどうかで、活きたり活きなかったりするんだと思います。

「正論だけどつまらない」のは、語る人がどこか他人事のように話しているからではないか。本当に、心から信じて発した言葉であれば、力強い正論は「良いこというなぁ〜」と思ってもらえるんじゃないか。

「建前-本音」、「善-悪」、の軸だけでは測れない、いわば”力強さ”、”らしさ”という要素に、人がどれだけ惹かれていくんだろうというのは、日常のいろんなできごとを通じて、いま、最も関心があることの1つです。

もちろん、正論でもないことで人を魅了してしまうのは、それはそれで危険な力ですが、少なくとも、正論をつまらなくさせないためには、力強さが大切なんじゃないでしょうか。

そして、SNSのような空間であれば、心の底から出しているかどうかは、発信者と距離が近い人ほど判断しやすいはず。

だからぼくは、身近な人が発する力強い正論に「良いこというなぁ〜」と頷ける人間でありたいです。

山脇、毎日。