無償の愛は浅はかで、深い

【人に想いを届けることについて】

いつも素直に明るく、人を喜ばせられるAさんがいます。喜んだBさんはきっと何かの形で恩返しをし、AさんとBさんで喜びのキャッチボールが繰り返されます。AさんはCさんにもDさんにも、同じように喜びを与えます。そんなこんなでAさんの周りには、いつも喜びが飛び回っているのです。

どんな人の言葉や行為でも、受け取る側の態度によって、刺さり方は変わると思います。「この人の言うことなら」「この人のためなら」で突き動かされるパワーは案外大きく、理屈で塗り固められた説得力を軽々越えていくでしょう。


見え透いた魂胆なんて一瞬で見破られる

人に何かをしたりしてもらうとき、一番大切なのは”素直さ”だと思います。コミュニケーションにおいて立場をちらつかせた発言や態度など、受け取り側は敏感に感じますし、たとえ全うなことを話していたとしても、内容が届くことはありません。

建前を前提として投げられたボールは、建前でしか返されないと思います。それで十分成立する場面もありますし、一概にそれが悪いとは言えないのですが、相手と良好な関係を築きたいのであれば、どう言えば伝わるのか真剣に考える必要があるのではないでしょうか。受け手の気持ちを考えず、自分の言いたいことだけ言うのが、僕は一番いけないことだと思っています。


駆け引きという言葉の持つ意味

こういうことを言うと「世の中には大事な駆け引きや交渉があるんだ! いつも本音だけで話せるわけあるか」「お前みたいな甘いやつがいるからダメなんだ!」というお叱りを受けそうですが、お言葉の通り、僕は小さいころからほんとうに駆け引きや交渉が苦手です。そして、僕みたいな人間もたくさんいると思っています。

僕は究極的には、駆け引きや交渉といった言葉がなくなればいいと思っています。なぜならその言葉には、誰かが損をしたり、落とし所がつけられた、という意味が込められているからです。(ここで述べていることは、特に意思決定や合意形成ではなく、主に個人間のやりとりについてです)

駆け引きや交渉の本質は、「想いが相手にきちんと伝わること」のはずです。だったら、どうすれば気持ちを受け取ってもらえ、感じてもらえるのかを真っ先に考えるべきなはずです。


要は伝わればいいんです

想いをきちんと伝えることが一番の目的なら、手段は少々不格好でも構いません。押し付けがましさを隠すため、あえて冷淡さ装う人もいますが、僕はそういうやり方もありだと思います。

要は伝わればいいんですという態度でぶっきらぼうに放たれた言葉は、見え方によっては浅はかで、嫌味っぽく映るかもしれませんが、そこに「気持ちが届いてほしい」という深い想いが感じられた時、僕はそれを素直で美しいと思ってしまうのです。


ロジックや魂胆で固められた正論よりも、素直な気持ちから発せられたメッセージの方が強くて美しい。という話でした。

山脇、毎日。