「するようにしている」ことの大切さ

【なぜ刺激を得たいのかについて】

昨日のブログで【カベをつくることについて】書きました。

カベをジャンプしたとき刺激はおとずれる

留学生にたいして知らず知らずのうちにカベができていた。という例を挙げたのですが、そもそもこのカベの存在に気づいたのは、ぼくが「留学生とコミュニケーションをとりたい!」と強く思ったからでした。

ぼくにとって留学生と接することは”新しいこと”であり”刺激を得られること”でした。おそらく新しい人やことに触れることで得る刺激を自然に求めていたようです。


景色を共有したいという強い、思い

この一連の意識には、人間の(少なくとも、ぼくの)もつ2つの欲求が現れていると思います。1つは「感情を共有したいという欲求」もう1つは、「人生を豊かにしたいという欲求」です。やや大げさに聞こえるかもしれませんが、行為の大小にかかわらず、この2つによって行動を起こすことはたびたびあります。

自分が見ている景色を他の人も見ていて、湧き上がってくる感情を共有できるのはとても嬉しいです。

ぼくは海が好きで、地元に帰ったときはいつも瀬戸内海を眺め、その雄大さにほんとうに幸せな気持ちになっているのですが、この間、ふと

「ああ、昔の人もこうやって、美しい海を眺めていたのか」

と思ったことがあります。


自然は時を超えるためにある

自分が生まれるはるか前から海はそこにあり、いままで数えきれない人々が眺め、いろいろな思いにふけってきたはずです。そうしていまも、こうやったぼくが同じように海を見て感じ、温かい気持ちになれる、そのために海は必要なのかもしれない。変わらないものは尊いなぁ。としみじみ感じたのでした。

そして、時を超えて、昔の人と美しい自然についての想いを共有できた気がして、なんだかとても嬉しかったのです。

これは景色に限った話ではなく、映画の感想や食べた料理のことなど、日々の出来事にも当てはまるでしょう。ぼくは確実にそういったことを人に言葉で伝えたいタイプです。


日常にイブツを取り込む

もう1つ、「人生を豊かにしたいという欲求」について。自分の人生を自分のできる範囲で幸せに暮らしたい。それは誰しもが願いであると思います。

激動の人生を送りたいのか、日々平穏にすごしたいのか、豊かさの定義は人によってさまざまでしょう。ただ1つ、人生を豊かにするために必要なのは、自分の人生を豊かにできているという”実感”だと考えています。

変な言い方だと思いますが、なによりも、自分が選び取った行為によって生活をよりよくしているという感覚を持てなければ、たとえどれだけ人から羨ましがられるような毎日を送っていたとしても、満たされないのではないでしょうか。

そして、その”実感”を得るためには意識的・主体的に、「日常にイブツを取り込む」ことが必要です。この「日常にイブツを取り込む」というフレーズは、最近ぼくのまわりでよく耳にする言葉で、これについても改めてじっくり考えたいと思っています。

わかりにくい表現だと思うので例を挙げると、”アート”がその代表かもしれません。高度に発展したアートはもはや私たちの身近に存在しており、アートのもつメッセージを受け取ることで新しい気づきや刺激を与えてくれます。

そしてなによりも、この自分で受け取りにいったという行為を意識しておくことが、つまり「〜するようにしている」と思えることが、人生を豊かにするためにたいせつなんじゃないかなぁと考えています。

おおげさなことをしなくても、自分のもつ欲求について意識的になるだけで人生は少しだけ豊かになる。という話でした。

山脇、毎日。