オーダーメイドで満足できるのか

洋服を買うとき、かならずつきまとうのが「サイズ問題」オーダーメイドはそんなサイズ問題に対して、現状、最も有効な「解決策」であると考えられています。

確かに、サイズを測定し(厳密にはフルオーダーのことですが)、自分の体型にあった洋服を作ってくれるオーダーメイドは、硬くてゴワゴワしていてサイズが合わないとストレスでしょうがないデニムにおいても、真っ先に取り入れる仕組みであるようにも思えます。

実際、とくに女性において、デニムを選ぶ際の一番の基準は「自分のサイズに合うかどうか」と言われており、デニムのオーダーメイドビジネスはとても需要がありそうです(すでにサービスとして展開している企業もあります)

一方でぼくは、オーダーメイドについて懸念していることがあります。それはよく言われるような、「生地やデザインの選択肢が多すぎて、結局どれを選べばいいかわからない」といった類のことではありません。それらはサービスの提供側が顧客データを観測した上で絞り込めば良いですし、時間が経てば洗練されていく部分だと思います。

ぼくが心配なのは、「オーダーメイドが洋服においてなされるということ」です。洋服というものは(和服も含めていいかもしれません)常にその歴史において、身にまとう人の個性を主張し、他人との差別化を図るものでした。SNSの発達や消費の衰退によってその役割は薄まってきたと言われていますし、2014年のトレンドは”ノームコア(究極の普通)”でした。

しかし、まだまだ洋服を通じて個性を主張したいという力は弱まっていないように感じます。というより、表現の手法が変わっただけというでしょうか、個性の主張の仕方が、目に見える洋服のデザインやシルエットだけでなく、ブランドに込められたイメージやなぜそれを選んだかの理由まで含まれてきていると思うのです。

そして、以前のブログでも書いたように、ぼくたちはそういった購入の背景や意思を、セルフブランディングとして簡単に表明できるようになりました。もはや洋服はその着心地や材質だけでなく、つくられたストーリーにおいても、他者へのアピールとして意味を持ち始めているのだと思います。

生産背景を透明にすることで差別化できるのは、ブランドだけではなく、消費者(発信者)もまた同じなのです。意外にこの視点はいままで自分の中から抜け落ちていました。そしてこういった意味において、洋服は個性を主張する手段としてやっぱり強いなあと思うのです。

と考えると、オーダーメイドは「数多ある種類の中から自分の好きなものを選ぶ」という構造上、得られる体験が固有なものとなり、発信する際に伝播しにくいのではないかと考えます。

できあがった商品に関しては間違いなく一点モノですし、確かに差別化できているかもしれません。しかし、モノを作ったのが自分である以上、モノができあがるストーリーにおいては「無色透明」な気がするのです。モノのイメージがないというか、イメージができないという意味です。

「自分にピッタリ合ってしかもオシャレな洋服が着られて幸せ」というSNS投稿は、その解決した想いが広まっていくことはありそうです。ただし、その投稿をいいね!と思った人は写っている”その洋服自体”が欲しいのではなく、”解決した体験”が欲しいのです。

構造上、作り手の意思が消費者側に委ねられてしまうオーダーメイドが今後どれだけ多くの人に受け入れられていくかは、ぼくたちの洋服の価値観を図る上で見逃せないと思います。

山脇、毎日。