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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12443-12447:2024年4月5日(金)

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タイトル一覧

12443. 文化遺産・宗教遺産としての日本の法相唯識教学/成長に不可欠な健全な自己批判

12444. 今朝方の夢

12445. この生き方の継続と徹底/今朝方の夢の続き

12446. 日本の法相唯識教学の研究に向けた自らの在り方/感動を通じた記憶

12447. 唯識思想に関する古書を注文して

12443. 文化遺産・宗教遺産としての日本の法相唯識教学/成長に不可欠な健全な自己批判

時刻は午前5時半を迎えようとしている。昨日のジムでのパーソナルトレーニングに大きな充実感を感じていたこともあり、昨日の入眠はすこぶる速やかであった。トレーニングから一夜が明け、どこかシロシビン・セッションの翌日かのような生まれ変わり感と爽快感がある。それを受けて、今日もまた充実した1日になるであろうことが予感される。昨日のトレーニングから工夫したことは、パーソナルトレーニングを始める前に動的ストレッチに加えてローイングのウォーミングアップをしたことである。これはトレーニングの最後にランニングと合わせて有酸素運動として行っていたが、昨日はローイングを通じた軽めの有酸素運動をトレーニングの開始前に少々行い、トレーニングの最後にゆったりと時間を取った形で有酸素運動を行った。今のところこのようにトレーニングの前後に有酸素運動を行うのが良さそうなので、来週の月曜日の自主トレーニングの際にもそれを踏襲し、木曜日のパーソナルトレーニングの日も同様の形式を採用したい。こうした大まかな型を決めておいて、型の中身のトレーニング内容についてはとりわけ木曜日はトレーナーに提供してもらう種々のメニューをこなす形で脳と身体に新たな刺激を入れていきたいと思う。

唯識学を学べば学ぶだけ、インドで発祥し、中国から日本に法相宗として伝播したこの思想は日本における文化遺産であるだけではなく、宗教遺産であるとつくづく思う。発祥の地のインドでは唯識思想はほぼ消滅してしまっているようであるし、中国においても事態は同じのようだ。翻って日本では、興福寺と薬師寺を大本山としてまだこの伝統が細々とではあるが残されている。日本の法相宗を保全し、その教えを現代の諸課題と照らし合わせて生き返らせる試みに従事したいという思いが昨日沸々と湧いていた。また研究の焦点も自分はもう日本の法相唯識教学に当てられている。サンスクリット語やチベット語よりも優先するべきは、日本の古書を紐解くための漢文読解力を高めることである。唯識学の研究は日本の歴史に目を開かせ、歴史に関与していくことに自分を駆り立てた。また、漢文という日本語なのだが現代においては外国語のような言語体系についてもまた学習をしなおうそうと思っている。こうした形で、唯識学との出会いを通じて、自分はまた変貌の歩みを歩き始めた。とても有り難いことである。

唯識学との出会いを通じて、これまで自分が学んできたことや自分自身に対して健全な自己批判が起こっている。成長に必要な健全な自己否定はすこぶる大切である。言うまでもなくそれは自傷的な自己否定ではなく、現在の自我の殻を破り、殻を剥いていくような自己否定である。それが私たちの成長に不可欠なのは当然で、成長とは今の自分を含んで超えていく形で現在の自己を脱却していく必要があるからである。健全な自己否定ができない人に成長はなく、他者の成長支援においても他者に対してそれができるかが重要になる。唯識学を通じて心の深層や様々な側面を見つめながら、さらなる心の成長に向けた健全な自己批判をここからさらに徹底していこう。そのようなことを思う朝である。フローニンゲン:2024/4/5(金)05:40

12444. 今朝方の夢

午前5時半を迎えた現在の気温は11度と比較的暖かい。今日は日中の最高気温が15度まで上がる。なんと明日は23度まで気温が上がるとのことで、この季節のフローニンゲンにおいては異常な気温となる。そうした例外的な気温が現れ始めたところにも季節の着実な進行を感じる。今日から来週の月曜日までは最高気温は15度以上となるが、火曜日からはまた15度以下となる形で寒さが戻る。絶えず変化をしながら歩みを進めている姿はどこか自分と重なるだろうか。

今朝方はいくつかの断片的な夢を見ていた。それらの夢を振り返る中で、昨日書き留めていたように唯識学の観点を意識したいと思う。

まず覚えている夢は、大学時代に知り合った別の大学に通う優秀な友人が自分のリアルセミナーに参加してくれることになった場面である。彼は大学時代から頭が非常に切れ、大学卒業後は外資系の名門の戦略コンサルティングファームに入社した。そこから投資銀行やヘッジファンドのキャリアを歩んだ彼が、なんと唯識学をテーマにしたリアルセミナーに参加してくれることになったのである。彼はすでにセミナーで取り上げる課題図書を読んでおり、セミナーの参加前から色々と自分に意見や質問をぶつけてくれていた。その姿は大学時代と変わらず、私たちはセミナー以上にその場でのやり取りを楽しんだ。彼は学者肌でもあったので、自分の研究についての鋭いフィードバックもしてくれて、それは今後の研究に必ずや活かされるであろうと思った。実際のセミナーには外国人の学者たちも多く参加してくれていた。彼らは一様に仏教やインド思想に関心を持っており、彼らも当然唯識思想は聞いたことのある思想のようだったが、その中身はあまり知らないようで、自分の話に熱心に耳を傾けてくれていた。セミナーでの彼らとの質疑応答も活発で、こちらから説明するセミナーの本編よりも、改めて質疑応答こそ自分にとって大切な時間なのだと思った。

それ以外に覚えている夢としては、昔見ていたアニメのキャラクターが多数登場する夢と、広く立派な旅館を舞台にした夢があった。いずれもその夢の中でどのようなことが展開されていたかはもう忘れてしまっているが、感情的には中立的な自分がそこにいたように思う。感情の波は立たず、冷静にその夢の中で立ち居振る舞いをしている自分がいた感覚の残滓がある。

今書き出した夢の中で印象的なのは、やはり唯識学に関して非常に知的な友人と対話を楽しんでいたことと、外国人研究者たちと活発なやり取りをしていたことである。きっと自分は彼らのような存在を深層意識で望んでいるのだろう。有り難いことに、すでに今の自分の身の回りにもそうした人たちは存在しており、今後はさらにそうした人たちとの関わりを深いものにしていきたいものだ。外国人研究者とのつながりは今のところほとんどないが、これからきっと阿頼耶識に薫習された種子が熟し、機が熟したら、必ずや外国人の研究者たちとも活発なやり取りをするようになり、唯識学の研究が国際的な形で進んでいくはずである。そんな展望を予感させる夢だった。フローニンゲン:2024/4/5(金)05:58

12445. この生き方の継続と徹底/今朝方の夢の続き

透き通るような小鳥たちの鳴き声が朝の世界にこだましている。時刻は午前6時半を迎え、ようやく空がダークブルーに変わり始めた。サマータイムに入って数日が経つが、ようやく1時間の時間のズレに慣れてきた感じがする。たった1時間なのだがそれが人為的に変更されると、日の出と日の入りの時間のズレから幾分感覚的なズレが生じていた。それが今解消され、サマータイムに入った欧州のソーシャルリアリティに存在の調節が完了したように思う。

今日もまたいつもと変わらずに唯識学の研究に自由奔放に思う存分に打ち込んでいく。唯識学に関する書物を好きなだけ読むことができ、それについて思索を巡らせ、自分を対象にして実践に落とし込み、そしてゼミやラジオの場で唯識学について話す機会に恵まれていることに本当に感謝しなければならない。自分の好きなことが使命となり、それだけに自分の全時間と全エネルギーを注げるほどに有り難く、そして幸福な人生もないだろう。ここからもこの生き方を徹底貫徹させていく。自らが自由の境地を得るだけではなく、同様の自由の境地を他者にも享受してもらうような活動にこれからますます本格的に従事していくことになるだろう。少なくとも今はまず自分自身がそうした生き方をどこまでも首尾一貫して徹底させていく必要がある。もはやそれは自然に行えている生き方になったが、それでもなおあえてその方向性や考えを言葉にすることを通じて、阿頼耶識にこの生き方を薫習させていく。その継続が重要であり、継続的な薫習の過程で、他者の自由の享受を後押しする現行が姿を現すはずだ。

そう言えば今朝方は夢の中で、普段ゼミでお世話になっているある受講生の方が夢に現れた。その方との付き合いはもう長く、数年ほどになる。普段とても穏やかで、物腰が低いその方は気功を長い期間習っているようでその話を聞いてみると、中国の伝統的な流派の非常に著名な先生からマンツーマンで長く指導を受けていることがわかって驚いた。実際に気功の動きを見せてもらうと、その方は高身長であることから動き全体がとても大きく美しく見えた。その方の気功の様子を見ているこちらも気の巡りが良くなるような不思議な感覚があった。そこからは気功だけではなく、実はその方が様々な実践領域に足を踏み入れており、非常にユニークな学びを継続して来られたことを知ってとても興味深く思い、こちらからあれこれ質問させてもらったり、実際にその場で実演可能なものについては色々と実践を見せてもらった。目の前で直接それを見せてもらうと、こちらもその実践についてのイメージがさらに明確なものとなり、それをやるやらないは別にして、この世界には本当に様々な学習・実践領域があるのだと改めて感動した次第である。私たちの阿頼耶識は一切種子識ということで、自らの想像力を働かせれば、今その場にないことを含めてありとあらゆることを創造することができる力を持っている。人間とはそのような可能性を持った存在なのだと改めて思わされた。フローニンゲン:2024/4/5(金)06:49

12446. 日本の法相唯識教学の研究に向けた自らの在り方/感動を通じた記憶       

 

時刻は午前7時を迎え、今し方淹れたモーニングコーヒーの香ばしい香りと小鳥たちの清澄な鳴き声に包まれている自己がいる。この自己は諸縁によって仮に存在している存在だ。それを常に実感すること。自分という存在は関係性に依って仮に存在にしているのだということを忘れないようにする。それが我空を徹底させる道となる。

現在の研究上の関心は日本の法相唯識教学にあるわけだが、かつての法相宗の学僧たちがこんなことを述べていた、あんなことを述べていたと秀才的に文献学的アプローチでまとめていくことは自分の仕事ではない。そんなことに自分の関心はないのである。それはお勉強好きな秀才たちに任せておけばいいのである。自分がやるべきことは、現代社会の諸問題と自らの実存的・宗教的課題に照らし合わせて、法相宗の学僧たちが言わなかったことや言えなかったことを明らかにしていくことなのだ。日本の唯識法相教学の研究において自分はそのような在り方を持ち続けたい。文献学的な研究に偏りがちな日本の大学ではなく、欧米の大学で長く教育を受けてきた自分が果たすべき貢献はそれなのであるという自覚が鮮明なものとなる。そしてその自覚は日増しに強くなり、そこに情熱の炎が灯り始めている。

日々こうして寝ても覚めても唯識学のことについて考えていると、興味深い現象が生じている。日々唯識学の書物を開き、それを一日中続ける生活を送っていると、知らず知らずのうちに唯識学の教えが自らに薫習されていっているのである。それは決して覚えようと思って覚えたものではない。自然と覚えられてしまうものなのだ。覚えようと懸命に努力して覚えたものは私たちの肥やしにならない。真に実用に足り、真に私たちの肥やしになるのは、覚えようと思って覚えたものではなく、心を打たれるという感動を通じて自然と覚えてしまったものなのではないだろうか。今、それが唯識学の研鑽において自分の中で起こっている。今日の研究活動もまた何かを覚えようとする形で行うものでは決してない。書物に書かれたものと共感・交感し、感動することだけが自分にとって大切な事柄である。書物に書かれていることを覚えようなどという姑息な計らいは一切ない。感動を通じて自然と覚えられてしまった知識こそが智慧の源泉であり、それが慈悲心と相まって実用になるものに転換されていくのであろう。唯識学は本当に自分の人生を大きく変えた。そして自分自身を今、これまでになかったような形と規模で変革させようとしている。フローニンゲン:2024/4/5(金)07:19

12447. 唯識思想に関する古書を注文して   

時刻は午後3時を迎えようとしている。今、ポツポツと雨が降り注ぐ音が聞こえていて、それは小鳥の鳴き声とはまた違った趣きがある。初春の雨はどこか美しく、冬の雨とは違って爽快感がある。

つい今し方、日本の古書店を経由して唯識思想に関する古書を8冊ほど購入した。午前中より吟味に吟味を重ねており、ようやく注文が完了した形である。2店舗にお世話になったのだが、もう1店舗からさらに8冊ほど貴重な文献を購入したいと思っており、今ある書籍の在庫の確認をしているところだ。その書籍の在庫があれば、今回改めて15冊ほどの唯識関係の書籍を購入することになる。それらは本当に貴重な文献で、中には奈良時代のものもある。もちろん奈良時代の原本を購入したわけではないが、奈良時代、平安時代・室町時代・江戸時代・明治時代・昭和初期における時代をまたがった形で世に出された書籍を今回注文することにした。それらの大半は日本の法相唯識教学の研究に不可欠な書物で、まずは8冊ほど貴重な文献を購入できたことに大変満足している。今から2年前に川面凡児先生の全集を購入して以来日本の古書を古書店から注文することになった。あれから2年の月日を経て、当時の自分の関心とはまるっきり異なる関心を今の自分が持っていながら、同時に関心の根幹はどこか当時と共通のものがあるように思う。当時は神道への関心が目覚めた時期であり、そこから時の発酵過程を経て今こうして大乗仏教瑜伽行唯識学派の思想に関心を持ったのもきっと偶然ではないだろう。2年前からの着実の歩みとその蓄積が縁となり、現在の関心に自己を導いたのである。そして今回の古書の注文もまたそうした縁のお陰なのである。つくづく諸縁には感謝しなければならない。そのようなことを思う。

古書の注文はこの夏に行おうと思っていたが、もう居てもたっても居られなくなり、待てなくなったので今日注文した次第だ。手持ちの関連書籍の三読目が明日か明後日には終わるであろうから、今回の注文は良いタイミングでの注文だったのではないかと思う。それでは今からゼミナールでの唯識学の講座に向けたPPTスライドと動画の作成を行っていこうと思う。これもまた日々の学術研究の一環としてだけではなく、創作活動の一環として楽しく行えているのが何よりだ。フローニンゲン:2024/4/5(金)15:08

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