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【サイケデリック学・瑜伽行唯識学探究記】12464-12469:2024年4月8日(月)

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タイトル一覧

12464. 命の輝きを願う大宇宙

12465. 今朝方の夢

12466. ビックバンと命の喜び/今日からの唯識学の研鑽

12467. 唯識学と命とエコロジー

12468. 地球環境問題の解決に果たす唯識学の貢献/仏への誓願と命の輝き

12469. 第30回のシロシビン・セッション後の筋力トレーニングを終えて

12464. 命の輝きを願う大宇宙

第30回シロシビン・セッションから一夜が明け、現在時計の針は午前6時半を示している。空がうっすらと明るくなり始めており、朝の世界が夜明けに向かって進んでいる。そんな中、小鳥たちが昨日のセッションの内容を讃えるかのような澄み渡る鳴き声を上げている。いつもと変わらぬ優しげな朝でいて、同時に新鮮さを感じさせる朝だ。毎回のセッションは大いに学びを得ており、セッション翌日からは生まれ変わった感覚がある。2週間に1度のセッションを通じて、自分は毎回新たに蘇り、過去の自己を死ぬ形で新たに再生している。その死と再生は微細なものかもしれないが、確実にそれが起こっているのがわかる。何事も継続が重要だと言われるが、それはシロシビン・セッションにおいても同様である。シロシビン・セッションを体系立てて行い、プロセスや得たものを書き留めておくということを昨年の秋から実施し始めたところ、セッションの深まりは歴然としている。これまでは体系立てて行うことはなく、またセッションの記録もしていなかった。それを杜撰と言ってしまえばその通りだが、当時の自分はシロシビン・セッションがまさか心の成長を実現する実践として行えるという明確な認識がなかったのである。もちろんそれが持つ浄化の力については自覚的であったが、数ヶ月に1度、あるいは半年や1年に1度、浄化をする目的で実施する程度であった。それが今となっては隔週でそれを実践することを通じて、その継続が自分の心を癒し、逞しく育みつつあるのを実感している。とりわけ唯識学を探究し始めてからというもの、それが傍にいつもあるおかげで、セッションの体験を咀嚼する幅と深さが格段に広がった。そのおかげで執着の手放しや煩悩の滅却が少しずつではあるが着実に実現されている。単純に内観するだけではそれらを実現することは難しいので、ある意味有無を言わせぬ形で執着の手放しと煩悩の滅却を行ってくれるシロシビンの力には感謝せねばなるまい。

昨日のセッションのテーマは命であった。その中でふと、この大宇宙は生命の輝きを願っているという気づきがあった。この地球上には多種多様な生命がいて、この大宇宙は多様な命の多様な輝きを見たがっている。宇宙は生命の交響曲を聴きたがっていて、生命が織り成す絵画を見たいと思いたがっているのだ。それが宇宙の真理の1つであると覚知させられたことはとても印象的だった。この大宇宙に存在する1つの命として、今日も命を輝かせ、そしてさらなる輝きを放射できるように命を磨いていこうと思う次第だ。フローニンゲン:2024/4/8(月)06:45

12465. 今朝方の夢

シロシビン・セッションを終えて今朝方に見ていた夢について振り返っている。夢の中で、見知らぬ若い日本人女性の進路相談に乗っている自分がいた。彼女は確かに見知らぬ女性なのだが、どこかで見たことがあるような顔立ちをしているなと思ったら、前職時代の同僚の女性に似ていることに気づいたのである。その同僚は外資系の名門投資銀行から転職をして来て、とても優秀であった。仕事ができるだけではなく、物腰も低く、明るくて性格も大変良い女性だった。そんな同僚に似た女性が目の前にいて、私は親身に彼女の進路相談に乗っていた。どうやら彼女も転職をしたいようで、どのような業種のどのような会社に転職するのがいいのかを話を聞きながら明らかにする手伝いをしていた。親身に話を聞きながらも心の中では、転職ではなく独立してしまえばいいのにと思っていた。それができるだけの力を彼女は持っているように思えたし、ここまでの話を聞く限りだと、会社で働くよりも独立して働く方がストレスがないと思ったのである。独立の選択肢をどこで切り出すかを考えていると夢の場面が変わった。

もう1つ覚えている夢としては、見慣れない外国の街の立体駐車場にいたことだ。そこは薄暗く、何人かの外国人の友人たちと一緒にワークショップに参加した帰りだった。友人たちの国籍は多様で、欧米人よりもアジア人の方が少し多い印象だった。東南アジア諸国出身の友人が何人かいて、最初私は彼らの誰かに車で自宅まで送ってもらおうと思っていた。いや、元々はロシア人の女性の友人に車に乗せてもらおうと思っていたのだが、立体駐車場の階段を歩いている時に、彼女の家とは反対方向に家があることに気づき、彼女に送ってもらうのは悪い気がしたので別の友人に送迎をお願いすることにしたというのが正確だ。東南アジアから来た友人の1人に声を掛けると、彼の車にはもう7人乗ることになっているとのことで、それだったらアメリカ人の友人にお願いした方がいいと思い、アメリカ人の性格の穏やかな友人にお願いをした。すると彼はすぐさま快諾をしてくれ、住所を教えて欲しいと述べた。彼に正確な住所を伝えるためにスマホを開いてメモ帳を開いたところ、そう言えば自宅は日本なのか今いる街のホテルなのか一瞬混同してしまい、ホテルに送ってもらうことが前提になっていたなと思い出して、慌ててホテルの住所を探した。住所を探し始めると、突然私の横に小中高時代の女性友達(KE)が現れ、アメリカ人の彼から小さな小包をサッと受け取っていた。見た目はお洒落な包みだが、彼女の様子からすると、何か見つかってはまずい物を受け取っているように思えた。彼女はそれをポーチにサッとしまって、私に向かって作り笑いを浮かべた。そして、「10月の誕生日の時にはお祝いするね」と言葉を残してその場を去って行った。今朝方はそのような夢を見ていた。フローニンゲン:2024/4/8(月)06:59

12466. ビックバンと命の喜び/今日からの唯識学の研鑽   

     

時刻は午前7時半を迎え、辺りはもうすっかりと明るくなった。幸いにも今日もまた天気に恵まれるようだ。この土日には夏を感じさせるような気温であり、20度を越す気温になっていた。今日は17度か18度ぐらいまで気温が上がるようなので、午後にジムに行く際には暖かさを感じられるだろう。今日からゆっくりとまた気温が下がっていき、来週の月曜日は最高気温が10度に満たない寒さになるようだ。まだまだマフラーと手袋が必要な気温である。

シロシビン・セッションから一夜が明けた今日からもまた唯識学の研鑽に全身全霊を注いでいく。それが楽しみで毎朝起床しているようなものである。就寝の際には翌日の研鑽を楽しみに夢の世界に入り、目覚めたら研鑽できる爆発的な喜びに包まれる形でその日のビッグバンが始まる。毎日私たちは死と再生を心身共に経験しており、毎朝新たな宇宙が誕生しているのである。新しい宇宙として毎日生き直すこと。その生き直しの感覚が毎日こうして命を輝かさせてもらっていることへの感謝の念につながる。新たな宇宙として誕生する喜びと生命の輝きを発露させる喜びに包まれながら、今日からもまた人知れず唯識学の研鑽に没頭専心していく。

先週の金土に日本の3つの古書店から注文した書籍が届くのはとても楽しみである。1店と送料の件でまだ連絡をしている最中だが、おそらくその返信が今日の午後には得られるであろうから、また返信をしておきたい。航空便で届けられる合計16冊ほどの書籍を少なくとも3回繰り返し読み返したタイミングで再び何か書籍を日本から注文することを検討したい。ここ最近は唯識学についての新しい研究書が地味に出版されており、それらをアマゾンを経由して注文したいと思う。時期としては6月に入ってからになるだろうか。そこからはまた集中的に読書をしていき、秋の一時帰国の前にも再度必要な書籍を注文し、それは実家に送ってもらう形にして実家で受け取りオランダに持ち帰ってこようと思う。その頃にはもう唯識学の研究に必要な和書は随分と揃っているのではないかと思う。今日からは過去に読んだ書籍の四読目に入る。三読目の段階ですでにかなりの理解が獲得されているのだが、そこからさらに理解を精緻なものにしていくのが今回の読書の目的である。時間をそれほどおかずに4回ほど書籍を読むと、単語帳の反復学習と同じく、自然と書物の内容が記憶されるという効果が得られる。ここからしばらくは四読目の読書に意識を集中させていこう。集中力と継続が本当に重要だ。フローニンゲン:2024/4/8(月)07:48

12467. 唯識学と命とエコロジー   

早朝に引き続き、小鳥たちが美しい鳴き声を上げている。先ほどまで見えていた朝日が雲で隠れ、今はうっすらとした雲が空全体を覆っている。小鳥たちの鳴き声に耳を傾け、それを味わった後に、玄奘三蔵が残した心の世界遺産である『成唯識論』の解説書の四読目に没頭していた。その中でふと、昨日のシロシビン・セッションの主題であった命について思いを巡らせた。唯識学において命はどのように扱われているのだろうか。仏教全般において命はどのように扱われているのか気になったのである。仏教は智慧の宗教と言われるだけではなく、心の宗教とも言われる。仏教の真骨頂はまさに心の詳細な分析と心の涵養を通じた解放・解脱にあるわけだが、心と命は密接なつながりがあるというのが昨日のセッションで得られた教えであり、その点においてまず唯識学がどのように命を捉えているのか気になったのである。この間のゼミナールで受講生のある方が、一年前の自分は倫理学に関心の火を燃やしていたことを指摘してくださり、確かにそうだったなと思った。その時には西洋思想の観点から倫理学に関する書籍を大量に購入して読み漁っていたのだが、その時に西洋思想に立脚した倫理学だけではなく、仏教の倫理思想に関する専門書も購入していた。とりわけ生命倫理に関する仏教の倫理思想に関心を持っている自分が1年前の段階でいたのである。そこから1年を経て、今再び仏教の倫理思想に関心を持ち始めている。それは仏教が命をどのように捉え、命をどのように大切に扱っているのかという思想及び関心に結実している。唯識学において命がどのように捉えられているのかについて考えを巡らせてみると、そこで鍵になるのは阿頼耶識だということが見えてくる。と言うのも、阿頼耶識が私たちの有根身としての身体を扱っているからである。さらには、命というものがそもそも心と身体だけではなく、環境によって生かされているという性質を考えてみた時に、阿頼耶識が器世間というまさに環境も対象に扱っている点に注目せざるを得ない。どうやら唯識学の観点を用いれば、私たちの命の本質は何で、どうすれば命を大切にして、命を育み、命をの輝きを放射することができるのかが見えて来そうだという展望が開かれてくる。現代社会の環境問題は命の冒涜現象であるかのように映り、エコロジーの問題に対して仏教、とりわけ唯識学は大きな貢献を果たすことができるはずだという確信が芽生えてくる。命の問題、そして環境の問題と絡めて唯識学を研究していくことを新たな柱にしていこう。この新たな柱の誕生もまた昨日のシロシビン・セッションのおかげであり、自らの阿頼耶識に蓄えられた種子のおかげなのだということに多大な感謝である。フローニンゲン:2024/4/8(月)09:16

12468. 地球環境問題の解決に果たす唯識学の貢献/仏への誓願と命の輝き

抜苦与楽。それは唯識学が目指す利他行の実践的な徳目である。一切衆生が持つ命の本来の輝きを解き放つためには、やはり現在の汚れた地球環境に関与していくことは不可避であるように思えてくる。自らを含めた一切衆生の救済の実現に向けて、地球環境の問題を真剣に考えていきたい。それは何から手をつけていいのか分からないほどに大きな問題であるが、少なくとも唯識学の教えに則った実践とエコロジーの問題を絡めることはきっとできるはずだという思いに至る。食実践もそうであるし、他の生命の扱いもそうである。はたまた地球環境問題の悪化は、結局人間の欲望と煩悩によって加速させられているのだから、欲望と煩悩の滅却を志向する唯識学の教えと実践が有益でないはずはない。唯識学の教えと実践は、必ず地球環境問題の解決に向けて活かされてくる。そんな確信がある。

自利・利他円満の存在である仏に向かっていくこと。仏は自らの命を従前に輝かせ、同時に他者の命をも十全に輝かせる存在である。そんな存在に成っていきたいという内から湧き上がる力強い誓願が昨日のシロシビン・セッションでもたらされた。日々の1つ1つの言動の全てが仏に向かう道に刻み込まれていくという認識を絶えず持ちたい。今から作成する唯識学の講義資料の作成もまたその一環であり、実際に作成する講義動画は仏に近づいていくための実践に他ならない。自他の命が持つ本来の輝きを取り戻させ、固有な輝きを放ってもらうようにすること。その輝きは未だ輝きを失っている命に対する励ましと光の提供を通じた励ましとなる。宇宙は無数の命の固有の輝きを見たがっていて、だからこれほどまでに多様な命を生み出したのだという真理の知覚。それが昨日のセッションを通じてもたされた非常に大事な教えなわけだが、同時に宇宙は命に対して試練を課している。それが本当の意味で力強く美しい輝きを発揮するために種々の障害や障壁を生み出しているかのようなのだ。もちろん宇宙はあるがままに何の計らないもなしに障害や障壁さえも生命であるかのように創造するのだが、いずれにせよ私たちは日々を生きる中で直面する各種の障害や障壁を智慧と慈悲心を持って超克していく必要があるのではないかと思う。その先に私たちが固有に持つ生命の輝きが自ずから発露するはずである。そのようなことを考えていると、再び雲間から朝日が差し込んできた。フローニンゲン:2024/4/8(月)10:32

12469. 第30回のシロシビン・セッション後の筋力トレーニングを終えて

つい先ほど、第30回のシロシビン・セッションを終えた翌日のジムでのトレーニングから帰って来た。月曜日の今日は自主トレーニングの日で、受付でパーソナルトレーナーのエリーザと少し言葉を交わした。先週の木曜日のパーソナルトレーニングで提供してもらったトレーニングメニューがかなり効果的で、大臀筋やハムストリングにかなり良い刺激が入っていて、トレーニング後2日間はかなり筋肉痛があり、今日もまだ筋肉痛が若干残っているような状態であった。そのことを告げるとエリーザは嬉しそうな笑みを浮かべ、今週の木曜日のトレーニングでも同じメニューを試してみようということになった。

今日はシロシビン・セッション後のトレーニングということであまり無理をしないようにした。メニューそれそのものはいつもの月曜日と同じであり、負荷量を幾分落とすようにした。一方、最初と最後の有酸素運動に関しては逆にいつも以上の時間を使った。とりわけ筋力トレーニングの締め括りとして行うランニングはいつもより長い時間行った。意識が集中状態にあり、気がつけばゾーンの状態に入っていて、結果的に長く走っていたとも言える。シロシビン・セッションにおける禅定体験は現代風に言えば極度なゾーン状態であり、セッション後数日間はゾーンに入りやすい状態が続く。その恩恵を享受する形でランニングをしていた。前回の木曜日のトレーニングから、ローイングについては筋力トレーニングの前に行うようにし、今日もそれを踏襲した。やはりこれはとてもいい。準備運動としての動的ストレッチをした後に、5分間ほどローイングマシンを使うと、筋肉が温まり、そこからの筋力トレーニングがとてもスムーズである。今後もこの流れでトレーニングをしていこうと思う。

ここから夕食準備の時間までもう少し時間があるので、その時間を使って唯識学の研究をさらに一歩進めていこう。運動後の爽やかな気分で研究書を読み進めていき、また明日の朝からの研究に良いバトンを渡していきたい。フローニンゲン:2024/4/8(月)16:51

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