戦争は伝わりやすく、平和は伝わりにくい理由

『なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか』という本がある。

その本はまず、読者にこう語りかける。

もしも、目の前に「戦争」と「平和」と書かれたカードが並べられたとして、「どちらを選びますか?」と問われたら、きっと多くの人が「平和」のカードを選ぶのではないだろうか。にもかかわらず、世の中から「戦争」がなくなったことは一度もない。

戦争も平和も、それがどんなものなのか、世界中の人が知っている。だけど、「それぞれどんなイメージか」と改めて問われてみると、どんなイメージを思い浮かべるのか。

そこで、戦争(war)と平和(peace)をGoogleで画像検索してみると…

戦争(war)には「絵になるもの」があり、ある程度イメージは共有できる。

一方で、平和(peace)には「絵になるもの」がない。それは、他者とイメージを共有することが難しいことを意味している。

戦争は目に見え、平和は目に見えにくい。そのことは、「伝わりやすさ」においても通ずる。この差は何をもたらすのか。

一つが、「プロパガンダ」と言われるものだ。

戦争は「恐怖のイメージ」を一瞬にして多くの人と共有できるがゆえに、コミュニケーションがしやすい。イメージをすり合わせる作業は必要ない。

一方で、平和を訴えようと思えば、人によって頭に浮かぶイメージが異なることから、まずは「平和のイメージ」を互いにすり合わせる作業が必要になる。その分、コミュニケーションに手間がかかる。

「プロパガンダ」と言われるメディアを駆使したコミュニケーション戦略により、戦争は拡大していく。戦争は「始まる」のではなく、「誰かが始める」ものであり、その発端となる権力者はこの原理をうまく活用する……。

本のタイトルでもある「なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか」という問いは、こうして同書の序章であっさりと解が提示される。だけど、この本の真骨頂はそこから始まる。

この本は、戦争評論家でも戦場ジャーナリストでも平和学の学者でもなく、コミュニケーションデザインを事業とするasobot代表の伊藤剛さんが書いたものだ。

伊藤さんは編集者でもある。一つ一つの事象に対する分析ではなく、何かを理解するためのヒントとなるように伊藤さんの視点から「問い」を立て、それについての解を探るような形で書かれている。

本のタイトルである「なぜ戦争は伝わりやすく平和は伝わりにくいのか」という「問い」が物語るように、その編集的な視座による「問い」の面白さが、この本の面白に直結している。

この本を初めて読んだのが3年前で、以後何度か読み返しているけど、初めて読んだとき、なぜか悔しさを感じた。

大学院で戦争について研究し、社会人になってメディアで「伝える」ことを仕事にしている自分にとっては、編集者として、あるいは書き手としてでも、こんな本をつくりたかったんだ……ということに気づかされた。

そして1年前、著者の伊藤さんと一緒に仕事がしたいという理由だけの企画をつくって連絡をとり、会いに行った。

この本に書かれていることはもっと広く知られるべきであって、どんな形でもいいから、それができれば自分は本望だ、とかなんとか、会うなり熱意をぶつけていた気がする。

それからなぜか、伊藤さんとほとんど毎月打ち合わせをしていた。どこにどう着地するかもわからない不思議な時間で、打ち合わせというよりもほぼ雑談で、毎回2時間くらいに及んでいたと思う。

結局、あまりに突っ走ってしまっていた当初の企画は実現しなかった。いろいろな紆余曲折があり、とりあえず当初の想定にはまったくなかったけど形になったものもあれば、これから形になるものもあるかもしれない。

伊藤さんは常々、「伝える」と「伝わる」はたった一文字の違いしかないのに、広く深く大きなギャップがあると強調していた。

そのギャップを埋めるためのアイデアを考え、「誰かの伝えたいコトを、世の中に伝えるべきコトを、伝わるカタチに翻訳していく」のが、コミュニケーションをデザインすることであり、自分の仕事なんだと話していた。

なぜ戦争は伝わりやすく、平和は伝わりにくいのかーー。

この問いに潜在する原理のようなものは、多くの社会問題にも通じるのかもしれないと感じる。そうであるならば、社会問題を伝える側として、ただ伝えようとするだけでは伝わらないんだということに、もっと意識的にならないといけないのかなと思う。

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