スゴイ編集者ほど「言語化力」が高い


雑誌の企画で『紋切型社会』の著者・武田砂鉄さんに「優秀な編集者の条件」という原稿を依頼して書いてもらったことがある。

武田さんにお願いしたのは、編集者としても書き手としても、紙とWebとを両方経験していて、誰よりも辛辣に語ってもらえると思ったから。ただその結果として「優秀な編集者の条件なんてない」と原稿で一蹴されてしまった。

言われてみてはじめて、自分もそんな「条件」のようなものがあったら逆につまらないだろうなと気づいた。決まりきった条件なんてないからこそ、編集者としての仕事は面白いのだと今になって思える。

とはいえ、すごい編集者にたくさんお会いする中で、あえてその「優秀さ」に共通点を見出そうとすれば、「言語化力が高い」ということは言えると思う。

例えば、多くの人がなんとなく思う「(なんか)良かった」とか「(なんか)面白かった」の「なんか」の中身を思考し、言語化して企画にするというのは、編集者の仕事の一つでもある。

また編集者は、著者から送られてくる原稿のどこがどう面白くて、どこがどう微妙なのかを言語化して伝える、ということを日常的にしている。そういう意味では、この「言語化力」は「仕事の質」とイコールでもある。

ただ「言語化する」というのは簡単ではない。自分も日々それを痛感しつつ、仕事以外で本を読んだり映画を観て、その内容は説明できても、それが「なぜ面白かったのか」あるいは「なぜつまらなかったのか」はそんなにうまく話せる自信がない。

だけど、Twitterを見ていると、「言語化力」が高い人が多い。「そうそう、それが言いたかった!」という漠然とした思いをすくみ取って言葉にしている。これは編集者に限らない話で、Twitterでのフォロワー数の多さと言語化力の高さは比例しているとも感じる。

じゃあ、なぜそうなっているかを考えてみると、やっぱりTwitterというアウトプットの場があるからこそ、日常的に「何をどうつぶやこうか」という意識が働いて、言語化力が磨かれていくのだと思う。さらに言えば物事を見る「視点」も養われているのかもしれない。

それは逆に、言語化力は日常的に誰でもいくらでも鍛えることができることも意味する。そんなことを考えながら、話題の「バーフバリ」という映画を観てみた。

12月に公開した映画なのに、しかも21時以降の上映なのに超満席という期待度の高さ。2時間30分、ひたすらに「なんだこれは…」と思いながら観た。「なんだこれは…」という面白さの映画だったから、言語化するのはとても難しい。

インド映画という独特な世界観もさることながら、無理やりにでも言語化すれば、「もういいよ!」とこちらが思ってしまうほどの過剰さ、エキストラの数に象徴されるスケールのデカさは、ストーリー云々を凌駕するほどの「面白さ」を構成していた。

それと、そうした過剰さやスケールのデカさを奇抜なカメラワークで演出しようとするあまり、どう見てもCG感がありありと出てしまっているシーンが多々あった「粗さ」も個人的には好きだった。

神に関する映画なんだけど、「細部に神は宿る?そんなの関係ねー!」と言わんばかりの粗さ、というか荒々しさ。ある意味でそれは、逆説的に完成度の高さを象徴するものでもあり、それを補ってあまりあるほどの「勢い」が映画に宿っていた。

恥ずかしいくらいにうまく言語化できていないのだけど、いずれにしても、味にたとえて言えば「激辛!!!」みたいな映画だった。今年はnoteを通じて言語化力を磨き、少しでも「スゴイ編集者」に近づきたいと思う。

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