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「寄付する理由」を考えてみる

noteが「#寄付について考える」という投稿を募っている。

自分も10年以上寄付をしているけど、なぜ寄付をするのかはあまりちゃんと考えたことはなかった。考えようとしてnoteを書こうと思ったけど、寄付をするようになったきっかけは思い出せない。

最初に寄付をし始めたのは、自分でお金を稼ぐようになった大学生の頃。大した考えもなく、なんとなくでしかなかったのかなと思う。でも、この「なんとなく」が案外カギなのかもしれない。

自分に限らず、寄付をする際にその根源にあるのはほとんどの場合が善意だ。「人のためになりたい」「人の役に立ちたい」という思いを形にするために寄付をする。

そうした善意はどこから来るのかといえば、人それぞれの価値観に基づくものであったり、何かを見たり読んだり聞いたりして、心の琴線に触れたり触発されたりするなど、ある意味では気分的なものも大きいように思う。

とくに気分的な動機で寄付をする場合、善意というのは自ら発動するではなく、どちらかといえば、何かしらのきっかけがあって、“発動させられる”ものなのかもしれない。

そのきっかけとなるのが、メディアの報道だったり、SNSで発信される情報だったり、人から聞いた話だったり。それらの何かが自分のなかで響いて、とりあえず「なんとなく」寄付をする。

自分自身が寄付したきっかけは思い出せないけど、いまも継続的に寄付しているのは、社会問題に対する関心が高いとか、自分の消費より寄付のほうが有益とか、社会貢献しているつもりとか、それなりの理由もなくはない。

ただいずれにしても、寄付する理由そのものは大した問題ではないと思う。どんな理由があっても、多くの場合は誰にも何も聞かれないし、寄付していることすら話す機会もない。

「やらない善より、やる偽善」という言葉があるけど、理由があろうとなかろうと、寄付すること自体にはいくらでも価値を見出せる。

とはいえ、寄付文化が根付いていない日本では、「なんとなく」とか「理由なく」寄付しない人のほうが多いわけで、それもまた人それぞれの価値観であって否定はできない。

ただ、自分は社会問題をテーマとするメディアの編集を仕事にしている以上、誰かに善意を発動させるきっかけをつくることをしていきたいというのは強く思う。社会問題の多くは寄付によってなんとかなっていることが少なくない。

だから、今回のnoteの取り組みはとても素敵だと思った。メディアやプラットフォームがどのようなアジェンダセッティングをするのかは読者やユーザーへのメッセージでもある。

noteのようなプラットフォームだと、読む人はもちろん、書く人も寄付について知ったり、考えたり、関心を持つきっかけになる。実際に自分も「#寄付について考える」のnoteを読み、触発されてこれを書いて、寄付もした。

そして、noteというプラットフォームが寄付について議論をするのは自分たちの「責務」と表現していたのがまた、とても素敵だと思った。


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