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ある雑誌のコンテンツ戦略を1万字で語ってみる。

編集者になって2年目の夏、いきなり『編集会議』という雑誌を任されることになった。

雑誌名の通り、同業である編集者や編集者を目指す人向けの雑誌をつくることは、最初から最後まで恐縮でしかなかった。

それでも、僕がつくっていた2015〜2017年の3年間、季刊誌だから春と秋とで合計5冊を刊行し、販売売上は担当以前よりも3倍以上、トータル300%アップした。

ささやかだけど、出版、とりわけ雑誌不況下における快進撃(と言ってみたい)。

このnoteでは、その裏側でやっていたことについて書いていく。

雑誌不況は深刻を極めている。でもやり方によっては雑誌はまだまだ売り伸ばせる――。

そんな可能性の一端を少しでも感じてもらえたら嬉しい。

※ここで書くことはすべて、僕が担当していた2015〜2017年当時の戦略であり、独自の見解に基づくものだ。

【1】 編集会議のない『編集会議』

僕が担当していた3年間、『編集会議』は雑誌名のわりに一度も編集会議ぽい編集会議をしたことがなかった。

理由はほぼ僕一人の編集体制だったからで、毎号およそ120ページ分、企画から人選、依頼、取材、原稿執筆(一部ライターさん)、編集、誌面デザインのディレクション、校正・校閲、入稿まで、たった一人で熱狂していた。

当然ただつくって出版すればいいのではなく、当時芳しくなかった販売売上を上げなければならない。雑誌不況と言われるなか、どうすれば買ってもらえるのかは最大の難問だった。

ベストセラーを連発していたダイヤモンド社の編集者は、以前取材でこんなことを言っていた。

本を「つくる」のは仕事の半分。それを「売る」までが編集者の仕事。

3年間、この言葉を強く噛み締めながら、とことん向き合っていた。

同時に、編集者は「つくったものを売る」というより「売れるものをつくる」、あるいは「売れるようにつくる」ことが仕事だと気付いた。

いまの時代に何が売れるのかはわからない。むしろどんどんわかりにくくなっている。

それでも、わからないなりに、少なくともつくり手にとっての「売れる」という確信は必要なはずだ。

じゃあ、その確信とは何なのか?

いろいろと考えてみた結果、シンプルな答えに行き着いた。一言で言えば、「自分なら買う雑誌をつくる」ということだ。

「誰かが読みたい雑誌」でも「自分が読みたい雑誌」でもない。大抵の場合、「読みたい」と思ったところで、実際に「買って読む」人は多くない。

それはまさに、『編集会議』で寄稿いただいたこともある敏腕編集者の竹村さんのnoteに書かれていることでもある。

僕も企画段階で何度も「売れそうですね!」と言われたし、これはやっぱり危険ワードでしかない。

だから『編集会議』では、徹底的に「僕自身、自分なら買うかどうか」を雑誌づくりの基準にした。

「自分が買う雑誌」とは何かを考えると、「お金を払ってでも読みたい情報がある」ことになる。

具体的には「実務に役立つ情報が掲載されている」とか「(想定読者である)編集者として知らないとマズい」といったことだ。

『編集会議』の企画をつくるのは、それらが一体何なのかを自問することでもあった。

【2】 紙メディアは「期待値」が9割

編集者になって間もない頃、尊敬するジャーナリストが記事の書き方をフルコース料理にたとえて、こんなふうに教えてくれたことがある。

(記事は)「最初の一口目」と「最後のデザートの後味」こそ最も重要だ。最初の一口目で「もっと食べたい」と思わせ、最後のデザートを食べ終わって「ああ、本当においしかったな」と思ってもらう。どれだけ途中がよかったとしても、最初と最後がダメだと台無しになってしまう。

これはつまり「(記事の)最初と最後の一文にすべてを賭けよ」という教えで、いまも記事を書く際に意識している。

だけど、そもそも「最初の一口目」を味わってもらうハードルが雑誌はめちゃくちゃ高い。

もちろんネットの記事でも読んでもらうことのハードルが低いことはないけど、ほとんどのネットメディアと違い、雑誌をはじめとする紙メディアの多くは有料だ。

「読む」以前に「買う」という行為があり、もっと言えば「買うかどうかを悩む」プロセスもある。

だから、ネットメディアの記事であれば読んでシェアしてもらえるかという「読後の満足感」を追求するケースが多い一方、紙メディア(雑誌)は、まず読んでもらうための「事前の期待値」をどれだけつくれるかが勝負になる。

ただこれだけ情報が飽和していて、誰もが情報を受発信している現状を踏まえれば、「わざわざお金を払って読む」という期待値をつくることは本当に難しい。

そこで意識していたのは、「誰でも言えること」を「誰でもは言えないくらいの強度や深度で言うこと」だった。

一つのテーマについて「強く」「深く」フォーカスすることは、雑誌の特集ではある意味当たり前のことだけど、それを読者にどう伝えるかが問われる。

そもそも「面白いから売れる」のでなく、より正確には「面白そうだと思われるから売れる」のであって、期待値とは「面白そう」と思ってもらえるようインサイトを刺激することにある。

たとえば、2015年に「編集2.0」という特集を組み、そのリードには生意気にもこんなことを書いた。

情報環境の変化に伴い、これまで出版や映像などにおける専門的なスキルとされてきた編集の概念が拡張し、編集者が担うべき役割も変化しつつあります。「良いものをつくれば売れる(読まれる)」という時代が終わり、読者・ユーザーに「どう届けるか」という“コミュニケーションを編集する力”が問われるなか、編集にはどのようなアップデートが求められているのか。時代を先取る考え方や取り組みを通じて、これからの編集のあり方について考えます。

いま読んでみて当たり前のことしか書いてないなと思いつつ、“コミュニケーションを編集する力”の代表例として取り上げたオンラインサロンは4年前当時、まだあまり知られていなかったし、編集という概念も限定的だった。

その“コミュニケーションを編集する力”について、当時から「これからの編集者像」を体現していた佐渡島さんや日本初のオンラインサロンのプラットフォームを開発していたシナプス、NewsPicksが取り組んでいたインフォグラフィック×編集などを取材した。

これら一つ一つの企画を「編集2.0」としてパッケージングしながら、読者に「誰でもは言えないくらいの強度や深度で言っている」ことを感じてもらうことを意図していた。

この「期待値をつくる」という言葉をもう少し解像度高く言うと、企画をつくる際に常に自分に問うていたのは、「記事がいかに“売りモノ”になるか」ということだった。

メディアがビジネスである以上、個々の記事にどれだけの価値があるのかが問われ、その価値の集積がメディアとしてのブランドに直結する。

それは、一つ一つの記事の価値がきちんと雑誌の売れ行きに反映されることを意味する。

だから、「捨て記事」なんてものはつくっていないつもりだったし、そうしたことがこんな反響として読者にも伝わっているのは嬉しいことだった。

【3】 具体的な記事で振り返ってみる

「自分が買う雑誌とは何か?」を自問することが『編集会議』をつくるということだった、と【1】 で書いた。

ただ最初の頃は、とにかくスゴそうな編集者から言葉を引き出して個々の記事をつくり、特集としてパッケージングすることしか考えていなかった。

たくさんのスゴい編集者を取材していると、スゴさの共通点として「言語化能力の高さ」があることに気づく。

本でも映画でも、多くの人が何らかのコンテンツに触れてなんとなく思う「(なんか)良かった」とか「(なんか)面白かった」の「なんか」の中身を思考し、言語化して企画にする能力が、一流の編集者であるほど抜群に高い。

それに気づいてからは、「誰に取材するか」という視点だけでなく、「誰が」「何を」「どう」言語化すると、「お金を払ってでも読みたい情報」に変換できるのかを考えて企画するようになった。

具体的に『編集会議』の記事をいくつか挙げてみると、以下のようなものがある。

(当時から)5年前に話題になった書籍『5年後、メディアは稼げるか』のNewsPicksの佐々木さんに「5年後」について聞いてみたり、

出版業界の常識を破り続けるキングコング西野さんが持つ底知れないアイデア力を博報堂ケトル嶋さんに引き出してもらったり、

逆に、キングコング西野さんの担当編集者に、出版社で“常識を破られる側”としての調整の過酷さについて聞いてみたり、

フローレンスの駒崎さんにはNPOの活動ではなく、社会問題の情報発信や書くことの意義といったテーマで取材をしたり、

雑誌『SWITCH』編集長はじめ各誌ベテラン編集長に、長年の編集者人生での「ベスト/ワースト企画」を聞いてみたり、

「本好き×クリエイター=本屋の未来をクリエイティブに考える」という、ありそうでなかった座談会を企画して取材したり、

「ユニクロ潜入一年」で労働実態をスクープしていたジャーナリストに、メディアこそ労働問題は深刻なんじゃないかと問う対談を組んだり、

3週間ロシアに滞在して本田圭佑選手に密着取材するはずが、たった一言しかもらえず4ページの記事を書いた舞台裏について聞いたり……。

ここで挙げたのはあくまで一部だけど、同時に、雑誌を「情報の価値」そのものだけで売るのは限界があることも感じていた。情報だけならネットに代替されてしまう。

本来、雑誌の最大の価値とも言えるのが「パッケージ機能」で、その媒体独自の視点や切り口でパッケージングすることが雑誌としての魅力でもある。

そのパッケージの一例として、2017年秋冬号の「シン・編集力」の特集では、以下のようなラインナップで構成した。

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Chapter1. 2017年「ヒット本」の裏側 ――本の売り方をデザインする
Chapter2. メディアのプロデュース力 ――コンテンツからコミュニケーションへ
Chapter3. 伝える、その先にあるもの ――社会的インパクトを考える

「新たな時代の“編集力”とは何か?」を出発点に、これからの編集者には、「コンテンツだけでなく売り方を編集する力」「コンテンツをプロデュースする力」「伝える先を見据える力」が問われているのではないか、という特集だった。

4年前、まだ無名だったときに取材して衝撃を受けた箕輪さんの編集力を大々的に取り上げ(『編集会議』で取材した編集者のなかで最もぶっ飛んでいたのがやはり箕輪さんだった)、編集者になっていつか取材したいと目標にしていた湯浅誠さんをアエラの連載「現代の肖像」を真似て編集者に周辺取材しながら記事構成するなど、一番の読者である自分に強く深く刺さる内容を詰め込んだ。

それらの企画をパッケージングして、「新たな時代の“編集力”とは何か?」という問いに応答する特集にした。

ありがたいことに好評いただき、結構売れた。だけど、これが僕にとっては最後の担当号になった。

【4】 “予定調和”をどうぶっ壊すか

前述した「シン・編集力」特集の一つ、「メディアのプロデュース力 〜コンテンツからコミュニケーションへ〜」の取材でのこと。

取材の冒頭、挨拶もそこそこに済ませ、『WIRED』編集長(当時)の若林さんに取材の前提として特集の趣旨について説明したところ、真っ向から否定されてしまった。

「これからの編集者にはプロデュース力が必要だと思っていまして……」と説明しようとしたら、若林さんに「そんなのいらねーよ」とぶっきらぼうに言い放たれた。

「なるほど」とその場を繕う意味不明な返答をしながら、やや気まずい雰囲気で取材が始まった。

結局は、予定されていた倍の時間(!)で楽しくお話してくれ、まったく想定外な取材ではあったけど、結果としてとても有意義な記事になった。

雑誌におけるパッケージングは、ともすればパッケージ内での予定調和的なものが生まれやすく、予定調和はつまらなさの象徴でもある。

だから特集テーマに対する反論や否定という要素はあったほうがいいし、それがあることで全体の内容にも厚みが出て、何よりアクセントになる。

それで、「逆説のコンテンツ論」というタイトルにして掲載し、ネットにも一部を転載したところ、こんなうれしい反応もあってかなり読まれた。

(ちなみに、『編集会議』の企画をつくるときには、佐渡島さん著・竹村さん編集の『ぼくらの仮説が世界をつくる』を毎回読み返していて、プロデュースに関する特集も着想を得ていた。この本ほど参考にした本はない)

このように、意図せず予定調和がぶっ壊れることは少なくない。

別のケースでは、『紋切型社会』の著者である武田砂鉄さんに「優秀な編集者の条件」というテーマで寄稿を依頼したことがある。

いただいた原稿の冒頭には、以下のように書かれていた。

編集者という仕事が面白いのは、ある書き手にとっては「ものすごく優秀な人」でも、ある書き手にとっては「思い出したくもないほどとんでもない奴」になるから、ではないか。だから今回、編集者から「ご寄稿いただきたいテーマ」として伝えられた「書き手から見た『優秀な編集者』の条件」を目にして、まず入口で立ち止まってしまう。万事に当てはまる「条件」などない、と思うからだ。ならば依頼を引き受けるんじゃないよ、と思うかもしれないが、依頼文に「武田さまの観点から辛辣に語っていただけますと幸い」とあるので、「了解しました、辛辣に参ります」と答えつつ、意気揚々と書き始める次第である。

こうして「優秀な編集者とは?」というテーマそのものが、冒頭でいきなり一蹴されてしまった。

この原稿が届いたとき、僕は感動すら覚えた。

もともと武田砂鉄さんに依頼したのは、誰よりも辛辣に語ってもらえると思ったからだけど、まさかテーマそのものが一蹴されるとは思わなかった。

たしかに、そんな「条件」のようなものがあったら逆につまらない。決まりきった条件なんてないからこそ、編集者としての仕事は面白いのだといまは思える。

「優秀な編集者の条件」を知りたかったのは他ならぬ僕自身だった。そんな下心を見透かされて恥ずかしい思いをしたことで、それ以来、こうした安直なテーマを設定するのはやめることにした。

そして、この原稿を掲載した特集では、そんな小手先ぽいことを追求するなというのが、そのまま特集のメッセージにもなった。

いずれにせよ、雑誌はパッケージメディアだけど、その文脈としてできてしまう予定調和とも言えるものを、いかにぶっ壊わせるかだ。

本論から外れた情報があるほうが、間違いなく雑誌としての面白味も出る。

たとえるなら、成功話がずらりと並んでいるなかでの失敗話はアクセントになるだけでなく、成功話をよりリアルに見せ、引き立たせる効果を生む。そんなイメージだ。

そもそも『編集会議』をあまり真面目すぎる雑誌にしたくないという思いもあったから、遊びや余白とも言えるようなページをつくろうと、ゆる〜いコンテンツは毎号入れていた。

個人的に好きだった川崎昌平さんの漫画『重版未定』で自虐的なブラックジョークを書いてもらったり、超実践的会議本の『会議でスマートに見せる100の方法』の編集会議版をつくってもらったり、『月刊ムー』編集長に取材する謎企画をやってみたり……。

(『ムー』編集長への取材は2時間を超える取材だったのに、話がどんどんあらぬ方向に飛んで行った結果、原稿に使えたのは冒頭の20分だけで、当初予定していたページ数を減らすハプニングという形でも、予定調和はさらにぶっ壊れた)

そんなゆる〜いコンテンツのなかでも渾身の企画だったのが、「誤植」をテーマとする特集だ。

これまでに散々その重要性が語られてきた校正・校閲側からではなく、誤植側から考えるという新たなアプローチを試みたのが、この特集だった。

「誤植」に対しては、個人的にいろいろとやってしまったことがあるからとても強い思い入れがあり、僕なりの誤植論は以前noteに書いた。

簡単に言えば、起こってしまった誤植という現実は変えられないからこそ、それをどう解釈するかが編集者として問われるのではないか、という屁理屈を書いている。

それにこの誤植特集では、大いにスベってしまったけど、デーブ・スペクターさんという大物に取材する記事も企画した(なぜ取材を受けてくれたのかは不明だけど)。

取材中、「牛丼屋で彼女に『すきや』と告白したら『まつや』と言われた」とか「シュワちゃん離婚で一言→ ああなると・しょうがねっかぁ」といった誤植とは関係のないギャグを連発していた。

かと思えば、デーブさんのギャグは実は誤植のような間違いから生まれるケースもあると教えてくれたりと、めちゃくちゃ良い人だった。

例えば、パソコンで「長髪」と打ったのに「挑発」って変換されるじゃないですか。それによって「金正恩がショートカットなのに長髪」「刈り上げなのに長髪行為ってどういうこと?」といったギャグを思いついちゃう。日本語ってギャグに一番向いているかもしれないと思いますね。

【5】 「書店で売れる」ための戦略

『編集会議』の販売戦略において最も重視したのは、「書店で売れる」ということだった。

個人的に書店が大好きなのと、『編集会議』という雑誌が書店を応援するメディアであるべきだと勝手に思っていたからだ。

書店に関する特集は何度も組んだし、編集後記にもできればネットではなく、書店でこの雑誌を買ってもらいたい旨を何度か書いた。

書店で売れることを目指すためには、「書店員さんが売りたくなるような雑誌をつくる」ことで大前提であり、その上で書店員さんに応援してもらうのが一番だ。

そのために、書店員さんに「前号はどうだったか」「次号はどんな企画があるといいか」といったアンケートやヒアリングはほぼ毎号にわたって地道にやったし、いくつかの書店に自分で営業もしていた。

そうしているうちに、少しずつ協力してくれる書店も増えてきた。

書店で売るためにはまず棚を取る必要があり、いかに良い棚の良い位置に長く置いてもらえるかが勝負になる。それを実現するためのアイデアが「フェアを展開してもらう」ことだった。

フェアを展開してもらうには企画が必要だ。そこで、毎号誌面に「推し本」という、雑誌に出てもらった人の「オススメ本」ページをつくった。

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それぞれの人の推薦文を一つずつPOPにして、書店で展開をしてもらうという企画だ。

そしてオリジナル帯も作成し、それなりに目立つ形でフェアを展開してもらった。

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このフェアは書店からも好評で、レギュラーで展開してくれる書店もあり、紀伊國屋書店新宿本店の入口近くの一等地や青山ブックセンター本店、渋谷のHMV&BOOKS TOKYOなどでも展開してもらった。

ちなみに当時、書店営業として毎月何回か青山ブックセンターに通っていた。

そこで出会った書店員さんがとても熱く、いまは別の書店に移籍してしまったのだけど、その熱量を『編集会議』にぶつけてもらったりもした。

こうした書店とのパイプづくりは僕一人でできたわけではなく、社内に『編集会議』を応援してくれる人がいて、その人が中心になってやってくれたものだ。

雑誌づくりはずっと一人でやっていたけど、雑誌を売ることに関しては社内の何人かが協力してくれた。そうして少しずつ、一人でやることの限界を痛感していった……。

【6】 ネット×紙の導線を設計する

何度か取材させてもらった『週刊文春』元編集長の新谷学さんは、「いまの時代、流通を制する者がメディアを制する」と言っていた。

『編集会議』も、書店で売れることを最重視しつつ、読者とつながる接点としてネットも大いに活用していた。

4年前は『編集会議』の版元が一定のPV数のあるネットメディアを持っていたのは出版社として大きな強みだったから、販売チャネルとしてフル活用していた(いまならnoteが超有力な販売チャネルになりそう)。

具体的には、『編集会議』の誌面の一部をネット記事として出し、書店やAmazonへの誘導を図っていた。

ただ【2】で書いた期待値の話と同様、ネットと紙とでは読者の「読む」ことに対するインセンティブの働き方が違う。

わりと腰を据えて読んでもらえる雑誌とは違い、ネットの記事は最初の数行を読んで面白くないと判断されれば、すぐにページ遷移されてしまう。

そうならないために、内容によっては単なる転載にせず、記事構成をつくり変えるなどの編集をしていた。

スクープを連発していた当時の『週刊文春』編集長のインタビュー記事も、雑誌で10ページぶち抜きで組んだものと、ネットに転載した記事とではかなり構成をつくり替えている(文春が最も勢いのあった当時、アエラに次いで2番目に取材したこともあってかなり広く読まれた)。

ネット記事で何度もペイウォールに当たらせて、少しずつ購買意欲を醸成するのはサブスクリプションモデルの定石だし、実際に記事経由で購入する人も多くいた。

とはいえ、ひたすら誌面の一部をネット記事として出しているだけでは面白くはない。そこで、さまざまな実験をしてみていた。

たとえば、こんな記事を出してみたことがある。

一読してみるとわかるのだけど、この記事には多数の「誤植」がある。

ネットの記事には一段落につき一つ、合計で18の誤植(誤字)を忍ばせ、誤植のない「校正された記事」を雑誌に掲載することで、答え合わせをしてほしいという狙いだった(当たり前だけど販促的な効果は全くなかった)。

他にも、記事の転載を「紙→ネット」ではなく、逆の発想で「ネット→紙」するとどうなるか、という実験をしたことがある。

あるとき、広告賞の取材でニューヨークに出張することがあり、その合間に現地のメディア企業に取材して記事を書いた。

初めての海外出張で本場の振興メディアに取材できるとあって、張り切って記事を書きまくった。なのに、現地から夜な夜なアップしたネット記事たちはほとんど読まれなかった(たとえばこの記事とか)。

ならば『編集会議』にそれらの記事をパッケージングして掲載すれば新たな読者に届くかもしれないと考え、思い切ってすべての記事を雑誌に転載することにした。

7ページ分の誌面を割き、(半年前の記事ではあったけど)「ニューヨーク現地からのメディア最前線レポート」として収録してみた。

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すると、記事の中身は以前ネットで掲載していたにもかかわらず、雑誌に掲載したことで、はるかに大きな反響があった。

わざわざ「あの記事が面白かった」と連絡をくれる人がいたり、さらに「文春オンライン」編集部から執筆依頼が来て、『編集会議』として初の外部メディアに寄稿する機会にも恵まれた。

こうした紙×ネットの相互活用のポテンシャルはまだまだ大きいと感じたし、雑誌の可能性を改めて感じる経験でもあった。

導線設計は「紙→ネット」あるいは「ネット→紙」にとどまらず、「紙→リアル」として、記事の内容をそのままリアルコンテンツ化するようなイベントもたくさん企画した。

こうした地道な積み重ねを3年間やっていた結果として、『編集会議』の販売売上は担当以前の前年よりも3倍以上、トータル300%アップさせることができた。

【7】 つくり手の“愛”は細部に宿る

正直なところ、雑誌をほぼ一人でつくるのは結構怖い。

もちろん、ライターさんやカメラマンさん、デザイナーさん、校正者さんとタッグを組んでいるわけだけど、雑誌そのものの責任を負うのは編集者である僕以外にいない。

だから発売するたびにどんな反応があるのか、何かあって炎上でもしてしまわないか、全然売れなかったらどうしようとか、めちゃくちゃ不安だった。

それでもありがたかったのは、毎号SNSでそれなりに反響があったことだ。

たとえば、はあちゅうさんは『編集会議』をいつも褒めてくれていて、面識もお会いしたこともないけど、毎号拡散してくれるのは大きな励みになっていた。

取材させてもらったり寄稿してもらった人たちも、感想をつぶやいてくれたり。

僕は同時並行で他の雑誌を担当していて、それらでは毎月、著名な芸能人や大企業の経営者に取材していたけど、『編集会議』をつくることにそれ以上の魅力を感じていたし、人一倍愛着を持ってつくっていた。

ただ雑誌にどれだけつくり手の“愛”が詰まっているかは、自ら語るものではない。あくまで受け手が汲み取るものだと思っている。

むしろ、つくり手の愛は誌面に滲み出るもので語るまでもなく、中身を見れば、だいたい愛の強さや深さはわかってしまう。

だからこそ、こんな反応があるのは何よりも嬉しかった。

記事一つにしても、どれだけ時間や手間をかけたのかは読者に伝わってしまう。

僕は一人でやっていたから偉そうなことは言えないけど、下の誤植の一覧表は120ページのうちの終盤の何気ないたった1ページは、お盆休みに丸2日図書館にこもるなどして結構苦労してつくったものだ。

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雑誌づくりは華やかなイメージが持たれやすい。でもどちらかと言えば、地味な作業のほうが多いし、結果的に無駄になってしまう作業も少なくはない。

その地味さや苦労は尊くても、僕は常々、雑誌づくりは「もったいないな」と思っていた。

雑誌をはじめとする紙メディアには、紙幅という制約がある。一つの記事をつくるときに掲載する以外の情報は躊躇なくそぎ落とされる。

それによって濃度の高い情報だけが掲載されるけど、削ぎ落とされた情報が無価値ということでもない。

それらは新たなコンテンツとして活きるポテンシャルを持っていて、いまならnoteでこぼれ話を掲載するとかもできるはずだ。そんな雑誌とnoteのコラボがもっと増えれば良いなと密かに思っている。

話を戻すと、雑誌の「顔」である表紙にも当然ながら毎号とことんこだわった。

書店に並ぶ雑誌は、表紙が目に止まらなければ手に取られないわけで、とにかく目立たせるために奇をてらいつづけた。

つくり手都合の瑣末な話をしてしまうと、最後の担当号となった2017年秋冬号では、書店の棚に置かれたときのインパクトを考えて、こんな表紙にした。

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この表紙については、「シン・ゴジラを意識したのか?」といろんな人から聞かれた。たしかにそう見えるけどそうじゃない。

まず「シン」には、編集に関する「新」や「深」、「真」といった意味を込めていて、それらをどう解釈するかは読者に委ねていることにしているけど、正直あまり深い理由はない。

そしてカラーも、もろにゴジラを彷彿とさせる。でも実際は、僕が20年以上応援しているマンチェスター・ユナイテッドの赤だ。わかる人にはわかる。これは後付けでも言い訳でもなく、もちろん売るためだけど最後に一度やってみたかった。

理由は何にせよ、赤はやっぱり書店でも映えた。

◆ ◆ ◆ ◆

夢中で書いていたら、1万字を超えてしまった。長すぎて、ここまで読んでくれた人はいないかもしれない。

一生懸命やってきた仕事は、やったこと自体は忘れなくても「具体的に何をやったのか」はそのうち忘れてしまう。

だから誰からも求められていなくても、こうして「残す」ことは誰かに読んでもらうこと以上に大事なことじゃないかと、書いてみて思った。

このnoteも、誰かのためではなく自分のために書いたようなものだ。とはいえ、欲を言えば「読んでよかった」と誰かに1ミリでも思ってもらえたら嬉しい。

ちなみに、さんざん偉そうに語ってしまったけど、僕は『編集会議』の編集長でもなんでもなかった。

編集部は僕一人で実質編集長的なことをしていても、編集長というポジションは空席だった(と思う)。

それはもう、一会社員としての実力不足だったとしか言いようがない。

ただ好き放題にやらせてもらえていたからまったく不満はなく、楽しさしかなかった。だから感謝しかない。

そして何より、僕はやっぱり雑誌をはじめ紙メディアの可能性をまだまだ信じている。

 だからこそこれを書いたし、『編集会議』のコンテンツ戦略を1万字で語ってみて気づいたのは、「コンテンツ・イズ・キング」という真理だった。

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