そのコンテンツに愛はあるか

あるベテラン編集者に話を聞いた時、「キミの記事のキャプションには命が宿っているか?」と言われたことがある。それ以来、キャプションを書く時にはいつもこの言葉を思い出す。

その人は「キャプションを見れば、編集者がそのコンテンツにどれだけ愛があるのかがわかる」とも言った。ここ言うキャプションとは、記事中の写真や図版に添えられた説明文のことで、要するに「神は細部に宿る」ということ。その人は「愛」と表現したけど、「センス」とか「力量」とも表現できるのかもしれない。

キャプションは、たしかに自分も記事を読む時は自然と目がいく箇所でもある。特に記事の全体感を把握できる雑誌の場合は、本文を読むより先、リード文を読むよりも先にキャプションをまず読んでしまうことも多い。Webの記事でも、自分の場合はいつもつい見てしまう。やっぱり意外と重要な箇所だ。

一方で、逆に自分が編集者としてキャプションを付ける時、もっとも手を抜きやすく、特に締め切りの間際なんかだと手を抜きたい、というか手を抜きがちな箇所でもある。自分もたまにやってしまうのだけど、写真の説明が棒読みのごとく一言だけ添えられていたりするのは微妙すぎる。見ればわかることを補足されても本来的な意味がない。

そもそもキャプションの役割は写真や図版が絵として伝わりきれない要素を説明することだと考えると、補足することを満たすのは最低条件。逆に言えば、写真や図版の意図がきちんと説明されているのは、あくまで最低条件でしかない。

それ以上の価値を生むキャプションというのは、実際にどんなものか。具体的に言うと、「このキャプション、めちゃくちゃいい!」と思って今でも覚えているのが、もう4年前だけどこの対談記事シリーズ。

新書『夢、死ね!』刊行記念 中川淳一郎&担当編集者全裸対談! http://ji-sedai.jp/book/publication/zenrataidan_2014.html

当時、この記事を書いた今井さんに「この記事のキャプション、絶妙すぎて大好きです」と伝えたら、「この記事、写真以外はめちゃ好評なんです。キャプションかなりこだわって付けたんですけど(笑)」と言っていた。こうして写真が放つ強烈なインパクトをうまく生かしているキャプションはすごい。

本文であふれてしまったり、本文の文脈上カットした要素をキャプションに忍ばせるのも、すごくいいなと思う。その前提として当然写真とどれだけマッチしているかは重要だけど、あえて写真とギャップを生むようなキャプションをつけているのもいい。

いずれにしても、一見手を抜きがちなキャプションにこそ編集者のセンスが問われ、そのセンスを発揮するための時間が「愛」でもあるのだと思う。ある編集者は「キャプションを考えるだけで半日かかってしまった」と言っていて、その人にはたしかに「コンテンツに対する愛」が凄まじかった。

「そのコンテンツに愛はあるか」なんて大げさなタイトルをつけてしまったけど、キャプションはあくまでそれを測る一つの指標でしかないし、当然ながらもっとも大事というわけでもない。最近、キャプションに手を抜いてしまいがち、というか写真だけ載せてキャプションすらつけない究極の手抜きをしてしまっている自分への戒めとして書いてみた。

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ここ数年、仕事か頼まれることでしか文章を書いたことないけど、いよいよ自分のSNSでの発信力のなさに危機感を覚えて、まずはnoteを始めてみた。かといっていきなり書くことも思いつかず、なぜか偉そうにキャプション論を語ってしまった。

竹村さんのツイートを見て、自分も何か書いてみようと思ったら、書くだけで意外と楽しかった。これからnote書くことは週慣くらいにしようかな。でっかい意味での編集論的なことを語ろうとしても、すでにすごい編集者たちがたくさん語っているから、自分みたいなしょぼさであっても書けそうなニッチな編集関連のことを書いていきたいと思う。

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